先日配信されたVoicy、らふる中村さんとの対談。


あの配信の中で中村さんの問いを受けて、僕が熱っぽく語っていた「すべてに値段がついてしまったことのつまらなさ」について、今日はもう少し深堀りして考えてみたいなと思います。

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まず、Voicyの中で、僕らが10代の頃に感じていたファッションへの高揚感、たとえお金がなくても、古着やちょっとした工夫でワクワクできたあの感覚は、もう完全に失われてしまったという話をしました。

なぜなら、今は、古着ですらメルカリでタグや年代によって値段が自動的に決定し、すべてが数値化されてしまったからです。

つまり、メルカリの価格のヒエラルキー構造の中にすべて回収され、もはや「値段のついていない服」には価値が見出しにくくなってしまっている。

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もちろん、このようにすべてに値札がついたことの良い面もあり、それはあまねく世の中に行き渡りやすくなったことだと思います。

今は日本中どこにいても、適切な対価を支払えば、適切なものが手に入る。それはすべてインターネットのおかげです。具体的には、ECサイトとメルカリと、それを支える物流のおかげ。

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でも、すべてのものに値段がついて、世の中のありとあらゆるお洋服が、メルカリが作り出すCtoCのヒエラルキーの中に入り込んでしまった結果、逆説的にそれでおきたことは「値段のついていないものには、価値がない」ということです。

昔だったら、390円均一の古着屋さんで見つけた掘り出し物、それをを着こなす楽しみもあった。

でも今は、そんな価値がないもの(二次流通で無価値なもの)を買うぐらいだったら、最初から圧倒的にコスパ・タイパの良いユニクロでいいやってなっちゃう。

そして、そのどちらかの価値基準それ自体が、瞬く間にSNSによって拡散していく世の中でもあるわけです。

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そう考えると、いま重要なことは、値札の外、いいねやフォロワー数などSNSのヒエラルキーの外の世界が大事なんだろうなあと思うのです。

つまり、インターネットとSNSが作り出した「マーケット」の外の市場が盛り上がる理由が必要で、そのときに手づくり、ハンドメイドってめちゃくちゃいいなと思ったんですよね。

なぜなら、そこにはまだ値札がつかないから。

売り主と飼い主の至極個人的な関係性、そのあいだでの「価値」の問題であって、本来はプライスレスなんですよね。

詳しくは、是非本編を聴いてみて欲しいのですが、中村さんの対談中にそんなとても大切なことを気づかせてくれました。

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で、この点、少し話がそれますが、今朝話題になっていた、橋下徹・元大阪府知事が万博内の予約のQRコードの転売を絶賛し物議を醸し出していた問題。


これは言いたいことはとてもわかるけれど、だったら最初からNFTでやれよ、と僕なんかは思ってしまいます。

NFTはこういう需要が、これからますます急増することが見込まれた結果出てきた技術でもあるのだから。

そうやってマーケットにのせれば、必ず市場経済の中で、均衡点がうまれる。神の見えざる手みたいな話です。

それを公金をつかってやるのが、政治倫理や政治道徳的に正しいのか、そこに論点があるわけだから、政治家がここを論争して、耳目を集めようとするのは、よく分かる。

なんにせよ、価値が滑らかに移動する(移動させる事ができる世の中)デジタル資本主義というのは、つまりはそういうこと。

成田悠輔さんの『22世紀の資本主義』にも書かれてあるように、良くも悪くも、今後はここがものすごく滑らかになっていく社会でもあるわけです。

つまり、ファッションに限らず、ありとあらゆるものに「値札」がつく未来がやってくる。

そして、すべてのものに価値が1円、下手をすれば0.1円単位で計算されてしまう。しかもそれが日々、ほかの商品とも紐づいて、為替レートのように日々変動もしていくわけです。

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で、これは見方を変えれば、ファッションでは10年早くそれが先におきた、ということだと思います。

なぜなら、ファッションはある程度「動産」として扱いやすかったから。最初からNFTのように権利の移転をさせやすかった。

あとはファッションがそもそも記号消費であり、検索ワードがわかりやすかったことも挙げられる。

さらに「供給を絞ってブランド価値を高める」という手法も一般的でもあったため、最初から投資や投機の対象にもなりやすかった。

レアなスニーカーや、ハイブランドのバッグやロレックスの腕時計などが、最初にその対象になったのは非常にわかりやすかったですよね。

そしていまは、古着までもがその売買の対象となっている。メルカリというネットワークを起点にしながら、すべてに値札がついてしまったのが、まさに今だと思います。

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そして、これとほとんど全く同じことが、AIの手によってありとあらゆるジャンルに波及していく。

これまで値札がついていなかったものにも、AIがドンドン値札を付けていく。自動的に売買可能なものに変貌させていく。

それは、瞬時に取引可能なものとなり、当然のように投資や投機の対象にもなっていくわけですよね。

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でも、そうすると必ず、人間の中にはモヤッとする感情が湧き上がるわけです。

そのときの、手作業の価値、ハンドメイドの価値が相対的に向上するのだと思います。

これは、ある種の思想運動にも近いなと思います。

実際、19世紀後半のイギリスで始まった産業革命が起きたときに、同時にアーツ・アンド・クラフツ運動が盛んとなったように、です。

そして、それが日本にも波及して、柳宗悦の民藝運動につながったように、です。

これからは似たような文脈において、値札の外、市場が値段のつけようがないハズレ値、値段がつけられないものへの価値が、ますます再評価されるようになってくるはず。

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中村さんのパーカーにイラストを手描きで描き入れるという行動なんかは、まさにソレだと思います。

しかもあの取り組みの良いところは、美容師としての中村さんの施術料は、これまでの経歴や他のマーケットのなかでその利用料金(権利)は計算できたとしても、その中村さんが、個人の活動としてつくるものだから、その価格は算定不能であるところ。

そこに新たな価値の再創造も可能となる。つまり、既存のマーケットで評価を受けているひとでさえ、そのマーケット評価の外に出られるということ。

そして、あえてそうやって大きくズレて、脱線もするから、そのひとの「想い」や「信念」のようなものも、間接的に見事に伝わってくる。

市場的に評価されることに一切直結しないからこそ、最後に残るのはその人の「信念」だけなわけですからね。そこに一切の利害関係が存在せず、あるのはものづくりに対するプライドのみ。

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いつも思うけれど、手作りやハンドメイドって、ここがすごいなあと思います。

中村さんもおっしゃっていましたが、生々しいこと、それがいい。どちらかと言えば、アートに近いんだと思うんですよね。

かけられている時間や込められている想いが段違い。手抜き仕事として、AIに丸投げした仕事やコンテンツがこれから無限に増えてくるからから、余計にそのようなアート的文脈のものが刺さるようにもなるんだろうなあと。

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現に、いまマルシェや、フリマアプリではなくリアルフリマ、そして文フリのようなものが、流行りに流行っている理由も、きっとここにある。

逆にオンラインマーケットでは「データ」がすべてです。どの商品が売れているか、どの価格帯が人気か、全てが数値化され、分析可能となっていく。

でも、それがあまりにも滑らかすぎてしまい、今は完全に息苦しい状態。

人間の遊び心が介在する余地がまったくない。

だからこそ、既存のものさしでは測れないものを、みんな自分たちで手づくりをして、お客さんと相対して、つまりオンラインマーケットの外、もっと原始的な「いちば」で売っている。

つまり、完全に逆転しているわけですよね。オンラインではデータがすべて。でもデータとかでははかれない「いちば」で、商品を売買したい。

売り手と書い手の間に立ちあらわれる共同幻想、そこに「見立て」が発生する。物語が生まれる、その楽しさを味わっている。

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ここでの取引の多くは、その中で行われる共同幻想の「物語」に基づいた、関係性の問題なんですよね。

価格のヒエラルキーの中におさまって、そこにおさまる安心感や満足感、優越感に浸るのではなく、インターネットによって限りなく滑らかになってしまったマーケットのヒエラルキーから外れて、ワクワクする感覚をもう一度思い出していきたいという気持ちのあらわれ。

それはまさに「私が、いま、ここにいる」という感覚そのものを感じられることにもつながるわけです。

なぜなら、私がいま、ここにいるから、そのやり取りと売買が発生するのだから。その何よりの証でもある。

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今は、デフレ的な閉塞感があったゼロ年代と似ていて、2020年代半ばも社会不安が強いから、外付けのアイデンティティ、つまり推し・ブランドもの、どデカいチャームがはやっていて「私は、ここにいる」を可視化する行動に、結びつきやすい。

でも、本来の「私は、ここにいる」を感じやすいのは、こっちのハンドメイドの個別の商取引のほうだと思うのです。

だから僕は、この原始的(プリミティブ)ともいえる市場的なやりとりに、大きな可能性を感じています。

デジタルマーケットの加速に対する大きな違和感、マウント合戦として消耗する感覚に飽きた人々が、もう一度そんな“いちば”に戻っていく感覚。

そのときに本当の意味で、共にゼロから味わうということが可能となるわけだから。

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そして僕はコミュニティ運営者として、そこに生まれてくる緩やかなつながり、それを楽しむコミュニティができていくこと、市場の周辺にできるコミュニティを、大切にしていきたいなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。