「商品の品質だけでなく、その商品に込められている物語が重要である。」

「ストーリー消費」と称されて、ここ数年持て囃されている考え方です。

具体的には、商品のアピールだけでなく、制作開発秘話をオープンにして語ってみたり、その商品を通じて社会課題を解決してみたりするようなアプローチを言います。

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でも、この話を聞いていつも思うのです。

これも結局のところ、「モノを大量に消費させる」から「ストーリーを大量に消費させる」に移行しているに過ぎないよなあと。

目新しくはあるけれど、決して本質的じゃない。

「物語」の本当の意味での重要性とは、消費者自身がそのモノ(コンテンツ)を通じて、自分自身の物語を紡げるモノでなければならない。

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たとえば、その最たる例は「ディズニーランド」です。

そこを訪れるゲストの方々は、ディズニーランドが提供しているモノ(コンテンツ)を通じて、自分自身の物語を紡いでいます。

あの空間の一番の魅力は、ディズニーの商品ではなく、そんなゲスト(お客さん)ひとりひとりの物語であり、思い出です。

決して、一方的に物語を消費させているわけではありません。

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そして、日本にも古来から同様のコンテンツが存在しており、それが伊勢神宮です。

ディズニーランドが日本に進出する際に、伊勢神宮を研究し尽くしたというのは、あまりにも有名な話ですが、「伊勢参り」とは、伊勢神宮というコンテンツを通じて、参拝者ひとりひとりが自分自身の物語を紡いでいる過程とも言えます。

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先日「100分de名著」の『歎異抄』の回を観ていたとき、解説者の釈撤宗さんがとてもハッとする言葉を仰っていました。

ー引用ー

「この物語は私のためにこそあった」そういう物語と出会ったときに人は救われる。

参照:100分de名著 歎異抄 第1回「人間の影を見つめて」 -NHKオンデマンド https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016068996SA000/?capid=sns002

ー引用終了ー

この言葉を聞いたとき、本当にその通りだなあと思いました。

「この物語は私のためにこそあった」と思えるようにするために、ストーリーを消費させるような形ではなく、自分自身で物語を紡げるように徹底的にサポートしていくこと。そのために、モノやコンテンツを駆使すること。


つまり、目の前の相手をお客様扱いするのではなく、キャストと一緒に同じ舞台にあがってもらうこと。それが何よりも重要なんだろうなあと思います。

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これからの時代において、そのようなモノ(コンテンツ)を提供することが、より一層大切になってくるのだろうなあと感じています。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。