『冬のなんかさ、春のなんかね』が面白いから観てほしい。

このドラマは、「人とまっすぐ向き合えない主人公が、人とまっすぐ向き合っている人たちと向き合うことで、自分と向き合う」ドラマだ。

主人公の土田文菜(杉咲花)は、人とまっすぐ向き合えない。しかし、すぐに人を好きになってしまう。そんな彼女は、小説のネタを書き込むメモにこう記す。 

あまり知らない人とつきあう
つきあうと知ってしまう

知ってしまったら
知らなかったときには戻れない

知った方がいいこと
知らない方がいいこと

始まったら終わる
つきあったら別れる

だから本当はもう誰ともつきあいたくなんてないのに


相手の全てを知ってしまっても
好きでい続けることはできるのだろうか

そんなことを考えながら
私はまた人を好きになる

失うことを恐れながら


だから私は
好きにならない人を好きになる


失うことがこわい、だから人を好きになりたくない。
だけど、人を好きになってしまう。

この葛藤は、多くの人が経験をすることだろう。

人の出会いには美しさと残酷さの両方が共存している。

良縁に巡り合える一方で、悪縁にも巡り合ってしまうし、
どちらの縁にも継続と断裂の可能性が含まれている。

人生とは、そういった出会いの酸いも甘いも経験し、進んでいくものなのではないだろうか。

しかし文菜は、そういった葛藤から距離を置こうとする。

「好きにならない人を好きになる」とはそういうことだ。

好きになった人を失うのがこわい。だから、好きにならない人を好きになる。

この文菜の独白と、文菜の取る行動には視聴者だけでなく、ドラマ内の登場人物もやきもきする。

文菜とは古い付き合いのこたろう(岡山天音)は、長年の思い――主人公への好意――を伝えるために手紙をしたためる。

しかし、その手紙を主人公に渡すことはできない。なぜなら、前日までは恋人がいなかった文菜に恋人ができていたからだ。 

昨日出会った人と、昨日つきあった。


そんな文菜の報告に、こたろうは耳を疑う。

文菜と、この恋人のゆきお(成田凌)は、ある日コインランドリーでたまたま一緒になった。文菜の報告通り、この二人はその日のうちに(正確には翌朝)つきあうことになる。

個人的には、こういったその日会った人とその日のうちに付き合う、とか、出会って一週間もしないうちに付き合う、という現象はあながちファンタジーではないと思っている。

いわゆる「ビビッときた」ときこそ、そういうことは起こりがちだし、ずっと長い間関係性をあたためる、深めるからといって、そこから恋愛関係に発展していくか、というとそうとは限らないと思う。

なので、個人的には「つきあう、つきあわない」の判断にかける時間と、その尊さみないなものは比例や相関関係にはないと思っている。

しかし、この行動の背景にあるのが、文菜の「好きにならない人を好きに」なろうと思ってのことだったのかと思うと、「なんだかなぁ」と思う。

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ゆきおは優しい、しかし好きにはなれない。今別れを告げられても、全然悲しくないだろうな、と文菜は思う。

ゆきおとの関係は一年以上続いている。文菜はその間、浮気をしている。

そんな自分を、文菜はだんだん「ダメダメだ」と思い始めている。

友人や、行きつけのカフェの店員、こたろう、ゆきおの「まっすぐさ」に直面すると、自分のダメさ加減を突き付けられるような気がして、自暴自棄になったり、破壊衝動や攻撃衝動に襲われる。

浮気は、そういった気持ちを発散させるための道具なのかもしれない。

自分は、色々な人を自分のために利用している。
しかし、自分を肯定する気持ちが消えることはない。

ふと、文菜は気づく。

自分は人とまっすぐ向き合うのがこわいとか、嫌なのではなく、結局は自分のことしか好きじゃないのではないか、と。

物語はまだ動き出したばかり。

文菜の心がどう変化するのか、今後が楽しみである。