この時期、書店を訪れると「2021年 大予測」といった表紙の雑誌が増えてきましたね。

ウェブ上でも、似たような記事はたくさん溢れ返っています。

とはいえ、去年の今頃に、今年がこのような年になってしまうことは、誰にも予測できなかったように、このような来年の予測はなんだかとても滑稽に思えてきます。

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思うに、ここまで想定外なことが起こると、来年以降に何が起きてもきっと、もうさほど驚かないのだろうなあと感じる。

来年以降、たとえ大震災や戦争が起きたとしても、「まあ、生きていればそんなことも起きるよね」と、どこか冷めた目で眺めている自分も容易に想像できてしまう。

しかし、ここで難しいのは、だからと言って、何も準備してこなかった人間は、それが実際に起きたときに生き残ることさえ困難になるのだろうなあと。

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つまり、2019年→2020年よりも、さらに徹底的に2020年→2021年の変化を予測する必要がある。

この一見すると、相矛盾する姿勢を自分の中で同時に獲得して、しっかりと両者を貫かなければならない。

ここが今の時代を生きる一番の難しさだと、僕は思います。

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そしてこの話、何かに似ているなあと思ったら、インタビュー取材をするときにとてもよく似ている。

「徹底的に準備して、あとは全部忘れろ。」

このインタビュー取材をする際の格言は、2021年以降を生きる姿勢でも全く同じことなのかなと。

来年以降を生きるうえでも、徹底的に準備して、そのうえで準備したことを全て忘れて、「今ここ」を楽しむ。

無理矢理抵抗して、時代の波に抗うわけでもなく、波の力を何倍にもしてやろうとレバレッジを仕掛けるわけでもなく、

徹底的に準備を整えたら、あとはただただ時代の波に乗りながら、その瞬間瞬間を全力で楽しむ。

来年以降、この姿勢がこれまで以上に問われるようになるのだろうなあと思うのです。

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悲観的になりすぎて、何事に対しても奥手になってしまうのも違う、そんな人生はつまらない。

一方、楽観的になりすぎて「なるようになる」とたかを括ってしまえば、すぐに足元を救われてしまう。

物心がついてから、9.11、リーマンショック、3.11、コロナウィルスなど、平和な時代と言われながらも、さまざまな危機を実際に自分の目で見てきた30代前半の日本人として、今思うことはこのあたりです。

「どちらのスタンスも自分の中にあわせ持つ」と、覚悟を決めた瞬間、来年以降に訪れる(かもしれない)乱世に少しだけ楽しみを感じられるようになりました。


いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。