その理由は、既得権益を打倒、転覆、撲滅することが僕の目的じゃないからです。

本気で、新たな共同体やコミュニティをつくり出したいと思っている。

そうすると論破することや刺々しい言葉は、近道のようで実は遠回りなのです。

今日はそんなお話を少しだけ。

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似たような領域で活動していて、地域の既得権益者を「くそじじい」と揶揄し、当たり前のように罵る言葉を用いるひとたちがいることは僕も知っています。

彼らの言っていることは、至極真っ当な意見で拍手喝采を浴びるのは当然のこと。僕自身も特に何も異論はありません。

しかし、そうやって論理的でトゲトゲしい言葉を使って発せられた言葉は、どれだけその内容が正しかったとしても、多くの人はついていけないのです。

なぜなら、純粋に怖いから。いつ自分に対してその言葉が向けられるのかと思って理由もなく怯えてしまう。

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その結果、そんな言葉についてくる人たちは、ものすごく排他的な人たちばかりになってしまう。

「他者との馴れ合いなんてまっぴらゴメンだ。誰が道を譲るもんか」と。

このように、周囲に尖ったひとたちばかりが集まってきてしまうんですよね。

これは自分の若い頃の経験談として、実際に体験したことだから痛いほど理解しているつもりです。

20代前半のころ、自分自身がまだまだ今よりも尖っていたときに書いていたブログを読んで、集まってくれた読者の方々と実際に会ってみると、そんな自分を鏡に写したかのような方々が、自分の目の前に立っていました。

正直、この人たちとコミュニティや共同体をつくり出したいとは思えなかった。それはたぶん、当時の僕自身も周囲の人々からそのように思われていたことは間違いないでしょう。

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「このままじゃダメだ」と思い立ち、そこから10年かけて少しずつ試行錯誤を繰り返しながら徐々にスタンスを変えてきた結果、今このWasei Salonに入ってくれている方々や、日常的にあたたかいコミュニケーションを取り合うことができる方々と出会うことができました。

そして、この人たちのために新たな共同体をつくり上げていきたいと、本気で思える段階に入ることができました。

だからこそ、どれだけ遠回りになったとしても強い意志を持って、本当の目標を見据えておくことだけは絶対に忘れたくない。

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共同体をつくるためにはグッと堪える胆力が何よりも必要です。

どれだけ切れ味が良さそうであっても「諸刃の剣」を抜かない勇気。それを使ったら最後、ギリギリまで理想に近づいて、最後は身を滅ぼすだけですから。

僕は、誰よりも先に王手したいわけじゃない、その先にある共同体を本気で創りたいんだ、と。

ものすごく地味な作業ですし、短気な人には絶対に耐えられないと思われるかもしれないですが、これも急がば回れだと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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