「あなたにも真剣に考えて欲しい。あなたの意見を聞かせて欲しい」

現代においては、当たりまえのように行われているこのような他者への問いかけも、これからはハラスメント認定される日がやってくるのかもしれない。

今日は一風変わったそんなお話を少しだけこのブログに書いてみたいと思います。

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ここでいうハラスメントとは、受け取る相手が苦痛を伴い、傷つけられたと感じる行為です。

「そんかバカな話があるかよ」と思うかもしれませんが、ハラスメントとは決して客観的に要件が定められる行為ではなく、受け取る側及び社会一般の解釈の仕方の問題であり、相手がそのように受け取った時点で成立します。

その危うさは、下記のツイートにも書いたとおり。


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「自分にとって得意なことであり、とっても楽しい行為である。これがない人生なんて考えられない!」と思うような行為であればあるほど、それを他者に強要したときにハラスメント認定される可能性が出てくる。

たとえば「スポーツに誘う」とかは、わかりやすいかもしれません。

昔の大企業では、社員の親睦を深めるという目的で社内運動会を開催し、社員全員に参加を強制することは当たり前だったようです。

しかし、現代においてそんなことをしたら、すぐにパワハラ認定されてしまうことでしょう。

他にも格闘技なんかは、より一層わかりやすいかもしれません。

ボクシングのプロは、リングの上でしかボクシングをしません。

プロが、路上で「試合しましょう」と一般人にふっかけるのは、明確な違反行為です。

しかし、昔はストリートファイトだって当たり前だった時代がある。そのいつ何時訪れるかわからない機会において強くなりたいと願い、格闘技を学びはじめたという人も多かったと聞きます。

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このように、「考える」や「論理的思考」もきっと、スポーツや格闘技のような概念に近づいていくはずです。

「考える」なんて、みんな日常的に行なっていることだから、それを強制したところで一向に構わないと現代では思われているけれど、教育の多様化によって、そうじゃなくなる日が必ずやってくるはず。

考えるには、明確な得意・不得意が存在していて、得意な人間が不得意な人間に強要すると、それは苦痛となり、相手が私を痛めつけようとしているのだと認識する人や社会は次第に現れるでしょう。

このハラスメントの多様化の流れは、もうどんな分野においても避けられないように感じます。

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だとすれば「考えることが好きな人同士で集まっている空間」が必要になってくることは間違いない。

具体的にはスポーツ施設や、格闘技のリングのような場所が、「考える」という分野においても必要になってくる。

「この空間では思いっきり共に考えましょう。答えのない問いを相手にも問いかけて、その答えを一緒に考えることを促してもいいですよ」というような場所。

元々「アカデミア」というのは、そんな機能があったはずです。考える狂気は、他者を追い詰める凶器にもなり得るのだから。

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専門性までは伴わないけれども、好きな人間(アマチュア)が集まって思う存分楽しむことができる空間の確保。

あまり言及されない話ですが、これからの時代の中では意外と重要な隔たりのように思います。

もちろん、Wasei Salonもそんな「場」のひとつでありたい。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても良い何かしらの参考となったら幸いです。