こんにちは。
木津です。巷ではムハンマドと呼ばれています。


少し前から、僕自身の「個人のビジョン」について改めて考え直しています。

所属している組織のビジョンとはまた別に、個人としての自分が掲げるビジョン。

参考:個人のビジョンを考えるイントロ。
https://wasei.salon/blogs/ec57a09551d2


個人のビジョンを改めて考えるにあたって、「個人のビジョンに向けた過去の棚卸し」と題し、これまでの自分の人生を簡単に振り返ってみています。

今回は、その第3回。

新卒で入社した会社を辞めてからのことを書きます。


生まれてから大学を卒業するまでのこと、及び新卒で入社した会社を辞めるまでのことは、前回までの記事をご覧ください。

参考:個人のビジョンに向けた過去の棚卸し①
https://wasei.salon/blogs/69637272cd74
参考:個人のビジョンに向けた過去の棚卸し②
https://wasei.salon/blogs/a90384cc2153


(以下、前回記事からの続き)



▼モラトリアム時代①-note


新卒で入社した会社を辞めた僕は、建築士の学校に通いながら、とにかく自分の視野を広げるべく様々なイベントに参加していました。


茨城県稲敷市で定期開催されていた空き家改修WSの常連になるなど、それまでの自分が知らなかったコミュニティに触れ充実した日々を送る一方で、「その先が見えない」漠然とした焦りのようなものを感じていたことを覚えています。



そんな時に、Facebookでブロガーあんちゃ(https://twitter.com/annin_book)の退職エントリーが流れてきて、「同い年で自分と同じことを考えて辞めた人がいる!」と感動してしまった僕は、Facebookで彼女にメッセージを送りました。


ただ、メッセージの送信ボタンを押した直後に、「僕にとってはやっと見つけた同志だけど、彼女にとっては大勢いるファンのうちの一人でしかない」という当たり前の事実に気が付き、「受信者でいるだけじゃダメなんだな」と考えるようになります。



そうして書いたのが、以下のnoteです。


参照:自分メディア、始めます。

https://note.com/kizu0218/n/na097c19da229


これが僕にとって、mixi以来、ウェブ上に文章を投稿した初めての経験になります。



▼モラトリアム時代②-複業


noteを書くようになった頃から、より親密な仲間が増えました。


特に仲良くしていたのは、高校時代の友人であり今も一緒に住んでいる土田凌、小中学校の同級生で前述の空き家改修WSの指揮をしていた高島聖也、それから空き家改修のWSで参加者として居合わせた同世代の空間デザイナー溝端友輔。


この3人に僕を含めた4人で、東京の空き家を改修してシェアハウスをつくろうと不動産屋を巡りまわったのは、今の僕にとってとても重要な経験であり、とても大事な思い出です。



結局シェアハウスをつくる話は流れてしまったのですが、このうちの1人の高島聖也とは「働き方」について考えていることがとても近く、2人で"複業"をテーマとしたブログユニット、『multiworks(マルチワークス)』を始めることにしました。


当時イギリスのブログユニット『The Minimalists』に僕がどハマりしていたこともあって、この時のブログはかなり意識高く文面を作り込んでいたのですが、そのあまりの意識の高さに自分たちが(主に僕が)疲弊してしまい、数ヶ月足らずで更新をストップすることになります。


ただ、この時の働き方に対する考え方は確実に今の僕の基盤になっているので、なかなか恥ずかしいのですが、良かったら少しのぞいてみて下さい。



(何か1つだけ読むならこれを↓)


参照:仕事とプライベート どちらが重要か

http://multiworks.me/work-or-life/



▼設計事務所時代


高島との間で複業ブログの話が持ち上がったのとほぼ同時期に、建築士の学校で知り合った方から設計事務所の紹介をもらいます。


そこはご夫婦で経営されている東京の設計事務所で、僕自身の複業家としての文脈もあり、僕は週3~4日の勤務でお世話になることになりました。



それまで住宅メーカーで、会社の仕様を組み合わせる方法でしか建築を作ってこなかった僕にとって、扉や家具などの細かな納まりまで一つ一つ設計していく設計事務所での仕事はとても刺激的で、「ものづくり」の面白さ・奥深さをダイレクトに感じることができました。


一方で、事務所の所長のものづくりに対する愛やこだわりを横で見ていて、「自分はものづくりの人間ではないんだな」とも思いました。


僕が建築士の資格を持ちながら建築の仕事をするつもりがないのは、この時の気持ちが残っているからなのですが、これは好き嫌いの話というよりか、好きの度合いに伴う向き不向きの話です。



「ものづくり」に重点をおく設計事務所での仕事と、「働き方」に重点をおく個人の活動ないし思想との間には少なからずギャップあり、次第に事務所の仕事に身が入らなくなりました。


最終的には最悪で、友達の誕生日に夜遅くまで飲み明かした結果翌日の打ち合わせに寝坊してしまい、「ああこれはもう、根本から見直さないとダメだな」と考えて、設計事務所を辞めることにしました。



事務所を辞めることが決まってから実際に辞めるまでの間も、ご夫婦から冷たい態度を取られるようなことは一切なく、お二人には最後までとても良くしてもらいました。


あれから何年か経って、「働き方」は仕事に対する敬意とプロ意識の上に成り立つ概念であることが僕もようやくわかったし、「あの頃は若かった」というのも一つの事実ではあるのだけど、やはり僕にとっては切っても切れない苦い過去というか、美談にできる話ではとてもありません。



▼終わりに

以上です。

設計事務所の退職を機に、それまで住んでいたシェアハウスに家賃を払い続けるのも厳しくなり、また、1から出直すという意味でも、一度千葉の実家に戻ることにしました。


そこから間も無く全国各地を転々とする居候男子時代が始まるのですが、ここから先はまた次回に書きます。

またきてね!