昨夜、Wasei Salon内の「ニュースダイエット部」企画を終えました。

この企画は、サロン内の有志のメンバーが集い、3ヶ月間という期間を設けて、その期間内は意識的にニュースを断ってみるという企画です。

今回、自分の身を通して意識的に「ニュース断ち」を実践してみてわかったことや、その効用について、改めてこのブログにもまとめておきたいと思います。

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一番大きな変化は、自分の目の前に訪れる出会い(ヒトモノコト全てにおいて)、この3ヶ月間はとっても敏感になれたということです。

常に目の前の出来事に対して、何かしらの意味を見出そうとしてしまう。

具体的には、「今この瞬間に、ここでこのひとの話を聞いていることは、自分にとって何かしらの意味があるのではないか」と、積極的に耳をそばだたせてしまうというような。

自分の中に存在する「情報」に対しての枯渇感や渇望感が、自然と自分の身体を前のめりにさせるのです。

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「空腹が最高の調味料だ」とはよく言ったもので、それと同様に、偶然の出会いを必然と読み変える力、その一番の原動力も、もしかしたらこのような渇望感や枯渇感なのかもしれません。

つまり、ニュースを断つことで自然と「運が良くなる」のです。

もちろん、ここで言う「運が良い」とは決して漠然とした曖昧な意味合いではありません。

「目の前に訪れた偶然を、必然だったと読み替える力」、それが「運の良さ」を担保していると僕は思っています。

この点、毎日ニュースを無制限に摂取してしまうと、有象無象の出来事と出会いすぎて、脳内がパンパンな状態になってしまう。

ひとつひとつの良し悪しを判断するための余白もなくなってしまうでしょう。そうすると、自分の中の感度も下がる一方です。

にも関わらず、「得したい、損したくない」という気持ちだけが先行し、すでにパンパンになっているなかでも、ひたすらニュースを摂取し続けてしまう…。

北海道など「食」が美味しい旅先で、お腹が減ってもいないのにも関わらず、食べたい気持ちだけが先行してひたらすら食べ続けていたら、結局どれが本当に美味しかったのかわからなくなる、あの感覚に非常によく似ています。

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本当に大事なことは客観的な質ではなく、主観的な捉え方の質だということが、改めて今回身に染みました。

そのためには、日々感度高く敏感に味わうために、必要以上のものを摂取するのは極力避けて、身体を整え続けておく必要がある。

そうすることで、本当に必要な出会いが自然と目の前に立ちあらわれてくるのだと思います。

ここでも急がば回れ、です。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。