この週末は、Wasei Salon一色の週末でした。

まず金曜日から、長野県の飯島町にある一棟貸しの古民家宿「nagare」にサロン合宿に行ってきました。

https://wasei.salon/events/a3998c84252e

僕自身、約1年半ぶりの再訪となったのだけれども、改めて本当に素晴らしい宿だなあと改めて感動してしまいました。

そして空間自体もさることながら、なによりもオーナーの石川さんご夫妻の人柄がホントに素晴らしい。

今回は夜遅くまで、ゆっくりと石川さんとお話を伺う機会も設けてもらい、石川さんに参加者全員でインタビューするような時間もつくることができました。

こちらの音声は収録もしているので、ぜひ公開を楽しみにしていてください。

Wasei Salonのメンバーのみなさんも、きっとこの宿を気に入ってくれるだろうと思って、自信をもって企画してみた合宿だったのですが、実際お互いに深いところでつながり、石川さん始めメンバー同士でも相互に深い交流ができたなあと感じています。

また、今回特別に見せてもらった今年新しくできた一棟貸しの宿、Villa「nagare」も本当に素晴らしかったです。

こちらも必ずまた来年、改めてメンバーのみなさんと一緒に宿泊しに行きたいと思っています。

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さて、翌日の土曜日は、東京に戻り、Wasei Salonの忘年会企画に参加してきました。

https://wasei.salon/events/3b798118b31d

今回は、今年オフィスを移転したばかりのコミュニティプラットフォーム・オシロさんの新しいオフィスの一角をお借りして、東京の渋谷で開催されました。

関東近郊にお住まいのメンバーさんが中心に集まり、とても和気あいあいとした、楽しい雰囲気の会となっていて、なんだか本当にありがたかったです。

この点、どうしても、孤立してしまいがちな大人数の交流会イベントであっても、昨日は本当に誰一人孤立せず、みなさん楽しそうに共に過ごしてくれていたことが僕としては何よりも嬉しかったですし、この場を今年も開催できて本当に良かったなあと思っています。

インターネット上のつながりで生まれたリアルイベントで、僕が長年、理想としていたオフ会というか懇親会というのは、まさにあのような場だったなあと。2次会までほとんどのメンバーが残ってくださって、きっとそれぞれに、それぞれの素晴らしい体験になっているかと思います。

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さて、この二日間、自分がこれまで力を入れてきた「ローカル」の取り組みと、コミュニティの取り組みが同時に、そしてシームレスに行われたのは、今年の僕自信の総決算として、偶然にしてはとても必然的だと思えるような体験だったなあと感じています。

ここで少し話はそれてしまいますが、先日Twitter上で、経済学者の成田悠輔さんが、「これから価値が高まるのは故郷や家族。会社やコミュニティをこれだけ誰でも作れるようになると『新たに作ることができない懐かしい場所や人』の希少価値が目立ちはじめる。」とツイートしていました。

これは、僕自身も本当にそう思います。自らがローカルを取材し、自らでコミュニティを運営する中で最近は日を追うごとに、このような確信を深めているような状態です。

でも、現状それらは、あたりまえのように存在してると思われているから誰も気にしていないご様子。

ことさら誰もその価値に対しても、言及をしていません。

でも、これからはきっと、これらがが決して当たりまえではなくなってくるし、現状も日々なくなりつつあるものでもあると思います。

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一方で、いまみんなが必死で欲しているものは、むしろ希少価値がグングン下がってくるはず。少なくとも、そのようなものはお金を出せば、誰でも買うことができる状態になるはずです。

これは負け惜しみでもなんでもなく、むしろそのような買えないものが最後の希少価値として残るに決まっている。

本当に大事なものは、お金を出しても手に入らないもの。ゆえに、逆説的なのだけれども、それを持っているひとたちのところに、必要な分のお金が集まってくるようになると言い換えてもいいのかもしれません。

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この点に関連して、以前、【おかえりなさい」と「いって参ります」を互いに言い合える場所。】という記事にも書きましたが、新自由主義の概念の中には、いつも「帰る家」だけが存在していません。


つまり、故郷と思える場所が、存在しないひとのほうが現代には大多数という状態です。

もちろん、それぞれの地元はあっても、「故郷」が存在しない。

でも日本人が欲しいのは、地元ではなく、間違いなく故郷なんですよね。懐かしさや、原風景として思い描くことができる、象徴としての故郷。昔はそれが、極楽浄土と呼ばれていた時代もあったと思います。

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世界のすべては「都市」ばかりになっていってしまっていて、そのすべてが経済戦争を行うための「戦場」となってしまっているような状態です。

そして、どこに行っても「明日はどこへ行くの?目的地はどこ?」と問われてしまう。

さらに、どこにいっても、「いってらっしゃい」と言われてしまう。

そうではなくて「おかえりなさい」と、自分を「余人を持って代えがたい存在」として歓待してくれて、自分のタイミングで「行って参ります」と言える場所が、本当にいま大事だなあと。

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そのうえで、気持ちよく自分自身も「行って参ります」とその場にいるひとたちに言いたいし、自分自身が他者の後ろ姿に向かって心を込めて「行ってらっしゃい」と言いたい。

そしてまた、日が暮れてきたら「おかえりなさい」と歓待して、他者を出迎えたい。

これが、僕が今年何度も何度も、繰り返しお伝えしててきた「喫茶去精神」そのものにもつながります。

おかえりなさいと、ただいまと、行って参ります。それらを言い合える関係性。

そしてそれが、グルグルと循環しているような場を作り出すことが、本当に理想的だし急務だなあと。

これは「故郷」と「家族」というふたつの概念が揃った中だけに、生まれてくるような「機能」そのものだと僕は思っています。

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ローカルを行ったり来たりして、Wasei Salonという小さなオンラインコミュニティを日々淡々と運営していると、いまさら、そんなことをして一体何の意味があるのか?というようなことを暗に問われることがある。

でも、僕からするとそれは本当に大きな大きな勘違いで、何度だって繰り返しますが、もうそれしか希少性があるものは残らないはずなのです。

今あるテクノロジーや社会の変化から、加速主義的な思考法で考えたいったら、間違いなくそうなることは自明の理でもあると思っています。

比べるのは変な話ですが、その希少性は金やデジタルゴールドと呼ばれるようなビットコインなんかの比じゃない。

だから僕自身は、ローカルを取材し、土地や文化、そしてものづくりなどとの関係性を日々深めていきながら、オンライン・オフラインを問わず、そこで学び得た知見を共有し、価値観を共に育むことができる顔のある他者と共に交流できるコミュニティを構築している。

先日のブログの中に書いた忘れ去られた「心のなかの大自然」、その答えというか現状の僕の仮説はまさにこの「故郷」と「家族」だと思っています。

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周囲から、どれだけ理解されなくても、僕はこれからの世の中においてはこれらが必要で希少性が高まると思うから、このふたつを同時に淡々とつくっていこうと考えています。

きっと、その答え合わせはあと5〜10年後あたり。

ぜひご興味がある方々は、この世界観をつくるために引き続き、共に育んでいっていただけたら嬉しいです。

僕は、みなさんのおかげで、本当に大切なものは何か、その方向性が本当の意味でハッキリと理解できてきたよう気がします。

ここに参加しているみなさんにとって、価値のある広義の「故郷」をつくっていきたいし、広義の「家族」、そんなこれからの豊かさを実感できる共同体をつくっていきたいと思います。

来年からは、さらにそんな世界観の実現に向けて、新たな挑戦も含めて精力的に動いていきたいとも思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。