先週末、こんなツイートをしてみました。



誰もがひとつやふたつ、何かしらの生きづらさを抱えて生きているかと思います。

「なぜ自分だけがこんな辛い目に遭わなければならないのだろう…?」そう嘆き悲しむ夜もあるのではないでしょうか。

でも僕は、それが必ずしも不幸だとは思いません。

むしろ、そうやって嘆き悲しんだことがあるからこそ、いま同じように苦しみ悩んでいるひとたちに対して寄り添うことができるし、力になることもできると思うんです。

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ただし、このタイミングでもうひとつのわかれ道も存在します。

それが「自分も苦労して克服したんだから、おまえも同じように苦労をして克服しろ!」という誤った同調圧力を与えることです。

自分がこれまでに遭遇してきた辛い目に遭うように、あえて仕向けてしまうのです。

日本人は、この傾向がとても強い。

きっと度を超えた「平等主義」が、そんな誤った方向に意識を向かわせてしまうのでしょう。

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もちろん僕の中にも、そんな誤った思考回路は最近まで存在していました。



だけれども、ここでグッと堪える必要があって、不幸の連鎖を繰り返しても全く意味はないと肝に銘じる必要がある。

ここで誤った平等主義を掲げてしまうと、それこそときの権力者たちの思うツボです。

歴史を学んでみるとよくわかるのですが、ときの権力者たちは、いつの時代でも、国民に対して逆らってこない程度に知識と甘さを与えて、それ以上は決して与えようとはせず、生かさず殺さずを続けてきました。

あとは、お互いに監視させて、暴動が起こらないように目を光らせてきた。

そこに時々、大きな自然災害(疫病、飢饉、地震など)が訪れて、国の力ではどうしようもなくなったときに、破綻するが世の常です。

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さて、話を元に戻しますと、以上のような理由から、僕は生きづらさこそが生きがいの種であり、アイディアの源泉だと思!思っています。

「自分と同じ生きづらさを抱えるひとたちが、今より少しでも生きやすくなるためにはどうすればいいのだろう…?」

そうやって他者を救うことだけに目を向けて、日夜自分の活動に励んでいれば、最終的には自然と自分自身も救われていくのではないでしょうか。

もちろん、僕にとってはこのWasei Salonという場が自分と同じように「これからの働くについてしっかりと考えて自己の人生に向き合い、新たなチャレンジをしていきたい」と日々悩むひとたちに対して、知識と知恵、そして最高の仲間と出会える場として提供したいと思い、日々運営しています。



いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。