今朝、こんなツイートをしてみました。


「文化を遊びつくす」ひとは、ヒラクさんの言葉を借りると「読モ」のこと。

そしてこの三角関係をつくりだすことがとっても大事で、このポジションを頻繁にスイッチしていくように人生を生きると、すごく楽しくなってくると思います。

https://hirakuogura.com/?p=10988
三角形の幸せなコミュニケーション。発酵界には「読モ」が必要だ! | 発酵デザイナー 小倉ヒラクのサイト
『発酵文化人類学』の出版記念企画として、雑誌ソトコトの連載バックナンバーを無料公開!  なぜそんなことをするかというと、書籍版は過去の連載記事を全部無視した「完全書きおろしREMIX」だからなのだ! ▶三角形の幸せなコミュニケーション。発酵界には「読モ」が必要だ! ソトコト17年6月掲載 僕、微生物の研究に入る前は全国の地場産業に関わるデザイナーだったので、今でもたまに醸造業界から商品開発やブランドづくりの相談を持ちかけられることがあります。よくあるパターンのお悩みとしては「なかなか一般の人に知ってもらえなくて…」「広告やPRをどうしたらいいかわからない」のような「関係性のつくりかた」があるようです。 今回は僕なりに考える「幸せな関係のつくりかた」をお伝えしたいと思います。押忍! 不信感を生む関係性 発酵食品をつくるメーカー(作り手)と、それを味わうユーザー(受け手)。この信頼関係がマーケットおよび文化を形作る。なんだけど、しばしば両者は信頼ではなく疑いの線でつながってしまう。典型的なやり方でいえば、作り手は商品を広告して「ウチはこんなに素晴らしいものをつくっています」とアピールする。ところが受け手は「そうやってメーカーは不当にモノを高く売りつけようとする」と不信感を持つ。その反応を見た作り手は「消費者は文化の質を知らない」とガッカリしてしまう。 この悪循環を繰り返すうちに「あれ?この業界なんか行き詰まってない?」という状況が生まれることになる。 「わかる!ウチもそうです!」と心当たりのある読者の方も多いのではないかしら? 直線関係から三角関係へ 悪循環を脱出するには、作り手↔受け手の直線関係の上にもう一つ点を置いて、「幸せな三角関係」をつくることが大事だとヒラクは思うのですね。この三角関係の象徴を、僕は「読モ(読者モデル)」と呼んでいます。ほら、ファッション誌とかに出てくる「読者と業界のあいだにいるひと」のことね。この読モが文化が盛り上がる時のキーになるのだな。
hirakuogura.com


この点、真面目なひとは、どうしても「作り手」のポジションだけに終始してしまいがち。

私が「創造者」でありたいと。でも実際は生きていれば「作り手」のときもあれば「受け手」のときもあるし「読モ」のときもある。

この三角関係を、様々な文化を通じてグルグルと循環しながら体験していけば、それぞれの体験が他の文化においても役に立ち、より一層相乗効果が生まれてくるはずなのです。

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思うに、インターネットやSNSは、D2Cなど「文化をつくりだすこと」のハードルをものすごく低くして参入障壁を一気に低くしてくれたのだけれども、それゆえにたくさんの文化が勃興しすぎて、完全に「読モ」が足りていない状態にある。

そして、いま話題のWeb3は、この問題点を解決する可能性があるわけです。読モに明確なインセンティブを与えようという仕組みでもあるわけだから。

今から読モ的に振る舞える素養を身に着けておくと、必ず将来役に立つ。それはもう、ほぼ確定している未来だと思います。

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さて、ここからは少し話が逸れますが、先日「オーディオブックカフェ」で『15歳から学ぶお金の教養    先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか? 』という本をご紹介しました。

‎オーディオブックカフェ:Apple Podcast内の#28 「15歳から学ぶお金の教養 先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか? 」/奥野一成著

端的に言ってしまうと、子どもの「お金持ちになるにはどうしたらいいですか?」という質問に対して「創業者になればいい」と教えてくれている本です。(もちろん、実際はもっと丁寧でわかりやすい内容です)

そしてこれは、現代における至極真っ当な世界の見方であり、リアリズムでもあると思います。本当にそのとおりだし、ぐうの音も出ない。

ただし、もしかしたらこれからは「読モ」のほうが、創業者よりもざらに稼いでいるという事例がドンドン増えてくる可能性は十分にありえるんじゃないかと思っています。

なぜなら、創業者よりも「読モ」のほうが実は市場拡大には寄与しているから、です。

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これはなんだか新しい話のようで、実は昔からそうだったとも感じています。

たとえば、仏教もキリスト教も、その思想の革新性によって、過去2,000年間ものあいだ、良くも悪くも莫大な富を生み出し続けてきたと思うのですが、一番その恩恵を受けたのは、ブッダやイエスではなく、彼らが死んだあとに世界中に広げた伝道師たちのほうです。

彼らは文化をつくったわけではなく、既に存在していたブッダやイエスの思想のうえで遊びつくしただけとも言える。

そのすべてが本当に正しい姿だったのかは、あえてここでは言及しないですが、現実問題としてはそうなっている。

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何を言いたいのかといえば、「文化をつくる」ことだけがすべてではないですし、創業者よりも読モのほうが稼いでいるという現実はもう既に存在しているよ、ということです。

そもそも、いま文化をつくっていると思っているひとたちも、先人たちの手のひらの上で転がされていて、文化を遊び尽くしているにすぎない。

Web2.0の世界も1.0の上に成り立っているし、ローカルの里山文化だって、その土地を開拓してくれた先人たちが存在していたから、今がある。

自分が生まれてくる前からその土壌に存在している文化をただ継承して、遊んでいるに過ぎません。そこは必ずマトリョーシカのような入れ子構造になっている。

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2022年現在は、市場規模拡大の恩恵を誰に帰属させればいいのか辿り切れないから、とりあえず「創業者という『個人』に帰属させましょう」としているだけ。(厳密に言えば、株式の保有割合に応じて分配)

それがここ数百年の西洋近代的な考え方です。

この考え方が如実に現れているもうひとつの事例は「ノーベル賞」であり、何かの功績をたったひとりの人物に与えられることと全く一緒です。(本来は、その背後に先人たちの様々な研究や、仲間たちの功績があるはずだから、個人ひとりの業績なわけがない)

功績というのは、本来もっともっと複雑なはずで、これからはその部分がもっともっとなめらかな社会になっていくはずなのです。

それを完全に自動化し半永久的に分配されるような仕組みが、既に世の中に生まれ始めているわけですよね。

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そう考えると、なにか新しい文化をゼロから作り出すことのほうが、むしろ非常に効率が悪いのかもしれない。

誰かがつくってくれた文化を遊びつくすほうが、その文化の創業者と同等か、それ以上の見返り(広義の報酬)が得られるかもしれないのだから。

ゆえに現段階から、読モ的な振る舞い方をドンドン実験して試してみる、体験してみるというのは、とても大事なことだと思います。全力で楽しんでいれば、報酬は自然と後からついてくる社会が目前に迫ってきているわけだから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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