先日、サロンメンバーさんから、おもしろい質問を受けました。

「なぜ、鳥井さんはたくさん旅をしているのに、そのことについてSNSではほとんど発信しないんですか?」と。

あまり考えたことがなかった質問なので、とてもおもしろいなあと感じました。

今日は、改めてこの理由について言語化してみたいと思います。

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まず、大きく分けて2つの理由があります。

ひとつは、過去の手痛い失敗経験からです。

今から約10年ほど前、ブログ「隠居系男子」を運営していた時代には、自らの旅についてかなり積極的に発信していました。

そうすると案の定、旅に興味があるひととたくさん繋がれるのですが、彼らとは驚くほど話が合わないのです。

僕からすると「もっと考えようよ」と思うのだけれども、旅に憧れるひとたちは、思考が浅いひとが多い印象です。(注:旅が好きなひとじゃない、旅に憧れているひとです)

問いの探求に興味があると言っても「いやいや、俺は旅先で一眼レフで写真を撮って、それをSNSにあげたいんだよ!」と発信がメインで、問いの探求や内省なんかはどうだっていいという感じ。

イメージ的には、行動8割、思考2割みたいなひとがとても多いのです。

でも、そりゃあそうですよね。旅に興味関心を抱いているわけですから。逆に思考8割のひとが旅人の発信なんかを積極的に追っているわけがない。

にもかかわらず、市場規模が大きそうとか、興味を持っているひとが多そうという理由で旅に関することを僕自身が発信してしまっていた。

そんな失敗を通して、ハッキリと理解したのです。

ブログやSNS経由でそのような人たち新たに出会えたとしても、僕にとっても相手にとってもお互いに何のメリットもないなと。

つまり、逆SEOみたいなところがあります。人を遠ざけるための編集として、人生の中で旅に多くの時間と労力、お金を費やしているけれど、あえてそれはもう発信はしていません。

参照:人を集めるだけが編集じゃなくて、人を遠ざけることも編集。

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もうひとつの理由は、旅そのものが僕にとっての人生の目的や自己実現の一種ではないからです。

あくまで日常生活の行動のなかのひとつの選択肢でしかない。それは読書や映画鑑賞と一緒です。

もし、旅の中で何か気づきや発見があれば、そのことについて考えたことを表現していきたいと思うけれど、それが旅先でも生まれ育った地元でも、東京でも関係ない。

また、リアルでもフィクションでも関係ないのです。

つまり、旅であっても読書であっても映画であっても、自分とは異なる文脈、異世界に触れるという意味ではまったく同様の手段として、僕の中では並列に存在している。

ゆえに、旅のときだけ真剣に考えているわけではなく、読書などをしている日常生活の中でも同様に考えているから、旅だけを特別視したいわけじゃない。

自分にとってはどれも同等であり、喩えるならラーメンもパンもお米も、すべて炭水化物であり主食だと感じている感覚に近いです。決してラーメン専門家になりたいわけではない。

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以上のような理由から、旅ブランディングは今はもう積極的には行っていません。

しかし、サロン内だけに公開する記事では、自らの旅の経験から得た学びについて、かなり積極的に書いています。

それはすでに、スクリーニングされているひとたちに向けて書いているからです。

これが逆だと、結構な地獄だと思っていて。

具体的には、旅ブランディングによって集まってきた旅好きなひとや、旅に憧れているひとたちに対して「問い続ける」大切さを言及してみたところで、「そんなことよりも、旅に行くときに持っていくガジェットの種類や荷物の量、映えスポットや格安航空券のとり方を語るオンラインイベントをしようよ!」となってしまう。

そうなると、「なぜこの意図がまったく伝わらないんだ…!」と頭を抱えることになる。

鳥井個人として、発信している全体像はまったく同じ内容・分量で発信していたとしても、です。

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一方で、考えることが好きなひとは、旅から得られた発見の話も積極的に耳を傾けてくれる。

最近だと「オーディオブックカフェ」の帰り道(限定配信部分)のコーナーで、普段あまり旅をしないF太さんが、とても楽しそうに僕の旅先で考えたことを真剣に聞いてくれて、本当に嬉しかったです。

参照:‎オーディオブックカフェ:Apple Podcast内の#30「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」/末永幸歩著

つまりここで重要なポイントは、どちらの方面から先につながったほうがいいのかということなのだと思います。

ここでくれぐれも注意が必要なことは、その母数や市場規模で判断してはいけないということ。

旅について公の場で発信したほうが見栄えがよく派手で、より多くのひとにリーチできる。だから結果として、自分の収入や仕事量も倍増していくことはもちろん理解しているけれども、それは僕が望んでいる世界や他者との出会い方ではない。

むしろ逆に、地味で全体の母数やリーチ数する数は最初から少ないとわかっていながらも、真剣に考えることについて大好きなひとたちに向けて公の場で発信し、たとえ数が多くないとしても、問い続けることに興味があるひとたちと積極的に出会っていきたいのです。

もし仮に、お寿司の伝統文化を深堀りしたいというひとが、市場規模も人口規模も大きく、お寿司がいまブームになっているからという理由で、アメリカに自らの寿司屋をオープンし、「なぜみんなカリフォルニアロールばかり頼むんだ…!」と嘆いていても、「そりゃあ出店場所が悪いよ」となるでしょう。きっとそれと一緒です。

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どうやってお互いが消耗してしまうような不一致や、間違った出会い方を避けることができるのか。

そんな風に、本当に理想的な「対話の場」をつくりあげていくための手段を、常日頃から考え続けているのだと思います。

それが結果的に問い続けたいひと、考えたいひとと巡り合うことにもつながり、このWasei Salonがそんなひとたちにとっても、居心地のよい空間になっていくのだと信じています。

もちろん僕自身も旅から得られた発見について引き続きサロン内で発信し続けていくこともできる。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。