先日、「ガイアの夜明け」放送されていた「ふるさと納税‟頂上決戦"!」という回を見たのですが、これが結構おもしろかったです。
特にふるさと納税の各プラットフォームによるポイント還元が、来年からなくなることが決まっているなか、各社新しい取り組みや、それぞれのプラットフォームごとの色を出そうとしてきていることが、とても伝わってくる内容でした。
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そんな中、自分も最近、ふるさと納税を選ぶ立場になっていて、よく思うのですが、ふるさと納税は選んでいるのか、選ばされているのか、よくわからないなあと感じることが多いなあと。
そして、これが現代の労働者に対しての「パンとサーカス」であり、これこそ現代の奴隷制度みたいな言い方があるけれど、本当にそうだよなあと思ってしまいます。
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で、この違和感はなんだろう?何がこんなにも欲しいものがないと感じてしまう原因なのかを考えてみたのですが、一つ明確な理由があるとすれば、ここには「資本」となるものがひとつもない。
消費するための商品しかないということなんですよね。
ちょっとでも贅沢した気持ちになって労働者はそれで満足してろよ、という感じが透けて見える。
そうなると、自分の場合は何も欲しいものがない。
食品の贅沢とかは一番興味がないジャンルだし、家具家電系なども一度取り揃えたら、新しく欲しいものなんてほとんどなくて、Apple製品ぐらいだけれど、それはここには載っていない。
本当にわかりやすく、贅沢な消耗品しか並んでいないんですよね。
「資本」に変えたいと思って、個人でできることと言えば、そんな商品を手に入れて、知人友人、家族に配って社会資本に変換すること。ただ、もちろん、そこにはかなり大きなロスだって発生するわけです。
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で、最近よく思うのは、資本の論理に絡め取られるか、もしくは資本の論理に抗うか。この二者択一の議論が語られがちだけれども、僕はそのどちらもジリ貧だと思う。
特に資本の論理に対して反旗を翻す側としては「もっと効率性や生産性から距離を置こう」という話が語られがちで、具体的には、三宅香帆さんの「半身で働く」の思想とか、『ファスト教養』の中で語られていて、「無駄なことを一緒にしようよ」という思想なんかは、とてもわかりやすい。
でも、僕はその思想の提案だけでは、どうしようもないと思うんですよね。
できれば誰だってそうしたいと思っているけれど「現実問題として資本主義の世界だとそうできないんだよ!」という切実な課題感に対して、日々みんなが悩んでいる。
そのことに対して何か具体的な提案をしてくれるわけではなくて「それは社会の問いとしてみんなで考えよう」という開かれた問いにされてしまう。
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で、本当に実際にみんなで考えようとするから、みんなに利害関係があるものとして、多数決になってしまう。
それが結局、お金としてのお得感や、誰にとってもわかりやすい消費や贅沢つながっていってしまうという、このジレンマ。
そうすれば、国家行政側だって「パンとサーカス」を与えて黙らせたくなるのは、当然のことだと思います。
だってそれが多数決の民意なんだから。ふるさと納税の贅沢品が、結局のところ幅を利かせてしまうわけですよね。
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でも本当の目指すべき先はもっと違うはずで。
「半身で働く」や「無駄なことを一緒にしようよ」は方向性として正しいのだから、「じゃあそれを、どうやって具体的に実現していくのか」という話が重要であるはずで、その道筋を僕は常々考えたいなあと思っています。
その一つの方向性が、トークンエコノミーとか、昨日もご紹介したようなカブアンドのような仕組みだと僕はずっと思いつづけています。
で、本来、ふるさと納税なんかもトークンが紐付いたら、かなり面白くなってくるはずなんですよね。
もともとふるさと納税は、自分が住んでいる自治体に支払う税金と同じ金額を別の自治体に振り分けるという制度です。
だから、どれだけ支払っても、持ち出しで損をしているわけではありません。そして、この仕組みにトークンを導入することで、支援する自治体や企業との「資本の共有」が可能になるはずなんです。
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僕たちは、地方自治体やその地域にある企業を本来は応援したいと考えているはず。
その際に必要なのは、未来への投資を実感できる仕組みづくりであって、自分のお金がどのように使われ、どんな効果を生んでいるのかが見えること。
そうすることで、納税者としての満足度も大きく変わってくるはずです。
しかし現状では、等価交換として「商品」がすぐに手元に届くだけで、この実感を得ることがものすごく難しい。
それが、僕がふるさと納税に対して抱いている違和感の正体なのだと思います。
僕は、この実感部分が今、本当に足りていない気がしています。でも、こういうことを言うとすぐに、純粋な寄付を求められてしまうわけです。
そうじゃない、目先の消耗品とか商品とかはいらないと言っているだけで、長期的な目で観たときに、大きなリターンとして還元して欲しいという話をしているのだけれど、これがなかなかに通じないなあと思います。
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本来、そのようなトークンエコノミー的な「循環」が地方を起点に生まれてくれば、それこそ「関係人口」のように、つながりがうまれてくるはずなんですよね。
実際問題、地方の仕事だってその納税分で増やせるはずですから。
にも関わらず、もらった分だけすぐに贅沢品として返そうとするから、それではローカルの事業が立ち上がっていかないのも、当然のことだと思うんです。
その等価交換は普段の商売の中で行うべき価値観であって、ふるさと納税のような機会やチャンスの中で等価交換をしてみても、ほとんど意味がない。
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「ガイアの夜明け」の中では、泉佐野市が「ふるさと納税3.0」と掲げて、寄付されたお金で新しい事業を立ち上げようとしていて、それに近い動きをしようとしていましたが、あくまでそれもクラファン的な動きでしかなかった。
そうじゃなくて、各地方自治体の経済圏に参加し、長い時間軸の中で繋がり続けること。そうすれば、お互いの信頼度合いが増してくると思うんです。鶴の恩返しみたいにもなっていく。
その中で生まれてくる、お互いさまの精神。あのときに、自分も助けてもらったからという贈与やペイフォワードの循環。ここが本当は一番のカギであるはずです。
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FiNANCiEも、最初はそんなクラファンとしてのサービスとして、似たような発想だったはずなのに、今は運営側が自ら完全にマネーゲームにしてしまっていて、そのような世界観からは程遠いものとなってしまいました。
本来は、納税している労働者たちが少しずつ投資家的な目線を持ち、相手の事業を本当の意味で応援するのは自分なんだ、そんな自分ごとだと思ってもらえる人が、どれぐらい増やせていけるのかが大事になってくるはずだと思うんですよね。
それが「みんなで豊かになりましょう」というスローガンが掛け声になっていく来年以降、非常に重要なポイントであると思っています。
自分の投資(に近い意思決定)が一体何に使われていて、どのように増えているのかの可視化と、小さく数万円とか数千円の単位でも構わないから、その循環が起きていて、どこかに偏るわけでもなく、グルグルと巡る方法の確立。
前澤さんの『国民総株主』の書籍の中でも「消費者、労働者、株主、3つの顔を持ちましょう」と語られてあったけれど本当にそうで、その具体的な実感の生み出し方が、これからはとても大事になってくると僕は思っています。
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何はともあれ、ふるさと納税の制度に関しては、その実感を得やすく金銭的な持ち出し、その負担部分が実質ゼロだと思うから、いつかこのふるさと納税のポイント還元の仕組みが、各自治体や各地方企業のトークンとつながって欲しいなあと思います。
僕自身も、そのような世界観を作り出すためにはどうすればいいのか、来年以降も果敢に自ら実践や実験を繰り返し、積極的に考えていきたいなあと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/12/26 19:18