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去年の僕は、かなり意識的にニュース断ち(SNSからのインプット)を試みました。
そのきっかけは、ロルフ・ドベリの前著『Think clearly』を読んだから。
今回の新刊では「ニュース断ち」の部分によりフォーカスを当てて書かれており、
「なぜ僕らはニュース断ちするべきなのか」という話がさらに詳しく書かれています。
今日は実際に、自分自身でニュース断ちをした経験を通して思ったことを、少しだけこのブログにも書いてみたいと思います。
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社会人として、足がすくみそうになるこの実験してみて気づいたことは、
「自己のアイデンティティが崩壊するように感じてしまうこと」が一番大きな恐怖なんだなと思いました。
これはやってみるまで、わからなかったことです。
具体的には、「〇〇について詳しい自分」がいなくなる感覚が、なんとも言えない背筋が凍る感覚がするのです。
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「ニュース断ち」をしてしばらくすると、
「えっ?知らないんですか?」と言われる回数が一気に増えます。
このときに、そのニュースのジャンルが、いつも追っていた業界の話であればあるほど、そのことがとても怖く感じます。
しかし、その「知らない」ということで何か実際に問題が生じたのかといえば、何も起きませんでした。
「何かしら困ることはあるだろう」そうやって半分諦めて始めたことでもあったにも関わらず、本当に一切なにも困らなかったのです。
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相手に臆せず「どんなことが起きたのですか?」と聞けば、必ず丁寧に何が起きたのかを教えてくれます。
そして、ニュースの代わりに、日々の読書などを通じて行なってきた深いインプットによって、それが社会にどんな影響を及ぼすのかも自然と理解できる。
逆にニュースを教えてくれた人に対して、その読み解き方を解説できてしまうほどに、深い洞察ができるようになっている自分に気づきました。
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ニュース断ちすると、当然時間が生まれます。
僕の場合は、一日あたり大体1〜2時間ほど増えた感覚があります。
もちろん、その時間が手持ち無沙汰になる。
この時間に集中して取り組めることがたくさんあるのですが、僕にとって歴史を学ぶことは、まさにこのニュース断ちをした賜物でした。
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ニュースに翻弄されていると、どうしても社会の小さな変化ばかりに気を取られて右往左往させられてしまいます。
しかし、人間にとって本当に重要なことは、長い歴史の中でそれほど大きな変化はない。
むしろ、そうやって深いところに潜った結果として得られた知見の方が重要で、他者からおもしろがってもらえます。
なぜなら、みんな浅瀬で繰り広げられるニュースを頼りに、そこで拾ったものの「大きさ」や「数(多さ)」ばかりを比べて勝負しているからです。
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一気に深いところまで潜っていくと、現代では誰も話題にしていないようなおもしろいものが見つかる。
その上で「こんなにおもしろいものが落ちてたよ!」と伝えると、
最初は「なにそれ?価値あるの…?」と怪訝な表情をされてしまいますが、
そのおもしろさを丁寧に紐解き、相手にしっかりと理解してもらえれば、かなり高い確率で興味を持ってもらえます。
本当の意味で、他者とはまったく異なる土俵で勝負することができるようになるのです。
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とはいえ、これまでの習慣となっていた「ニュースを見る」という行動を一切やめてしまうということは、とても恐ろしいことに変わりはない。
最初は、断食やファスティングと同じような感覚で始めてみるといいのかなと。
具体的には、一生続ける必要はない、明確に期間を定めてから試してみる。
そうやって、一定期間実践してみて自分の身体で経験し、試してみる価値は十分にあると感じます。
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ニュースまみれの生活から一度抜け出し、その効用に触れてしまうと、定期的にその状況に戻りたくなるはずです。
そして、その期間が少しずつ長くなっていく。
そうなると不思議なことに「本当に自分にとって有益なニュースとは何か?」も身体が勝手に判断してくれるようになる。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
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