毎日、読書から得られた気づきや発見に関するブログを書いていると、よく質問を受けるのは「書籍に書いてある内容をちゃんとすべて覚えているのですか?」という質問です。

最近読んだ本に限らず、過去に読んだ本の内容まで、様々な文脈で、かなり唐突にブログに引用したりするので、きっとそのように聞かれてしまうのだと思います。

特に、僕の場合は、すべて電子書籍で管理していて手元に常に本があるわけではないので、余計にどのように管理しているのか、気になるということだと感じます。

今日はこのような質問に対して、改めてこのブログの中でも丁寧に回答してみたいなと。

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まず、本の内容をすべて覚えているかどうかという単純な話から答えると、もちろん一切覚えていません。

なので、書籍の内容を覚えていて、常にストックなどを準備しておいて、それをパズルのように組み合わて、ブログを書いている感じはまったくありません。

ブログを書きながら、唐突に思い出す感じなんですよね。

これは本当に不思議な感覚で、自らがアウトプットしようとするときに、自然とその内容に関連した過去の読書体験が、自然と立ちあらわれてくる感じというのが、一番言語化としては近いような気がしています。

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じゃあ、どうやってその立ちあられてきたものを、その都度しっかりと思い出しているのか。

ここで、その実際の書籍にあたる方法が、問題になってくるかと思います。

もちろん、自然と立ちあらわれるように思い出すと言っても、「そういえばこの議論って、以前何かの本でも読んだような気がするなあ…」程度の感じなので、このときに、ちゃんと一言一句覚えている訳ではないですし、著者や書籍名が曖昧なことも非常に多いです。

自分でも、それがよくわかっているため、僕が本を読むときには、なるべくあとから見つけやすくなるような形で読書をするように心がけています。

ただ、そういう風に語ると、すぐにちゃんと「読書ノート」のようなものをつけているように思われがちですが、実際にはそうでもありません。

数年前までは頑張って、そのような読書ノートをEvernoteで管理していた時期もありましたが、現状はそのまとめる時間さえも、もったいなく感じてきたので、本当に「これは!」という書籍に出会ったとき以外には読書ノート制作はやらなくなりました。

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じゃあ、具体的にどんなフローで本を読んでいるのかと言えば、iPad miniのKindleアプリで本を読み進めながら、気になったところはハイライトし、その中でも特に気になったところは、ページごとスクリーンショットを撮っているような形です。

基本的に、読書の記録のとり方はこれだけ。

そのようにとった記録の見返し方については、読書会などがある本の場合においては、読書会前に、すべてのハイライト部分を再読し、すべて見返していることが多いです。

このときに、ざっくりと2回目の読書が行われて、自らの記憶が強化されていく感じです。

一方で、読書会などはせずに、ただ自分が読みたくて読んでいる本は、スクリーンショット部分だけを、毎朝MacBookの写真アプリから見返しながら、前日の読書を振り返る時間をつくりだすようにしています。

そしてさらにその中から「このスクショは必ずまた見返したい!しばらくの間、自分の思考の棚においておいて、逐一見返して考えたい!」と思う内容に関しては、ハートマークをつけておいて、それをお気に入りに入れておきます。

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なので、基本的に僕の写真アプリ(カメラロール)の中には、常に書籍のスクリーンショットが大多数を占めているような状態です。(たぶん、ここにおいて完全に好き嫌いがわかれる)

そして、お気に入りに入っているスクショの写真が、常時100枚ぐらいあります。つまり書籍の見開きが1枚なので、200ページ分ぐらいが常に見返せる状態で存在している感じです。

ここは、本当にいつも定期的に見返す時間を確保していて、ここを眺めながら考える時間も設けているので、大体これを見返しながら考えていることが、そのままブログに発展することも多いです。

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で、ここからが今日の本題というか、このブログを改めていま書こうと思ったきっかけなんですが、前々回ぐらいのiOSのアップデートから、画像の中にある文字列を検索ができるようになりました。

いわゆる「OCR機能」がApple純正の写真アプリでも、標準搭載されるようになったのですよね。

で、これが最初は英語表記しか検索に引っかからなかったのですが、最近は日本語も当たり前のように検索できるようになりました。

その結果、過去10年間ぐらい、散々自らが読書する中で撮ってきたスクショのハイライト部分が、すべて検索可能となったんですよね。これが本当に画期的。


一気に、これまでの読書の積み重ねが検索可能となったような気分です。

もちろん、これは棚からぼたもちというよりは、いつかは必ず訪れる未来だと思って、淡々と自らのカメラロールに溜めてきたものではあったのですが、それが実際にできるようになった今は、本当に感動しています。

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なので、最近はブログを書いている最中に、何か思い出したい内容があれば、そのキーワードを写真アプリに打ち込みます。

たとえば、論語の「孔子」について、何か以前似たような文脈で語られているようなことがあったなあと思い出したら、写真アプリの中で「孔子」と検索をかけます。

そうすると、自分がスクリーンショットをとった写真の中に「孔子」という文字列があるものがバーっと並び、その中から自分が思い出したかった書籍のハイライトを簡単に見つけることができます。(このときに横並びになるので、完全に忘れていた本なんかも強制的に見返す機会になるので、一石二鳥です)

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もし、ここで見つけた内容をそのままブログの中で引用したい場合は、そこで実際に、ブラウザから「Kindleハイライト」のページに飛び、該当書籍の中で「Command+F」で検索をかけて、引用箇所を実際にコピペして、ブログに貼り付ける感じです。

もし、その前後の文脈も知りたければ、さらにそこからKindle版のアプリで書籍内検索をするようにすれば、前後の文脈を含めて、すべて参照することができます。

この一連の流れに寄って、大体「あの話は、一体どこに書いてあったっけ…?」と探し回ることは、ほとんどなくなりました。

物理的な本棚及び、ポストイットの力や自らの空間把握能力を頼らなくても、必要な該当箇所を引っ張り出せるようになったわけです。

本当に移動生活においても、何不自由なく読書ができる環境が整いつつあるなあと思います。

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最後に、これは完全に余談なのですが、このように、これからやってくる未来に淡々と準備をしておくことは本当に大事だなあと改めて強く思わされる出来事でもあります。

いつかやってくる未来だとわかったうえで、その時のために淡々と資産を蓄積してきて本当によかったなあと思います。

基本的に、数年後に実装される未来は、今ある技術の掛け合わせにすぎないわけですから、大体は予測して、それに備えることができる。

たとえば今だったら、きっと遅かれ早かれ、ChatGPTのプラグインなどをつかって、自らの電子書籍を網羅的に検索&参照できるようになるはずです。

だとすれば、もっと簡単に、そしてもっと分野横断的に検索したりできてしまうはず。

そして何より、その書籍が全部頭の中に入っているAIと対話をして、思考を深めたりできるようになるはずなんですよね。これはマジでヤバい。

イメージは、自分と全く同じ本の読書をした人間がもうひとり生まれてきて、その人間は一言一句その内容を覚えていて、そんな相手と、ひたすらに対話できるようになる感じ。

コンテキストを共有しているなんてそんな生半可な次元ではなく、すべての前提を共有できている最強の対話相手となってくれそうです。

だとすれば、次はソレに備えて淡々と準備していきたいなあと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。