最近気づいたことなのですが、わかっていないのに、わかった気になろうとした時、そこに浅はかさが生まれるなあと。

一番わかりやすいのは、知ったかぶり。

浅くうなづいている時も、そうだと思います。

参照:浅く頷くんじゃない。

自分の実感値が伴わないのだから、当然と言えば当然のこと。

全てが借り物の言葉となり、その空虚さがそのまま浅はかさにつながっていくのでしょう。

ーーー

「いや、そんなことはない!自分はちゃんとわかっている!」

そう感じる時ほど、自分だけがわからないことへの焦りや不安、恐れゆえに、誤った解釈をそのまま「答え」だと信じて、語ってしまう節がある。

そして、最初は相手に対して「自分はわかっている」と誇示するために述べていた言葉によって、

次第に自分自身がその言葉の暗示にかかってしまい、勘違いしたまま吹聴し続けてしまう。

それが、わからないもの同士が集うきっかけをつくりだして、これがトンデモ理論の元になっていくのでしょう。

ーーー

この悪循環を断ち切るためには、やはり「わからない問いはわからないままにしておくことの重要性」をしっかりと認識すること。

そして、そのための胆力を持ち続ける。

参照:わからない問いを、あえてわからないままにしておくことの重要性。

腹からわかった感覚が得られるまでは、安易に語らずに、淡々と学び続ける。

また、腹からわかった感覚が得られてもなお、「これホント?」と常に問い続ける姿勢が大事なんだろうなあと思います。

他者の話であっても、常に「それホント?」と考えながら聞いてみる。

相手を信用(信頼)しつつも、常に疑い続ける姿勢は同時に成立し得るはずですから。

ーーー

西洋の価値観に染まって育った僕らは、「エウレカ!」といった西洋らしい発見や悟りの瞬間があると思って生きているけれど、もしかしたらそれ自体が大きな大きな勘違いだったのかもなあと。

そもそも、僕らは既に発見の中にいるのかもしれない。

そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。