アメリカの大統領選や、日本の首相交代など、政治的な大きなニュースが立て続けに報道されていますね。

その時に大きな争点となるのが、候補者同士の思想信条の対立です。

メディアによって「一体どちらの立場が正しいのか」それらを検証するような報道が毎日なされています。

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この報道に騙されてはいけないなあと強く思います。

メディアは、視聴者にとってわかりやすい対立構造を作り出し、視聴者の興味関心を掻き立てようとしてくる。

そうやって煽ることが、メディアのひとつの役割でもありますからね。

それは単純に「視聴率を稼いで、収益をあげたい」という話だけではなく、世間に関心を持ってもらうことで「社会的に重要なファクターである」という認識してもらうこと、それ自体がメディアの社会的な役割でもあるわけだから、当然と言えば当然のことです。

その報道のあり方に、正しいや間違いも存在しません。

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しかし、この報道につられて「自分はどちらの立場なのだろう…?」と考えて、それを明確にしようとする必要は全くないと思います。

個人の思想信条においては、いくらでもそこにグラデーションが存在したって構わないのですから。


自分の中で、白黒つけようとする必要は全くないんですよね。

世間から「あなたはどっちなんですか…!?」と迫られているような錯覚に陥るから、「自分も立場を明確に決めなきゃ!」と思ってしまうだけで。

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この点、もっとわかりやすい例でたとえると、「スピリチュアル要素」なんかもそうだと思います。

「スピリチュアルな現象(存在)を信じるか否か」も世間では往々にして、二者択一になりがち。

でも僕は、完全スピリチュアルに浸ってしまうのも、スピリチュアルをこの世界から一切排除してしまうのも、どちらも違うと思っています。

自分の中では、1割〜2割程度は、人知を超えた「偉大なる何か」の存在を常に意識しておきたい。

しかし、それを普段の経済活動や仕事の中には持ち込みたくない。

日々の仕事の中では、データをしっかりと見定めて、現実を正しく判断し、今なすべきことをなしていきたい。

そんな、ものすごく自分勝手なグラデーションが自己の中に存在しています。

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つまり、世間が「あなたはどっちなんですか!?」と迫ってこようとも、その対立構造自体が幻想であり、まやかしなのだと気づくこと。

言い換えれば、世間的な"居心地の悪さ"を、自己に許容する勇気と、そこに納得感を持ち続けながら、自分の在り方を保ち続ける胆力を養うことが重要になってくる。

世の中に正義と悪は存在しない、それぞれの「義」が存在するだけ。

だとすれば、それぞれの「義」の中に存在する「良い点」をしっかりと見定めて、自分の思想信条にしっかりと反映していきたい。

それらは両立し得ることなのだから。

また、たとえ今は両立せずとも、どちらにも利点があると思えるのであれば「両立させるためにはどうすればいいのか」を必死で考え続ける必要がある。

なぜなら、その先に未来が待っているはずだから。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、なにかしらの参考となったら幸いです。