昨日から、新型iPhoneの発表が大きく話題になっていますが、個人的に、意外とおもしろいなと思っているのが、Apple Watchの「オーディオインテリジェンス」という新機能です。

なかでも気になったのは、会話を要約する際に、機微な情報を除くなど、プライバシーに配慮するという話でした。

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従来の世に出回っているAIレコーダーって、正直、自分に向けて使われると少し怖いところがありますよね。

仕事の決定事項を残すためには、本当に便利だと思う一方で、何気ない雑談まで、あとから一言一句取り出せるようになるとしたら、少し話は違ってくる。

「あのひと、AIレコーダーを付けている。あとから言質を取られるなら、じゃあこれは話すのはやめようかな…」と思ってしまうことも正直あります。

だから、Appleがただ情報を拾い集めるだけでなく、何を人間側に再び渡すか、その渡し方にまで配慮しているという話には「なるほど、そう来たか!」と素直に感心してしまいました。

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で、ここから先は、今回の機能の仕様そのものというより、そんな発表を観て僕が考えたことです。

もし今後、AIが会話の情報を扱いながらも、それを何でも人間に教えるわけではない、そんな仕組みが当たり前になっていく未来もあり得るのだろうなあと。

AIには全部聞かれている。でも、目の前の人に何でも後から勝手に聞き返されるわけではない。

そういう状態を、僕らは「安心して話せる」と捉えるようになるのかもしれないなと。

なんという、監視社会のディストピアだと思いますが、とはいえ、すぐにそれに慣れるんだろうなとも思います。

というか、そんな配慮やプライバシー管理があるからこそ、もっと生活の深いところまでAIに入ってきてもらいたいと、自ら望んで受け入れてしまいそうです。

AIが秘密を守ってくれる仕組みが整うほど、AIに聞いてもらえる範囲が広がっていくという、なんとも不思議な話です。

ただ、そう考えていたとき、僕は同時に別のことも気になりはじめました。

AIが人間に渡す情報を整理してくれるけれど、その整理されたものが、いつの間にか「僕が、そのときに言ったこと」になっていくのではないか、と。

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たとえば、会議で何かを提案されたときに、「まあ、そうなんだけど……」と口にしたあとに、少し口ごもるとして。

そして、「でも、あの人には、先に一回話しておいたほうがいい気がするんですよね」と続けた場合は、方針そのものには一切反対していない。

でも、そのまま進めることには、どこか引っかかっているのは明白です。

ただ、あとからAIがその会議を「方針にはおおむね賛成。関係者への事前説明を希望」とまとめてくれたとします。

それは、ものすごくわかりやすい。次に何をすればいいかも明確です。実務上は、これで十分かもしれない。

でも、「まあ、そうなんだけど…」のあとにあった沈黙は、いったい何だったのだろうかと。

本当に、事前に説明さえすれば済む話だったのか。それとも、その場ではそれ以上うまく言えなかっただけなのか。

本人に聞いても、「いや、そこまではわからないけど、なんか気になったんだよね」としか答えられないかもしれません。

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そして、次の会議では、その要約をもとに始まります。

「前回、方針についてはおおむね賛成ということだったので〜」と、話が進んでいく。

そう言われると、実際に反対したわけではないので、「そうですね」と答えるしかなくなる。

自分が何に引っかかっていたのかも、もううまく思い出せない。

このときに、誰も嘘をついていないし、AIの要約も、大きくは何も間違ってはいない。

それでも、何かが、明らかになかったことになっていると、誰もが思うはずです。

しかも、それは単に情報が一つ抜け落ちたという話にとどまらない。その記録を前提に次の判断がなされ、その判断がまた次の記録になっていくわけです。

つまり文脈ごと置き換えられているような状態です。

AIが要約したことが、僕の言ったことになるとは、まさにこういう「文脈の書き換え」を指すのだろうなと。

そして、ときには自分自身も、その要約を読んで、「ああ、自分はそう考えていたんだな」と納得するようになるのかもしれません。

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このブログで以前、「まだ正しくなっていない言葉を、置ける場所をつくりたい。」という話を書きました。

参照:まだ正しくなっていない言葉を、置ける場所をつくりたい。 

人間は、最初から自分の考えをわかっていて、それを順番に話しているわけではないと思うんです。

話してみて初めて、「あ、自分はここが嫌だったのか」と気づくことがある。相手に聞き返されて、最初に言ったことを取り消したくなることもある。

だから、言葉が淀むし、濁る。言い直したり、同じところに何度も戻ってしまう。

極端な話、いったん自分のなかにある偏見や、ひどく意地悪な見方まで口にしてみることもあるわけですよね。そうやって真逆に振ってみたからこそ、自分が本当は何を言いたかったのか、ようやく見えてくることも、プライベートの会話ではよくあることです。

もちろん、それはただ説明が下手なだけのこともあるし、単純に話が長いだけのこともある。僕なんて、たぶんその典型です。

でも、そのなかには、本当にまだ言葉になっていない何かも混ざっているはずなんです。

困るのは、それが何なのか、話している本人にも、まだわからないこと、です。

わかっていれば、「ここが重要なので、要約でも絶対に残してください」と事前に頼めばいい。

でも、何が大事なのかを、これから話しながら見つけようとしていた。そして、それこそが対話の本質でもあるように思います。

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ただ、ここまで書いておいてなんですが、すべての淀みに付き合っていたら、僕らの時間が圧倒的に足りないというのも、本当にそのとおりだと思います。

一時間の会議の内容を共有するために、参加しなかった人まで全員、一時間分の録音を聞いておいてくださいとは決して言えない。

気になった記事をすべて最初から最後まで読み、誰かの発言の前後まで毎回丁寧に確かめていたら、それだけで一日が終わってしまいます。

他人の物語の文脈やコンテキストすべてを把握できないのは、僕らが有限の命しか持たない以上、絶対に逃れられない宿命です。

ただ、僕らは、自らが生み出した文脈には、ある程度責任を取れても、その文脈を切り取られたら、もう責任は持てないわけです。

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話す側、書く側からしても、自分のまとまらない説明を整理してもらえるのはありがたい。相手の時間を奪いたくないし、余計な誤解も減らしたいと願う。

だから、ここにはちゃんと合理性があるんですよね。ものすごく、ある。

Appleのプライバシーへの配慮にも、そういう合理性を感じます。これはほんとうに驚くほど美しい落としどころだと思います。

ただ、その先で、相手の時間を奪わず、相手を傷つけず、誤解も減らそうとした結果、相手のわからなさに付き合う時間までが、なくなっていくのだとしたら。

美しすぎる落としどころであるがゆえに、これほどまでに現代的な皮肉もなかなかないよなあと思います。

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もちろんAIが、「この人はためらっていた」と、淀みまで丁寧に記録してくれるようになるかもしれない。

でも、そのためらいがあったと知ることと、その時間に付き合って自分も何かを考え直すことは、同じなのだろうか。

そして、これは会話だけの話でもないと思うんです。

誰かの長い文章を読むときも似たようなことが既に起きていますよね。

書き手が同じところをぐるぐる回っている。「それはさっきも読んだよ」と思う。でも、また少し違う言い方で、その話に戻ってくる。

読みながら、こちらは少し苛立つわけです。反論なんかも思いつく。そこまでこだわる理由が全然わからなくて、いったん読むのをやめたくもなったりすることなんて、日常茶飯時です。

それでも続きを読んだときに、「ああ、この人はここから離れられなかったのか」と、ようやく腑に落ちることがあったりしますよね。

その理解は、最初にAIに結論だけを教えてもらったときと、果たして同じものなのだろうか。

結論を知ったあとでは、そこへ至るまでの遠回りは、いかにも省略できそうに見える。

でも、自分がその結論を受け取れるようになったのは、その遠回りを読んできたからかもしれないわけです。

ドストエフスキーの長編小説なんて、その典型例だなあと思います。

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もちろん、相手の書いた順番に付き合うことだけが、正しい読み方だとも思いません。

途中から読んでもいいし、好きなところだけ読んでもいい。それが文章を読むという行為の特権でもあります。

もちろん、最初から最後まで通読して読んでみたからといって、相手を完全に理解できる保証だってどこにもない。より一層わからなくなる、というほうが、たぶん現実には近い。

人間はAIが登場する前から、他人の話を勝手に切り取り、都合よく覚え、「要するに、こういうことでしょ」と言ってきたわけです。

だから、これはAIによって突然生まれた問題ではない。

ただ、これからは、その「要するに」を、自分で考える前に、とても上手にAIにつくってもらえる。

そして、十分にわかりやすく、十分に配慮されているからこそ、それ以上、元に戻る理由が見つからなくなる。

そして、完全に日頃からすべてを聴いているAIに頼りっきりになっていく。そして、それが当たり前の世の中にもなっていく。

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そして、ちょっとメタな視点ですが、きっとたぶんこの文章も、誰かのAIによって今まさに要約されているはずです。

「AIによる要約では、会話のニュアンスや、人間同士の対話の過程が失われる可能性があると指摘した記事です」

きっと、そんなふうに。

それは何も間違っていない。よくまとまっています。ありがたいことに、僕自身も何が言いたかったのか、一瞬でわかります。

でも、その一文を読んで、この話は理解できたと思えるのだとしたら、僕がここまで書いてきた時間と、ここまで読んでくださった人の時間は、いったい何だったのだろうかと。

必要なかったのかもしれないけれど、でも、そんなことはないと書き手として強く思います。

ただ、何がどう必要だったのかを説明しようとすると、また、こうして長くなってしまう。

それこそを上手に要約してくれるのが、まさにAIなんですよね。

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だから、僕はこの話を、「要約に頼らず、原文を読みましょう」という教訓で終わらせることはできません。

自分自身が、明日もまた、AIに要約に思う存分、頼ると思うからです。

そのおかげで知れることは増えるし、時間も生まれる。新しいApple Watchの機能も、実際に使えるようになったら、ものすごく便利だなあと喜ぶ側に自分がいることも間違いない。

もう、知らなかったころには戻れない。そして、戻ることが本当に正しいことなのかも、今の僕にはわかりません。

それを寂しいと感じる自分もいるし、正直、ずいぶん楽になるなあと感じる自分もいます。

この便利さの先で、僕らはいったい何をこの時代に置いていくことになってしまうんだろうか。そんなことをついつい考えてしまう、Apple Watchの新機能の発表でした。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。