トークンエコノミー、特にFiNANCiEのすごさは、既存のステークホルダーが、一方的にそのトークンを無関係の第三者に贈与することができて、「ステークホルダー」を勝手に増やすことができてしまうことだと思います。

これは昨日の内容にもつながってくるようなお話です。


当然、それを贈与された人は、そのことによって得することはあれど損をするわけではありません。

つまり、このトークンの登場によって「推し活」の布教概念自体が、本当に大きく変わる可能性を秘めているわけです。

言うなれば、そんな「推し活2.0」みたいなものがいま出現してきていて、その可能性を今日は丁寧に考えてみたいなと。

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たとえば、大口のひとがガバっとトークンを手に入れて、それを自らの親しいひと、たとえば知人や友人、自らが所属しているコミュニティメンバーに丁寧に配るということが容易に行えるようになっていく。

もちろん、それをもらった側の意識としては知り合いからのもらい物なので、そこまで簡単には手放さないかと思います。

そして、最初はまったく興味がなかったとしても、そのトークン価格が動き、値上がりなどもしてくれば、きっとそのトークンを発行しているプロジェクトやコミュニティの活動、そのインフルエンサーのこと自体を気にするようになるはずなんですよね。

つまり、そうすることでシンプルに、より多くの人からのアテンションも集まる。

「注目=価値そのもの」となりつつある時代において、その循環が起きることで自然とトークン価値自体もジワジワと高まっていく可能性は、非常に高いかと思います。

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もちろん、再び繰り返しになりますが、贈与されたタイミングから、トークン価格が下がったからといって、贈与に関わったひとたちの中で、損するひとは誰もいません。

そう、本当に誰ひとりとして損はしないのです。

「いやいや、配った人は損をするだろう」と思うかもしれないんですが、配るために買ってそれをプレゼント、つまり贈与行為を完了した時点で、相手への感謝の意思表示はそこで完全に目的が達成して終了し、トークンのプレゼントとしての役目は果たされるため損はしていない。

これは逆の視点で言えば、トークンの値動きで損得勘定が発生するのは、みんな自分の身銭を切って「自分のため」にそれを買っているから、なんですよね。

言い換えると、購入の目的が「投資」、つまり投下した原資が投下したタイミングよりも増えることを目的としているから、トークンの値動きがそのまま直接「損得勘定」にもつながるわけです。

最初から、他者のために買って、そして手に入れたタイミングで、それをそのまま他者に贈与していれば、その時点でその行為の「目的」は完全に果たされてしまう。(とっても不思議な話ですが)

そして、FiNANCiEのさらにすごいところは、それを見越してなのかわかりませんが、このユーザー間同士の送り合いでは、一切手数料のようなものを取らないところが、地味にめちゃくちゃすごいところだなあと思うんですよね。マジで革新的。

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もっとわかりやすく具体例を用いてお伝えしてみると、

たとえば、Xというプロジェクトのトークンが自分の手元に合計100トークンある場合を想定します。

その100トークンを自らの日本円と引き換えに手に入れたトークンだったら、それを手放す自由は自分に100%存在する。

でも、それがAさん、Bさん、Cさん、Dさんから250トークンずつもらったものだったら、やっぱり自分が購入した場合とは異なり、気軽には手放さないはずなんですよね。

そして、もらった相手にも、非常に感謝をしてしまうはずで。

この話って、地味にかなりすごい話だと思いませんか。

FTであるにも関わらず、他者と贈与と交換を繰り返すことによって、そこにガチホの強制力のようなものが、自然発生的に生まれてくるわけですから。

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「とはいえ、トークンを配ってばっかりいるお人好しのひとなんているのかよ」と思うかもしれないけれど、手に入れた半分を配りまくっても、もし手元に残ったトークンがその贈与と交換の循環の中で価値が高まり、もとの2倍になれば価値はもとに戻るわけでだから、配る意味は着実に生まれてくる。

まさに「価値があるから交換するのではなく、交換するから価値生まれる」の話ですよね。

ということで、きっとこれからは、コミュニティメンバーに対して日頃の活動の感謝の意を込めて、他者や他コミュニティのトークンを、自分たちのコミュニティメンバーに対して配っていくという流れは、着実に増えていくと思います。

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そして、これこそが、まさに次の時代の富の偏在を打破するための「再配分」につながっていくんじゃないのかなと思うんですよね。

だって、そうやってコミュニティ内でトークンが配られて、その権利を獲得できるといういことは最初は持たざる者であったとしても、コミュニティ内の活動や貢献度に応じて、それらを無償で手に入れられる可能性が生まれるわけですから。

そうしたら、みんなで平等に、その高まった価値の恩恵を受けられる。

また、さらにこれが「反」ではなく日本的な「脱」の思想にもつながっていく気がしているんですよね。

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というのも、先日、映画『ダム・マネー ウォール街を狙え!』を観ました。


これは、アメリカで起こった「ゲームストップ株事件」の実話をモデルにした映画であり、インターネットコミュニティのちからによって、空売りを仕掛けていた大手ファンドが個人投資家コミュニティの結束力に、してやられたというお話です。

当時ニュースでは、アメリカで何がおきたのか把握していたつもりでしたが、実際に映画で観てみるとまた全然違った印象を受けました。

NFTコミュニティに参加しているひとはぜひ観に行って欲しい。ものすごく既視感がある光景かと思います。

で、僕がこの映画を観ながら思ったのは作中でも語られていたけれど、「現代版のフランス革命」みたいな話だなと。

とはいえ、日本のトークンやNFTの扱われ方というのは、そういう富裕層を仮想敵に仕立て上げた話じゃないと思うのですよね。つまり「反・格差」ではない。

どちらかというと、もっとそういうひとたちとは別の次元において、コミュニティの活動を通して淡々と自分たちのつくったものの価値を高めていこうという思想運動のほうが正しいと思います。まさに「脱・格差」のような流れ。

まさに、web3時代だからこそできることが、少しずつそれが実現しているように思います。

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さて、今日の話を書いてきて、自分の中で一番強くそうだったのか!と腹落ちしたことは、自分たちのコミュニティメンバーに対して、自分たちのコミュニティのトークンを配るわけではなく、他者のコミュニティのトークンを配ることが、これからの正解だったんだ!ということです。

「コミュニティ内通貨」とも呼ばれるようなトークンですから、コミュニティ内での利用を促進するものだと完全に誤解してしまっていましたが、そのコミュニティ内のトークンをコミュニティ外で用いるからこそ、そこに価値が生まれてくるという逆転現象。

お互いのコミュニティトークンを持ち合っていくこと。VALUのときも「VA交換」のような相互の持ち合いが一番最強でしたが、それがコミュニティ同士のあいだでも起こっていくということだと思います。

本当に何よりもまずは、自分たちではなく、他者を勝たせることに尽きますね。それが人生の鉄則であり、一丁目一番地だと改めて強く思いました。

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もちろん、ここで無闇矢鱈と誰に対しても配ってしまっては、まったく意味がないことは言うまでもない。

もし、自分のSNSのフォロワーなんかに配ってしまったら元の木阿弥です。有象無象の人間がそこに存在しているわけですから。

そうじゃなくて、その価値を大切に扱ってくれると初めから信頼がおけるひとたちに、ドンドンとトークンを配っていって初めてそこに意味が生まれてくる。

逆に言うと、そうやって信頼がおけるひとたちが集まっているコミュニティメンバーが揃っているコミュニティに運営・所属できていること自体が、次の時代の「資産そのもの」になっていくんじゃないでしょうか。

所属しているだけで価値が出る(かもしれない)ものが自然と降ってくるわけですから。

あとは、自分たちが思い描く未来や理想的な世界観や文化を信じて、それをガチホし続けるだけです。

そして、これは逆説的なんだけれども、そのときに、あまりお金を得ること自体には興味がないメンバーが揃っていることも、非常に重要だなと。

それよりも他者を思いやり、敬意を持って応援し合う文化を共有している人たちが集まっていれば、より一層有利に働く。

なぜなら、誰も我先にと焦ってそれを現金化しませんから。それよりも、もらったものを持ち続ける静かな意思表示によって、相手のことを長期的に応援し続けるはずです。

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何はともあれ、僕は今日の話を通じて、自分が応援したいひとやコミュニティのステークホルダーを、トークンを用いて淡々と増やしていきたいなあと思いました。

これは「リツイート2.0、拡散2.0、フックアップ2.0」そんなあり方とも言えるし、そんな姿でもあると思います。

こうすれば、本当になめらかに「再分配」や「格差」を排除した社会をつくっていくことができてしまうかもしれないなと感じています。

いつもこのブログを読んでくださっている、みなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。