先日、とあるきっかけで「窓」というプロダクトを体験させてもらいました。
もともとSONYにいた方が独立してつくった会社の製品で、コンセプトは「どこでもマド」。遠隔で対話をするためのプロダクトです。
大画面の液晶テレビがちょうど縦型になったようなイメージ。詳しくは下記のリンクをご覧になってみてください。
この「窓」を通して、実際に制作した方にお話を聞かせてもらったのですが、これが本当におもしろかったですし、とっても貴重な体験でした。
Zoomなどが一般化した現代においても、リモートの対話ってまだまだ改善の余地があるんだなあと、久しぶりに実体験を通して、素直に感動してしまいました。
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では、具体的に何がすごかったのか。
まず音がすごいです。遅延がほとんどないし、会話が被らない。
本当に、体感として「隣にいる」感覚で話せる。開発者の方は「これだとリモート飲み会も疲れないですよ」とおっしゃっていましたが、たしかにそうだろうなと思わされました。
Zoomは、発話者の声だけが拾われる設計で、あれはあれで使いやすいのだけけれど、Zoomはどちらかというと「情報伝達」という手段に特化をしている。
あのようなリモート会議の仕組み自体、もともとは軍事用から開発されているらしく、古くは無線みたいなものなのでしょうね。
ゆえに、どうしても構造的なヒエラルキーも生みやすい。
でも「窓」はそうじゃないんです、会話がそのような伝達手段ではなく、ちゃんと同席になるイメージなんです。
これは文字では伝わらないと思うので、もしどこかで見かけたら、できれば体験してみて欲しい。
既に日本全国に「窓」が1000枚ぐらいあるらしいので、見掛ける機会もきっと増えてくるのではないかと思います。
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さらに驚いたのは、「そばにいる、隣にいる、共にいる」という感覚において、制作者の方が特に強調していた点であって、それが、映像を通して相手の「丹田」が見えること。
これがZoomとは一線を画する共時性を生み出すのだ、と。
ちなみに、「窓」のプロダクトページには以下のように書かれています。
遠くにいるのに、触れそう。
遠隔コミュニケーションに慣れた今でも驚くほど、"会った"と感じる体験を実現しています。
まるで魔法のようだから、よく「どこでも窓」と呼ばれています。
全身が映っていればいいわけでもない、人が本当にリアルだと感じるための科学や技術や知恵を組み合わせました。
気配、空気、雰囲気、気分。「いい気」がするのは、気のせいじゃないんです。
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で、この魔法のカギが、「丹田」にあるのだと思います。
お互いにリアルに対話している感覚になるためには、相手の「腹」までが見えている必要がある。
誰もが知るところだと、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の絵を想像してみてもらえると、きっとわかりやすいかと思います。
バストアップではなく、あれぐらいの丹田が見えるぐらいの範囲がお互いに親近感を抱きやすいということです。
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で、これは逆に言えば、僕らはリアルの対話の時に無意識のうちに相手の「腹」を察知しながら、相手と対話しているということでもあるんだと思います。
その証拠に日常的に使われる慣用句「腹を割った、腹黒い、腹を見せる、腹に落ちる…」などなど人と話す時には、腹こそが実は重要であることを示している。
なおかつ、それはとても東洋的な感覚でもあるのだと思います。
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この感覚を、日本人(SONY出身者)の方がつくるプロダクトで深く体感させてもらえるのが、本当におもしろいなあと思いました。
生成AIや、フィジカルAIの登場によって、これから人間の生身の身体性がドンドン重要になってくるときに、このような日本的な感覚(暗黙知)って、より一層重要になってくるなと思いますし、この点において、日本もしくは日本人の持つポテンシャルは意外と高いんだろうなとも同時に強く思いました。
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この「窓」というプロダクトを通じて、遠隔の講演会やトークイベントはもちろんそうですし、Podcast収録なんかにも活用できれば、素晴らしいだろうなあと思います。
もちろん、プライベートの場面でも活躍することは間違いない。単身赴任とか、実家の両親とつなぐとか。
窓ひとつを介して、隣にいるような感覚になれることは間違いないと思います。
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ただ、そのあとも、しばらく考え続けました。
僕は一体、これの何が「良い」と思ったのか。何が「すごい」と思ったのか。
建築設計士の黒木さんに、その問う姿勢を教えてもらったばかりなので、しぶとく考え続けてみました。
そして、その中でふと感じたことは、これは宗教観や死生観がガラッと変わってしまうプロダクトになるんだろうなと。
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このような「窓」の常時接続が当たり前になれば、きっとこの窓で異界(あちら側)とつながる疑似体験なんかも味わえてしまうはずです。
窓の先にいる人間が、死者のAIアバターになったら、これ自体が未来の仏壇になりそう。サイズ感も、なんだかこころなしか似ています。
大型スクリーンなので、金額が高いのは事実であり、本体が諸々のセットで65万円で、月額3万円で運用できるとのこと。でも、これも仏具だと思ったら、それほど高くない気もしてくるから不思議。
お墓自体が窓みたいになる未来もある。お寺や教会に行けば、死者に窓を通して出会えるみたいにもなっていきそうだなと。
そうなったら、本当にいろいろと価値観の変化がヤバいだろうなと。
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で、ここまで考えて思ったのは、そういえば仏壇に遺影を飾る文化はいつからだったんだろう?と思い、実際にAIに尋ねてみました。
この点、近代以前の死者表象の中心は、基本的に位牌、つまり戒名だったそうです。
そして明治以降、写真技術と戦争が結びつき、戦死者の肖像を家の座敷などに飾る風習がうまれてきた。
そのうえで、葬儀の祭壇に遺影写真を置くように制度化していくのは、大正末〜昭和前期のことだったらしいのです。
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つまり、位牌(戒名という「文字」)から「写真」へ、という世代交代はずっと昔からではなく、わりと最近起きてきた出来事だったということですよね。
でも僕らはこの世界に遅れてやってきたわけだから、仏壇と死者の写真はセットだと思い込んでしまっている。
でも、死者の名前(戒名)という概念を拝むことが本当は最初だった。そりゃあ、戒名が高額になる理由もわかります。
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で、だとすれば、写真から動画へ、つまり静止画から「インタラクティブに対話する映像」へ移ることだって、次の数十年スケールでは十分にあり得るだろうなあと。
それは、結果的に、「窓」みたいなもので行われるのではないか。
死者は、その時点で確定されるモノとして僕らは捉えてしまいがちだけれど、その死者を「代表」するもの自体が、時代ごとに変わっていくのは、なんだか必然のような気がします。
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ここで少し話がそれてしまいますが、最近読んでいた松岡正剛の『知の編集工学』という本の中に、「この世」と「あの世」に関して、とってもおもしろい話が語られてありました。
松岡正剛は、「ここ」と「向こう」があって、その向こうこそが、ここを規定するのだと語るのです。
少し本書から引用してみます。
最初の二つの世界とは、何か。いわゆる「この世」と「あの世」である。私はこれを“here”(ここ)と“there”(むこう)とよんでいる。
最初のワールド・モデルは「あの世」(there)を構想することでつくられた。死者の国であり、根の国である。(中略)ついで、この仮想世界のモデルにもとづいて「この世」(here)の世界が次々に設計された。「ここ」から「むこう」へではなく、「むこう」から「ここ」が類推されたのだ。
この話は本当に目からウロコであり、完全なる逆転の発想だなと思います。
僕らは、まず自分たちが暮らす「ここ」があっての「向こう」だと思って疑わないのだけれど、松岡正剛は「そうではなく、逆だ」って教えてくれている。
「向こう(人間が考える仮想世界としての向こう)」がまずあって、そのうえで、こちら側の「ここ」が規定されている。
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そして、今まさに何が起きようとしているのかと言えば、これからは「むこう側」がドンドンと変更されていくわけですよね。
もっと極端な言い方をすれば、「黄泉の国(仮想世界)」の爆速進化が起こるわけです。
そして、ソレっていうのは意外にも、こういう一枚の「窓」が世の中に普及するところから始まるのかもしれないなあと。
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なにはともあれ、AIが生まれてきてしまった以上、愛する人の死との向き合い方、そんな「グリーフケア」がこれからの時代の最先端になることは間違いない。
「死」について考えるということは、古くて新しい問いであり、これから10年ぐらいの最前線の問いになるじゃないかと僕は思います。
団塊の世代がドンドン鬼籍に入るタイミングとも見事に重なるわけですからね。
この10年で死生観は本当にガラッと変わることは間違いなくて、「グリーフケア」という言葉なんかもきっと「ネガティブ・ケイパビリティ」ぐらい頻繁に耳にする単語になるんだろうなと思います(というか既になりつつある)。
AIによってテクノロジーが進めば進むほど、逆説的に「死」や「喪失」という人間の根本的な経験が問い直される。
というか、規定し直される。まさに訂正可能性みたいなことが起こるわけです。
他者と共にいる感覚、死者から見守られている感覚とは一体何か。そして、それをこれからの技術で、どうやってつくり出すのか。
このあたりは、そのまま「宗教」にもつながっていく道であることは間違いないですし、自分自身も必ず死にゆく運命だからこそ、しっかりと探求していきたいなと強く思う。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
