https://twitter.com/hirofumi21/status/1157521800424673280
どうしても僕らは、自分自身が他者に貢献できることは、相手の「期待」に応えることだと思いがち。
それは例えば、親からの期待、学校や会社などこれまで所属してきた組織からの期待です。
だから本人も、自分が社会(コミュニティ)に対して貢献できることは、「その期待に応えることである」と勘違いしてしまう…。
そうやってまわりからの期待に応えるうちに、本当の自分自身の興味(好奇心)も忘れてしまうんです。
でも、こんなふうに書いてくると、「本人の貢献感が本人の幸せにおいて重要であり、結果的にそれで社会に貢献できているのであれば、『好奇心からの得意』でも『期待に応えること』でもどちらの貢献でもいいじゃないか!」と思う方もいるかも知れません。
でもそれだとやっぱりダメだと思うんですよね。
自分の意志で始めたことじゃないから。
うまく行っている間はいいと思います。
ただ、最初はどれだけ順風満帆だったとしても、必ずどこかのタイミングで壁にぶち当たります。
その時に、他者のせいにしてしまうんですよね。
自分じゃなくて、それを期待してきたまわりの人たちのせいなんだ、と他者を恨むようになる。
「僕(私)が失敗したのではなく、僕(私)を起用した組織が失敗した」のだと。
そして、組織全体を呪うようになるんです。
もしくは、必要以上に自分で自分のことを攻めてしまうようになってしまう。
「期待に応えられないこんな自分は、組織には必要ない人間なんだ」と。
だから、本当にそのひとにとっての「居場所」をつくりたかったら、やっぱりお互いに「期待」しないほうがいいんだと思います。
ブリコラージュ方式で「いま、ここにいるメンバーの得意を持ち寄ったら、何がつくれるのか?」それをみんなで対話しながら、共に考えていくこと。
エンジニアリングの方式には、必ず「期待」が含まてしまいますから。
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組織(コミュニティ)をつくるときに、とっても大切なことだと僕は思います。
気になる方は、ぜひ『彼方のアストラ』も合わせて読んでみてください。
https://twitter.com/hirofumi21/status/1157523101782958081
わかりやすい具体例を用いながら、それぞれのキャラクターごとに生き生きとしたエピソードで理解することができるかと思います。
今日のお話が、このブログを読んでくださったみなさんの何かしらの参考になったら幸いです。