人間は、自分が手に入れたいと願うものを、まずは他者に与えることによってはじめて、自分自身も本当の意味で手に入れることができる。
僕自身が多くの失敗を繰り返しながら確信することができた、世界における数少ない真理のひとつです。
今日はそんなお話を少しだけこのブログにも書き残してみたいと思います。
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この点、どれだけ自分が受け取るに値する人間だと論理的に主張し、それをわかりやすく他者に説明できたところで、本当の意味で自らが受け取ることはできません。
一瞬は得られるかもしれないけれど、それは短期的に奪っているような状態に過ぎず、そこに持続可能性はない。
思うに、近江商人の「三方よし」と呼ばれる「買い手よし、売り手よし、世間よし」の商人哲学なんかも、決して偽善的な話ではなく、単純にそれが世界のルールだと理解し彼らは忠実に従っていたに過ぎないのだと思います。
近年であれば、クラウドファンディングなんかも非常にわかりやすい例かなと。
受益者として自分を見立てたプロジェクトにしてしまった瞬間、それがどれだけ論理的に正しいプロジェクトだったとしても必ず失敗に終わります。
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この事実は、貧困問題や差別問題など、緊急度や重要度が高い搾取構造の話であっても、全く同じこと。
どんな状況に置かれていようとも、まずは自分が起点となって他者に与えることでしか、本当の意味で自分が受け取ることはできない。
ほかにも例えば、家族をつくってから突然人生がうまく回り始めるひとっていますよね。
彼らもきっと、自分が贈与するべき対象が明確になったがゆえに、人生がうまく回り始めたにすぎないのだと思います。
一方で、家族を作って不幸になるタイプのひとは家族から自らが受益しようとするから失敗する。
「この私が幸せになるために!」と我欲を満たすために家族をつくってしまうと、不幸になってしまうのは当然の理
です。
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そう考えてくると、
「どうすれば、この私がより多くを得られるのか」
その問いの立て方自体が、そもそも大きく間違っていることに気づけるはずです。
そうではなく、
「どうすれば、この私がより多くを贈与できるのか」
という問いの立て方のほうが、正しいことに気づけるはず。
にもかかわらず、現代に生きる僕らは「自分がより多く受け取れる場所」ばかりを必死で探し求めている。
会社や学校を選ぶとき、日常のお店選びなんかにおいてもそうです。
少しでも「得をする」ことが賢い行動であると、消費者マインドに毒されてしまっている。
それがゆえに、絶対に失敗してしまう呪縛から逃れられないでいるわけですよね。
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だからこそ、考え方を180度改めて、
「どうすればこの私(という他者)がより多くを贈与したくなるのか」を真剣に考えてみるべきなのだと思います。
具体的には、怠惰でズルくて、意地が悪くて、人の目を盗んで、いつだって独り占めしたくなる愚かな自分を、
真理を目の前にしてちゃんと覚醒しているときの自分が、丁寧にお膳立てしてあげる。
人によってこの基準は大きく異なるでしょう。
「周囲にいる仲間が肝心だ」というひともいれば、「その集団の文化の風通しの良さ」や「居心地の良さのほうが重要だ」というひともいるでしょう。
過去に気持ちよく贈与できたときのことを思い出してみながら、その要素をリストアップしてみて、そのリストの条件に素直に従ってみること。
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そうやって、どんなに卑しい私が現れたとしても、勝手に贈与したくなる仕組みをつくりだす。
「自分はいつだって最後のおこぼれでいい」と自然に思える空間に身を置いてしまえたら、これほど強靭な状態はありません。
世間一般的には「何をバカな…」と一笑されて終わってしまう話だとは思いますが、いつもこのブログを読んでくださっている方であれば、少しでもきっと思い当たる節はあるはずです。
そんな方々にとって、今日のお話が何かしらの参考になれば幸いです。
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2021/06/23 11:12