サンクコスト(埋没費用)について、どの本にも大抵書かれている有名な話が、映画館の話。
今あなたが映画館で1800円を支払って映画を見始めた。しかし、開始15分でつまらないと気付いてしまった。
既に1800円は支払ってしまったのだから、それはサンクコストだと見切りをつけて、早々に映画館を出たほうが、合理的な選択である、と。
これにさらに拍車を掛けて、気になる飲食店に入ってみて、前菜で「違う」と思ったら、最初に頼んだ料理の分の代金を全て支払って、お店を出るというグルメ通の方もいるそうです。
理由は「貴重な時間と、せっかくの空腹がもったいないから。全額をちゃんと支払えば、お互いにWIN-WINになる」と。
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とはいえ、僕ら一般市民からしてみると、やはりどこか「もったいない」や「後ろめたさ」を感じる部分があるでしょう。
また、優しくてマジメなひとは、一緒に映画を観に行ったひとの気持ちや、料理人の気持ちも同時に考えてしまうはずです。
もちろん、彼らの気持ちを考えることも重要ですが、そこで自分のホントの気持ちに嘘はついちゃいけないと思うのです。
具体的には、その「後ろめたさ」に引っ張られて、「今この場にはサンクコストは存在しない」と自己暗示をかけてしまうこと。
大切なことはいつだって自分の心に正直に、主体的に選び取ることです。
払ってしまったお金や、相手に対して申し訳ないと思う受動的な気持ちに惑わされないこと。
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時間と、本来経験できたかもしれない身体的な余白(精神力や体力)こそが有限で、いちばんもったいないことは紛れもない事実なのですから。
もし同伴者や料理人に敬意を払うなら、それが最優先すべき事柄だと心の底から納得すること。
外形的に全く同じ行為だったとしても、自己に与える影響は全く異なります。
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そして、何よりも僕がもったいないなあと思うのは、「やるかどうか」を悩んでいる時間です。
たとえばこのコロナの自粛期間中に、家で過ごす時間が増えたため、Netflixなどで映画を観ようと思った方も多いと思います。
そんな中、前から観たいと思っていた作品を候補として挙げつつも、
「これを最後まで観ると2時間も消費してしまうわけだから、こちらの作品のほうがいいかも…」と、作品を選り好みしてしまう。
そして、気付いたら1時間ほど経ってしまい、結局1本も映画を観れなかった。そんな経験をしたひとは案外多いのではないでしょうか。
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これらの話を踏まえて、最近強く思うのです。
僕らが本当に身につけるべきは、莫大な富(お金や自由な時間)ではなく、自分が本当に心の底から求めているものに出会えるためのセンスなのだろうなと。
そのセンスを身につけるためには、自分が本当に心からから満たされると感じた経験を増やすしかない。
つまり、どうやったら良いものに出会えるのか?という身体的な経験値を増やすほかないのです。
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だからこそ、サンクコストを恐れずに、とにかくまずはやってみること。
上述の例なら、とりあえず15分でも良いから気になる映画を再生してみる。
その上でつまらなかったら、サクッと観るのをやめて次の映画を再生すれば良いのです。
この経験を何度も繰り返し、自ら主体的に選び取っていくこと。それこそが自己のセンスを育むために必要不可欠だと思います。
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つまり、センスとは「自分の判断で、どれだけサンクコストに対して見切りをつけることができたのか?」にすべてが掛かっていると言っても過言ではないのだろうなあと。
僕はこの事実に気がつき、習慣にすることができてからは、気持ちがとても楽になりました。
そして、人生の中で「当たり」に出会う機会も格段に増えてきた。
「遊び感覚で色々やって、成り行きを見守れ。」
これは先日Wasei Salonの中で開催した読書会の課題図書にした『仕事は楽しいかね?』に出てくる一文です。
まさにこの感覚。
「とりあえず、やめておこう。」ではなく
「まずは、やってみよう!」
「どうせ、できるわけがない。」ではなく
「じゃあ、どうすればできるのか?」
そうやって発想を変えていくことで、まったく予想もしていなかった、しかし、自分が本当に求めているものはこれだった!と思える体験へと自然と導かれていくはずです。
今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考となったら幸いです。