投資家の井村俊哉さんが以前、なにかのネット番組の中で、

インデックス投資と個別株投資を比較し「ときめき投資は趣味、趣味はお金が減るのが当たり前。ゴルフや旅行だってお金は減る、それと一緒。」というような話をしていました。(※僕の意訳も含まれます)

このときに「ときめき投資」って、わかりやすくて良い言葉だなあと思いました。

投資と言っても、資産形成(ただお金を増やすためだけが目的の投資)と、ときめき投資(自分が惚れ込んだ企業やアクティブファンドを購入すること)があって、それらは同じ投資であっても全く別物だと思います。

前者は、数字こそがすべて。

しかし、後者は数字だけではなく、自分が投資していること自体に価値があれば、価格が上がろうが下がろうが、どちらにおいても意味はある場合”も”ある。

アートや骨董品に対しての投資などにも近いかもしれないですし、NFTなんかも、これと似たような感覚が語られることは多いですよね。

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だから一口に投資といってみたところで、その形には様々あるわけなんだけれども、この資産形成のための投資と、ときめき投資を一緒くたにして語られてしまっているところが、議論やイデオロギー論争につながる原因でもあるんだろうなあと思います。

メディアもわざと意図して、そのような構造に持ち込み、曖昧にして対立軸を作り上げたがる。でも、それらは完全に似て非なるもの、なわけです。

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以前も語ったように、資産形成のためにはインデックス投資を中心に投資を行うことは。必ず必要になってくる。

資産運用をせずに、自らの労働の対価だけで満足に暮らしていけるのは、むしろ才能豊かな一部のひとたちだけであって、庶民であればあるほど、新NISAでインデックス投資を行わなければならないという逆転現象の世界線に突入してくる。というかすでにそうなりつつありますよね。

で、それとは別軸で、ときめき投資も行えるはずで、個人やコミュニティに対してもときめき投資が行えるようになってきているよね!というのが、最近僕が頻繁に語っている「トークンエコノミー」の未来のひとつの形だという話なんですよね。

その大半は当たるも八卦、当たらぬも八卦。

現状、NFTやFiNANCiEのトークンはポンジ・スキームだとかただの電子ゴミとか、いろいろな批判があるとは思いつつも、株式会社だって、エンジェル投資をしてみたところで、その99%はただのゴミになる。

でも、何百社のうち、1社でも当たるからベンチャーキャピタルのような会社が成立し、個人のエンジェル投資家でも、莫大な資産を持っているひとたちがいて、そのような成功をを目指して、また新たな資金が流れ込んでくるわけです。

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で、これまでのただの「ときめき」、つまり「趣味」の領域というのは100%完全に溶かす、だけだったわけです。1%の可能性すら存在しない。

一部、たとえばロレックスやポケモンカードのようにコレクターズアイテムとして希少性が高まり、資産化するものはあれど、でも趣味(ときめき)それ自体が資産を形成するということはまず不可能だった。

これまでの趣味は、ただ時間とお金を溶かす一方です。どう頑張っても、「消費」か「浪費」にしかならないものであって、その「ときめき」のためにみんな必死で働いているわけですよね。

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たとえば具体的に言うと、どれだけ熱心にお笑い芸人のラジオを聴いて、どれだけ熱心にそのラジオの大規模なリアルイベントに参加してみても、時間とお金に関してはただただ溶ける一方です。

逆に言うと、そこに時間とお金を費やせるようにと、みんな毎日必死で労働を行うというような状況だったわけですよね。

日常の癒やしと、非日常の「ときめき」を求めて。

それに触れると、私が理想とする世界がある、実存的に満たされる感覚を感じられる。私が私として認めてもらえるような感覚を得られる、というように。

それというのは何ひとつ間違っていないと思うのです。趣味とはまさにそういうもの。

推し活だって、アニメだって、ゲームだってなんだって全部そう。

そうやって経済が、グルグル回っているのは紛れもない真実だと思います。

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でも、もしそれが本当に「価値」があるものだったとしたら…?

たとえば、早くからラジオを聴いていて、大規模イベントにも参加して、そこにムーブメントをつくる役割を少しでも担っていれば、その貢献が化ける可能性があるということ。

昨日のオードリーのイベントは相当盛り上がったみたいですが、まさにひとつのラジオ番組が、そのようなムーブメントを巻き起こすことも可能なわけですよね。

僕は一度も彼らの番組自体は聴いたことがないですが、あれだけ盛り上がっていれば「じゃあ、ちょっとオードリーのトークンを10万円ぐらい購入してみて、自分もオードリーのラジオを聴いてみようかな」って思うはずなんです。

そして古参のファンほど、そのような盛り上がりの恩恵を受けることができる。そのようなことが起こるのがこれからのトークンエコノミーにおける「ときめき投資」の領域なんだと思います。


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で、こういう話をすると、「そういうのいらない」っていうひとたちが必ず現れます。

「今のままだからこそ良いんだ!」と。趣味は趣味のまま「浪費」できることにこそ価値があって、そこに資本の論理が乗っかってくることを良しとしないような考え方です。

つまり、お金が絡んでいないからこそ、我々はときめくのだ、と。

それはそれでもちろん正しい意見だと思うし、なんなら僕も、その意見には大賛成です。それこそが「ときめき」の本質だと思う。

ただ、僕が言いたいのは、良くも悪くも、そのような完全な「ときめき」だけではなく、一方で資産形成のための投資だけではない、その間の「ときめき投資」という選択肢が、これからは続々と生まれてくるよ、という話がしたいんですよね。

今まではこの中間がまったく存在しなかった。でもむしろそれは、完全におかしな話だったんですよね。

インターネットがでてきてから、仕事と生活の境目がなくなったというひとは、僕のまわりでは大半であるように、これからは「投資」と「趣味」という概念においても、その境目はドンドン曖昧になる方向性へと向かうはずなのです。

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この点、少し話は逸れますが、市場経済が伸びることによって、これからも世界はドンドン豊かになると語るひとは多いけれど、それはほとんど嘘だと思います。

正しくは世界はドンドン便利になるだけです。そして便利は客観であり、豊かさは主観です。

言い換えると、便利自体に良い・悪いもなくて、それを自らの「豊かさ」と紐づけていくことが何よりも大切で。

そのためには、各々が「豊かさとは何か」を自分の頭で考える必要があります。便利が豊かだと感じる人もいれば、不便こそが豊かだと感じる人もいる。

人それぞれで、そこに正解はありません。

でも、なぜそれでも豊かさを巡って人々が必死で議論をするのかと言えば、その定義がたまたま世間で統一されてきた時代が長く続いてきたから、ですよね。

でも、これからはもうそうじゃない。自分なりの豊かさ軸をちゃんと持たないといけない。

その「便利さ」を享受するかどうかは本当にあなた次第。で、この便利さのひとつに「トークンエコノミー」の登場も、間違いなくあると思うんですよね。

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ソレから距離をおくのも、近づくのも完全に個人の自由。

ただ、今の状況から考えて、一つはっきりと言えることは、生成AIの登場によって、ありとあらゆるコンテンツのクオリティは本当にどんぐりの背くらべになってくるはずです。

この十数年はスマホやカメラの「機材」の進化によって数々のインフルエンサーが生まれたわけだけれども、その機材の進化なんか比じゃないぐらいの爆発的な「創造(クリエイション)」の民主化がこれから生成AIのおかげで(せいで?)起こってくる。

先日発表されたばかりのChatGPTの「sora」なんかは、それを見事に予兆していますよね。シナリオも映像もマーケティングも何もかもがプロレベルのものを誰でも簡単に作成できるようになる。

そして、さらに、AppleのVision Proのようなものが、現実とバーチャルさえも融合してしまう。

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そのとき、じゃあ人々は一体何に熱狂をするのか。

逆説的だけれども「どれぐらい生身の人間が共に熱狂しているか」それに尽きると思います。

言い換えると、そこで行われている事柄よりも、人と人との間で発生する真心とか思いやりとか、そういう「ひとのあたたかさ」に、ひとはお金と時間を投じたくなるんだと思うんです。

つまり、コミュニティであり、そのコミュニティが体現している文化観や価値観に対して、時間とお金を使うようになる。

あとは真逆に振って、人里離れた大自然の体験など、です。

なんなら、農業体験や狩猟体験みたいな昔の里山暮らしを体感するために、数百万円や数千万円のお金を払って体験をする富裕層も現れるという、なんとも笑い話みたいな話が起きてくる。

僕は、今後は圧倒的にこの2択になるんじゃないかと思っています。

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じゃあ、自分はどうしたいのか、何にときめきを見出し、誰とそれを共有して、自分は生きていきたいのか。

「豊か」や「はたらく」を問い続けるということは、まさにそういうこと。

これまでの常識に流されていては、本当に危ういなと思います。

今この瞬間から、これから世界がどうなるのかをゼロベースで考えないといけない。

だからこそ、情報が無価値化するから、座学よりも積極的に行動しろというのも、そのとおりなんだけれども、その行動したひとであっても、そこで成功するのは1000人に1人、1万人に1人という数字になってくる。

失敗したら、そこで人生終わりだったら本当に世知辛い。

何かしらのセーフティネットが必ず必要となる。

それがお互いにトークンを持ち合って「このひとはやってくれる!」と思っているひとのトークンを持っていることなんだろうなあと。そうすることで、そこに社会的なつながりも生まれて、金銭的な意味でも報われる可能性が出てくるんだと僕は思う。

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つまり、VCやエンジェル投資家みたいなことを個々人が実生活のなかでも行っていて、そんな循環を生み出すことによって、本当の意味でのセーフティネットが完成するということなんだと思います。

もちろんそうなれば、嫉妬や妬みで他者を蹴落とすよりも、まわりを勝たせたほうが圧倒的に自分にとっても都合が良いはずなのだから、よりお互いに応援し合うという構造にも自然と生まれてくるはずです。

僕はそうやって、お互いのトークンを持ち合う世界観のほうが、巡り巡って理想的な社会が訪れるんじゃないのかなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。