先日、らふるの中村さんとVoicyのプレミアム配信で対談していたときに、災害が起きたあとの「自粛」について話す機会がありました。

きっかけは、今回の熊本の地震です。


一般的に語られるのは、自粛したからといって、被災地の状況が直接よくなるわけではありません。

経済を止めるよりも、普段どおり仕事をして売上の一部を寄付したほうが、具体的な支援につながることだってあるはずです。

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これまで東日本大震災やコロナ禍を社会全体で経験してきた僕らは、自粛しすぎることの弊害をもう十分に知っているはずで、だからこそ今は「こんなときこそ日常を続けよう」という考え方が、以前よりも広く共有されるようになりました。

それ自体は、きっと良い変化だったのだと思います。

ただ、その一方で震度7の地震が起きたにもかかわらず、何事もなかったかのように日常が流れていく光景にも、僕はどこか違和感を覚えてしまうのです。

僕らが10代の頃は、震度5強の地震が起きたと聞けば、社会全体がしばらくざわざわしていた記憶があります。

それが今は、震度7が起きても、翌日にはもう当たり前のように日常へと戻っていく。

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自粛しても違和感があるし、かといって、平常運転を貫いても違和感がある。

じゃあ僕は一体、どうなれば納得するんだろうと、対談をしながらずっと考えていました。

そして話している途中で、ふと気がついたのです。

これはもしかすると「自粛するべきかどうか」という話ではなくて、もっと根本的な、弔いの話なのではないかと。

僕らはいま、どうすれば「喪に服した」ことになるのかが、根本的にわからなくなっているんじゃないか。

今日はその気づきについて、改めてこのブログの中でも書き残しておきたいなと。

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この点、災害が起きたとき、僕らにできる最もわかりやすい行動のひとつは、現金による寄付だと思います。

もちろん、寄付はとても尊い行為。何もせずに心配しているだけよりも、まず具体的に行動したほうがいい。

その意見は本当にそのとおりだと思いますし、それを咎める気は一切ありません。

ただ、寄付についていつも少しだけ気になってしまうことがあって、それは、お金を払うという行為が、支援であると同時に、自分の中の後ろめたさを「断ち切る」行為にもなり得てしまうということです。

「災害が起きたら寄付をして、はい次。また別の災害が起きたら寄付をして、はい次。」

これだけ日本全国で自然災害が頻発するようになったいま、その繰り返しで本当にいいんだっけ?と思うことがなんだか一気に増えました。

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もちろん、お金を出したうえで、忘れずにいることもできます。

寄付と記憶は、決して矛盾するものではない。

それでも今の社会は、何かひとつ具体的な行動をしたことによって、その出来事について考え続ける時間まで一緒に終了させやすくなっているように思います。

その一方で、自粛というのは不思議な行為で、自粛しているあいだは、少なくとも完全には日常へ戻っていないわけです。

その出来事がまだ終わっていないということを、自分の行動によって表現し続けることになる。

だから自粛のほうが正しい、と言いたいわけでもないのですが、ただし、そこには「すぐには断ち切らない」という役割も、たしかにあるし、あったような気がするのです。

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では僕らは、いつまで断ち切らずにいればいいのか。いつまで立ち止まって、いつから日常に戻ればいいのか。

その境界線が、僕らにはもうわからなくなっている。

ここにこそ、現代のややこしさというか、社会全体での課題や問題点が隠れているように思います。

この点、僕は、昭和63年生まれなのですが、ちょうどその翌年、昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御されて、時代は平成へと変わりました。

当時の僕はまだ1歳にもなっていないので、そのときの社会の空気を直接は覚えていませんが、世の中が一気に真っ暗になったという話はよく見聞きします。

でも、そんな当時でさえ、すべての人が同じ深さで悲しんでいたわけでは、きっとなかったはずなんですよね。

すぐ次の時代へ進みたかった人もいれば、昭和が終わることをなかなか受け入れられなかった人もいたはずです。

それでも社会全体が、一度みんなで一斉に立ち止まった。そうやって一斉に喪に服したからこそ、逆説的なんですが、平成の夜がちゃんと明けたのではないかと思うのです。

もしあのとき、喪に服す人と服さない人がバラバラだったとしたら、ずっと喪に服し続ける人と、さっさと次へ行きたい人とのあいだで、社会の歯車はどんどん噛み合わなくなっていったはずですから。

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当然ですが、人はそれぞれ、悲しむ速度は違います。

翌日から仕事に戻れる人もいれば、何年経っても気持ちが戻らない人もいる。

どちらが正しいという話ではなくて、人の心というのは、本来それほどまでに簡単には揃わないものなのだと思います。

でも、だからこそ昔の人たちは、心を揃える代わりに、社会の「時間」のほうを揃えようとしたのではないでしょうか。

儀式とは、人々の気持ちを同じにするためのものではなく、絶対に揃うはずのない心を持った人々の時計を、一度だけ合わせるためのものだったんじゃないかと思うのです。

この逆説こそに、儀式の役割だったんじゃないか。そんなことに気づいた時、なんだか僕はものすごくハッとしました。

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考えてみれば、儀式には不合理なことがたくさんあります。

なぜ四十九日なのか、とか、どうして礼服を着るのか、とか。

ひとつひとつに「なぜ?」と問い続けていけば、すべての人が納得できるような合理的な理由は、きっと見つかりません。

でも、だからこそ意味があったのかもしれないと。

というのも、悲しみの深さや期間を一人ひとりが話し合って決めようとしても、絶対に最初から折り合いはつかないからです。

ある人が「もう十分悲しんだだろう」と言えば、別の人は「いや、まだ全然足りていない」と必ず言う。それぞれが自分の心を基準にする限り、客観的な正解には絶対にたどり着けない事柄なんです。

だから昔の社会は、「そういうもんだから!」という答えを、先に社会のなかに明確に置いたのだと思います。

四十九日という期間が客観的に正しいからではなく、どこかに区切りを置かなければ、残された人たちが次の時間へ移れないから。

ここで、僕の中である順序が一気にひっくり返りました。

つまり、儀式があるから、僕らは弔うのではない。

折り合いのつくはずがない個々人の弔いという行為を、半ば強制的に社会として成立させるためにこそ、儀式というものは発明されたのではないか、と。

儀式の不合理さは、未熟な時代のスピリチュアル的な名残なんかではなく、合理的には決着しない個々人のこころの問題を社会的にハッキリと決着させるための、人類の知恵であり叡智だったのかもしれません。

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もちろん、葬儀を終えたからといって、人の心が本当に整理されるわけではありません。大切な人を失った悲しみは、そんなに都合よく消えてはくれない。

儀式をすればきれいに立ち直れる、なんてことは絶対にないはずです。

では、それでもなぜ儀式を行うのか。

それは「既成事実」をつくるためだったんじゃないかと、僕は思っています。

たとえば、卒業式を終えれば、本人の気持ちがまだ学生のままでも、その人は卒業生になる。退任式を終えれば、本人に未練が残っていても、その役職からは離れることになる。

それと同じように、葬儀を終えれば、気持ちのほうはまだ全然受け入れられていなくても、その人がもう生きて戻ってこないという事実だけは、社会の側で引き受けたことになるわけです。

つまり、気持ちの整理ができたから、次へ進むのではない。気持ちの整理ができていなくても、社会は次へ進まなければならないからこそ、ムダにしか思えない儀式を行う。

これは一見、少し冷たい仕組みにも見えます。儀式を終えたことで「もう終わったことだから」と強権的に言えてしまうからです。本人の心がまだ悲しみの中にあっても、周囲は次へと進んでしまう。

ただその一方で、誰かひとりの悲しみに社会全体が永遠に引っ張られ続ければ、残された人たちの生活は成り立たなくなってしまう。

人の気持ちを完全に救うことはできない、それでも社会(世間)は動かさなければいけない。

儀式は、そのどうしようもない矛盾を、ずっと引き受けてくれていたのだと思います。

儀式は足を引っ張るものと思われがちだけれど、実はその真逆で、ちゃんと弔って、社会や共同体として再出発するための加速装置だったとも言えそうです。

まさに急がば回れ、みたいな話です。

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とはいえ、昔の儀式には窮屈さもたくさんありました。

そして、僕らは、そうしたしがらみを「封建的でクソめんどくさいもの」と少しずつ壊してきました。

葬儀に出なくても故人を大切に思うことはできるし、普段どおり働きながら心の中で喪に服すこともできる。それよりも、一人ひとりのライフスタイルと本人の気持ちを尊重しよう、と。

それは間違いなく大切な前進だったと思いますし、僕自身、昔の窮屈な共同体へ戻りたいわけでは決してありません。そこはくれぐれも誤解しないでもらえると嬉しい。

ただその代償として、儀式から自由になったことで、僕らは悲しみ方も、区切りのつけ方も、日常に戻るタイミングも、ぜんぶ自分ひとりで決めなければならなくなった。

しかも厄介なのは、自分のことだけでは済まないことです。共通の決まりがなくなると、僕らは、他人の振る舞いが異様に気になり始めます。

「こんなときに楽しそうな投稿をするなんて不謹慎だ」「いつまで悲しんでいるんだ」「自粛を他人に強要するな」と、それぞれの言い分にはそれぞれの圧倒的な正しさがあるから、いつまで経っても絶対に折り合いがつかない。

その証拠にSNSでは、そんな水掛け論争が日々行われているわけですよね。

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そう考えると、昔の儀式というのは、個人を縛るためだけにあったのではなくて、個人同士が直接、相手の悲しみ方を裁き合わなくても済むようにするための防波堤でもあったのかもしれません。

「そういうものだから」という共通の絶対に覆せない決まりさえあれば、相手の内面までいちいち確認する必要はないですから。

形式というのは、心がこもっていないものとして批判されがちですが、でも他人のこころを完全に理解することなんてできないからこそ、僕らには必然的に「形式」が必要だったんじゃないかと思うのです。

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そしてこの問題は、AI時代にはさらに複雑で厄介になっていくはずです。

なぜなら、亡くなった人の文章や音声や映像を学習させて、その人らしい言葉を発するAIをつくることは、すでに技術的に可能になりつつあるから。

亡くなった人が、死後においても僕らに話しかけてくれて、励ましてくれて、相談にも乗ってくれて、生前には言わなかった新しい言葉まで、次々と語り出してしまう。

それによって喪失から救われる人は、きっといるのでしょう。そして、深い喪失の中にいるとき、たとえそれがAIによる真っ赤なウソだとわかっていても、その声にすがりたくなってしまう気持ちは、僕の中にも確かにあると思います。

ただ、弔いとは本来、亡くなった人がもう新しい言葉を発しないという事実を受け入れることでもあったはずなんですよね。

死者は、もう喋らない。だからこそ、生前に交わした言葉や、死者に対して誓った約束が、その後もずっと変わらないものとして、ちゃんと残り続ける。

ある意味でそれは呪いのようなものですが、その変わらなさこそが、残された人を生かし続けることだってあるわけです。

もし死者を模したAIが、あとから新しい言葉を語り続けたら、その約束はどうなってしまうのか。

僕らが失いつつあるのは、古い葬儀の形式だけではなくて、生者と死者のあいだに境界線を引くための、共通の作法そのものだと言えるのかもしれません。

つまり、これからはこの社会の歯車、その足並みがもっともっと揃わなくなることは必定。

そして、結果として、もっともっと共同体は再出発する契機を失っていく。

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結局のところ、自粛したほうがいいのか、普段どおり日常を続けたほうがいいのか、その答えはいまだに僕にはわかりません。

ただ、これは自粛の問題ではなくて、共同体における「弔い」の問題なのだ、ということだけは、今回の中村さんとの対談を通して、少しだけわかった気がしました。

僕らは、悲しみから自由になったわけじゃなく、悲しむための共通の形式を、失っただけなのだと。

いま僕らに必要なのは、昔の儀式を復活させることではなく、個人の自由を守りながらも、異なる速度で悲しむ人たちが、もう一度同じ社会を生き始めるための、AI時代の新しい形式を考えることなのかもしれない。

誰かが亡くなるたびに、大きな災害が起きるたびに、いつまで立ち止まればいいのか、いつから歩き始めていいのかを、僕らはその都度、いちから問い直すことになります。

そしてそのたびに、それぞれの故人を大切に思う気持ち同士が見事にバッティングして、お互いに殴り合い、そして傷つけ合ってしまう。

だからこそ、先人たちが生み出してくれた共同体全体で「喪に服す」という習慣、そこに敬意を払いたい。そして現代にあった新しい形を、ちゃんと模索していきたい。

このあたりの弔いの話は、自分の中でもとても大きなテーマのひとつなので、これからも折に触れて考え続けていきたいなと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となっていたら幸いです。