Audibleに公開されている村上春樹作品を、先日すべて聴き終えてしまいました。
オーディオブック化されている長編小説、短編集、エッセイ、そのすべて聴き終えた形になります。
約1ヶ月、完全に引きこもり、200時間はゆうに超えているはず。
でも、全く苦ではなかったのです。本当に夢のような時間でした。
常に「もっと聴きたい!」と思っていて、暇さえあれば耳にイヤホンを突っ込んでいた。寝る直前までベッドの中でも聴き続けていた。なんだかそれぐらい心地よかったんですよね。
じゃあ一体これは何だったのか。
我を忘れるぐらいに深く潜ってハマったからには、徐々にもう一度水面に顔を出してみて、せめて自分がハマったもの、その実態とは何かを考えてみて自分なりに分析する必要があるなと思っています。
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この点、いまKindleで小説家の川上未映子さんと村上春樹さんの対談本『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読み進めているのですが、このなかで「マジックタッチ」の話が出てきました。
今日はこのお話をご紹介してみたいなと思います。
なぜなら、この「マジックタッチ」が人々をここまで気持ちよくさせてしまう、諸悪の根源とでも呼びたくなるような「魅惑めいたもの」だというふうに感じたからです。
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『女のいない男たち』という短編集に集録されている『独立器官』という短編小説について、お二人が語り合っていて、この物語の主人公がとても不思議な死に方をするので、川上未映子さんがそのことについて、村上春樹さんに直接聞いている場面があります。
村上春樹さんは質問に対して、「思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく。僕が一番言いたいのはそういうことなんじゃないかな。」と語られたうえで、
「本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。」と語っていました。
この発言に僕は本当に強い衝撃を受けました。
つまりこの世には「ただのリアリティ」や「リアル」を超えた「本当のリアリティ」というものが存在するのだ、と。
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で、やっぱり僕が「リアリティ」の話を書くと、すぐに思い出してしまうのが、養老孟司さんが語る「リアリティ」の話です。
あの話は、非常に重要な話だと思うので、再度ここで、養老孟司さんの『こう考えると、うまくいく』から、リアリティとは何かについて言及している部分から少し引用してみたいと思います。
リアリティの翻訳は案外難しくて、リアルを現実的と訳すとどうもぴったりこない。リアルあるいはリアリティという抽象名詞は、むしろ「真善美」と訳す方が正しいと私は思っています。つまり正しい、いいとか、美しいというのは非常に強い実感を持っていて、これも現実の一つです。
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僕ら人間は、真善美の感覚を「リアリティ」に求めている。
だから、リアルよりも、より秩序めいたものを欲するし、そちらのほうがより本質的、本物っぽく思えてしまう認知のバグのようなものがある。
で、観念の世界のリアリティを「世界の姿」だと勘違いをしてしまう。
整理整頓された世界、秩序立った世界、京都の碁盤の目のような都市設計や、そのようなある種のバーチャルリアリティが現実だと誤解をしてしまうわけですよね。
人間は、ロジックや科学に基づいた「真善美」に強くひきつけられる生き物なのだと思います。
養老さんが語る「脳化社会」というのは、つまりそういうことだと僕は認識しています。
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でも、やっぱりリアルのほうが「現実」であることは間違いない。
リアリティよりも、リアルのほうが上位概念であるということです。脳化社会に毒されていると見えてこないものがあって、だから身体性が大切であると。
ただ、ここで厄介なことは、そのリアルさえも上回る「本当のリアリティ」というものが存在しているかもしれないわけです。
そしてそれは「マジックタッチ」を持っている一流の表現者たちには生み出してしまう事ができる代物なのかもしれません。
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ここまで読んできた方はずっと「マジックタッチとはなんぞや?」と思っているはずなので、村上春樹さんの発言を本書から少し引用してみたいと思います。
村上 自我レベル、地上意識レベルでのボイスの呼応というのはだいたいにおいて浅いものです。でも一旦地下に潜って、また出てきたものっていうのは、一見同じように見えても、倍音の深さが違うんです。一回無意識の層をくぐらせて出てきたマテリアルは、前とは違うものになっている。それに比べて、くぐらせないで、そのまま文章にしたものは響きが浅いわけ。
(中略)
─「くぐらせる」ことの、すごくリアリティを持った説明ですね。
村上 だから僕にとっては、インタビューをやっても、エッセイを書いても、短編を書いても、長編を書いても、ものを書くときの原理はすべて同じなんです。ボイスをよりリアルなものにしていく、それが僕らの大事な仕事になる。それを僕は「マジックタッチ」って呼んでいます。マイダス王の手に触れたものはすべて黄金になるという話がありますね。あれと同じ。多かれ少なかれこの「マジックタッチ」がないと、お金を取って人に読ませる文章は書けません。もちろん作家というものは、それぞれの「マジックタッチ」を持っているわけだけど。ただこういう風に単純に、大事なのは「マジックタッチ」です、これがないと作家にはなれません、みたいに断言しちゃうと、ない人にはたぶんないわけだから、かなり傲慢に響きますよね。だからあんまりそういうことを言わないように、書かないようにはしてるんだけど、まあ実際にはそうなんです。
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この部分を読んだ時、僕は強く膝を打ってしまいました。
これはたとえば、より多くの方に理解してもらいやすいように、宮崎駿さんのアニメ映画なんかを想像してみてもらえるとわかりやすいと思います。
スタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんが既にいたるところでお話されていることですが、トトロは他のアニメーターでは絶対に描けないそうです。
あのお腹が本当に凹んでいる感じは、宮さんにしか描けないのだ、と。
これも「マジックタッチ」なのだと思います。
つまり、宮崎駿さんをくぐらせると、立ちあらわれてくる「本当のリアリティ」がそこに存在する。だから僕ら観客はそれを見て、心底感動してしまう。そして、これは非常に魅惑的であり、ある種の「エロース」みたいなものでもあるんだと思います。
トトロなんて現実にはいないのに、あのメイちゃんとトトロの交流の映像を観てしまうと、僕らはトトロのお腹の感触を、目の前にいる猫や犬の実際のお腹を触ったときの感触それ以上に本物に感じてしまう。そんなわけがないとわかりながらも、です。
つまり、「本当のリアリティ」は「リアル」以上のリアルの感覚を僕らにもたらしてしまう。それは、どう頑張っても「物自体」には到達できない人間の定めでもあるのだと思います。
村上春樹さんも、宮崎駿さんも、自分自身をくぐらせたうえであれらを描いていて、やっていることはまったく同じだと僕は思う。
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つまり、ここまでの話をざっくりとまとめてみると、
世界が混沌でありカオスゆえに、人間は秩序を見出し「意識の真善美」として「ノーマルのリアリティ」を強く求める生き物。
それが一般的なフィクションであり、「世間」と「空気」の根源でもあります。
でもそれは「脳化社会」の話であって、もっと世界を正しく見定める必要がある。それが「リアル」を見るということ。
でも、それでもさらに「身体性の真善美」というものがある。こちらは、村上春樹さんが呼ぶ「本当のリアリティ」ということだと思います。
こっちはもう完全なる無意識であり、「集合的無意識の世界の真善美」と言い換えてもいい。だからこそ、夢やトトロのような本当にいるのかどうかわからない不思議な生き物の物語になるのだと思います。
このような「あわい」は、本当に数限られたマジックタッチを持った人間たちだけが作り出すことができる「一流のフィクション」ということなんだと思います。
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それに触れた瞬間に、夢見心地過ぎて、シナリオやストーリーをたとえすべて知っていたとしても、何度でもその世界観に浸りたくなってしまうもの。
なぜなら、ハックされているのは、ストーリーという秩序めいたものを追う意識の快楽ではなく、身体性の快楽につながり、身体に効く物語そのものだから。
だから、結構危うい部分もあるなと正直に思います。きっと、一流の宗教家や預言者たちもこのマジックタッチを持つ者たちということなんだろうなと。
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僕ら凡人ができることは、マジックタッチによってもたらされる「本当のリアリティ」として「身体性の真善美」をハックされるとあまりにも我々は無防備であるということ、それをしっかりと理解しておくこと。
そして、用法用量を守って正しく取り扱う必要がある。
宮崎駿さんご本人にもその自覚が強くあったからこそ、子どもたちに自分の作品を何度も繰り返し見せないで欲しいと語ったんだと思います。
描いているものが、リアルを超えた「本当のリアリティ」の世界の話だから。
そのへんのプロのアニメーターが描くような「ただのリアリティ」とはわけが違っていて、リアルの上位互換にされてしまう。
これに関しては、ドーパミンなど脳内麻薬なんかの比じゃないだろうなと思います。身体性をハックされた快楽に人々が溺れた結果、帰ってこなくなってしまう。
ゆえに、一回観て「この世界は生きるに値すると思ったら、リアルの世界(自然)の中を生きてくれ」と願ったということなのではないでしょうか。
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きっと、今の僕は間違いなく村上春樹さんのマジックタッチによって生み出された「本当のリアリティ」にあてられていて、完全にちょっとオーバードーズ気味なんだと思う。
その自覚症状もめちゃくちゃあります。
少しずつ現実世界に戻っていきたいなあと意識では思っているのにもかかわらず、もっともっと浸りたくて、同じ作品群の2周目に入りたくなってしまっている。
でもここは一度、潜った自分自身を客観視するタイミングなんだろうなと思って今こんな話を必死で書いていたりするわけです。
今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となっていたら幸いです。