僕らは、この世には何か絶対的な成功法則のようなマニュアルが存在すると思いがち。

だから、誰かの上手くいったマニュアルを求めて、日々彷徨い続けてしまうわけですよね。

現代人は、そんな「これを選んでおけば間違いない」という他者のマニュアルを見つける嗅覚だけは非常に優れているなあと思います。


ーーー

しかし、そんな絶対的に正しい成功法則のようなものは、そもそもこの世には存在しないのかもしれません。

本当は、もっともっと個別具体的であるはずなのです。

たとえば仏教、特に禅の世界における禅問答などに代表されるように、明確な答えなどは最初から決まっていない。

大切なことは、目の前の仏弟子が悟る体験をすることであり、そのためには、ありとあらゆる方法を用いて目の前の相手を導こうとするわけです。

「嘘も方便」という言葉もあるように、そうやってその時々に合わせた方便を用いて正しい方向へと導いていく。

だからこそ、仏教はさまざまな宗派に分かれていき、僕らのような素人目線には「全然違うことを主張しているじゃん!」と思えてしまうようなことであっても、結局は全て同じくブッダが説いた「悟る」ためのゴールに向かっているわけです。

ーー

そう考えると、僕らが感じてしまう矛盾というものは、そもそも普遍的なマニュアルに落とし込もうとした瞬間に生じる矛盾(嘘)でしかないのかもしれません。

目の前の相手に対して総合的に判断している側からすると、一ミリも矛盾していないことになる。

そもそも、矛盾しているか否かを判断しているレイヤー自体が異なると言えばわかりやすいでしょうか。

そして、その総合的な判断とは「臨床的であること」なのかもしれないなあと思い始めています。

というのも最近、臨床心理学者の河合隼雄さんの対談本を立て続けに読んでいて、「あぁ、まさにこのスタンスだ」と強く実感しました。

特に以下の本の中で詳しく語られている「臨床」的であることがまさにこのお話に近い。

ーーー

僕自身も、このオンラインサロンを始めてから、個別具体的に判断することの意味をより一層強く実感し始めています。

それまでは、漠然とした「読者(ペルソナ)」や「聴衆」に対して、より多くの人に理解してもらえるようにと語り続けてきましたが、そうするとどうしても相手を「記号」や「データ」のように捉えて発信してしまう。

しかし、サロン内の対話では、常にメンバーさん一人一人に個性があり、彼らとの一期一会を大切にして向き合っていると、その場に合わせて、全く逆のことを言っている自分に気がつきます。

でも、僕が他者に得て欲しい気付きや体験というのは、常に変わらず同じなのです。

ーーー

個別具体的に目の前の相手に対応し、そこで得られる発見の中にこそ本物の普遍が宿る。

言い換えると、自己と他者の区別がなくなる境地。

この感覚には、「ソレ」という明確な状態があり、

逆にいえば「ソレ」としか言えない境地でもある。

僕らはこの境地をいつも目指すべきであり、決して先人たちが歩んだ道のり(マニュアル化された何か)をなぞろうとしてはいけないのだと思います。

なかなか言葉にしにくいお話ではありましたが、少しでも今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

ーーー
6月のWasei Salon体験会(説明会)はこちら。