先週は、地元の函館に戻っていました。
訪日外国人や国内の観光客が以前より増して戻ってきていて、更に観光の勢いが増してきている中、今年初めて帰省したのですが、表に出ていない情報がたくさんあるなあと驚きました。
実際に現地へ行ってみないと、わからないことも本当にたくさんあります。
自分の足で直接行ってみて、体験してみて、現地で活躍している人の話を直接聞いてみて、取材するように旅をすることの重要性を、改めて強く実感します。
今日は先週の体験を振り返りつつ、これからの地方創生や観光とAIの可能性について考えてみたいなと思います。
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さて、この点で一番わかりやすいと感じたのは、劇場版コナン公開後の函館の町の中の様子です。
もっともっと、町の中はコナン一色なのかと思いきや、驚くほど地元ではいつもと変わらない様子が続いていました。
本当に申し訳程度に町の中にいくつかのペナントがぶら下がっていたり、ちょっとしたパネルの撮影スポットがある程度。
でも一方で、往復の飛行機は行きも帰りも完全に満席で、その乗客の中には明らかにコナン目的でこの町を訪れたのだろうなと思う人もたくさん見かけました。
地元に暮らす人たちと観光で訪れる人たちのニーズ、その大きなズレのようなものが存在することが本当によくよく伝わってきました。
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函館のこの事例だけに限らず、自分たちが提供したいものではなく、反響があるものに対してしっかりと注力することって本当に大事だと思います。
地元の人間がやりたいこと、見せたいものだけ見せて、わざわざ「見たい」と思って来てくれているものがあるのに、それを無視してしまうのは本当にもったいない。
国内の人間同士でもそうなのだから、訪日外国人に対してはより一層そうなってしまっているんでしょうね。
過去に何度も語ってきたように、本当はお互いの「やり取り」が必要になるはず。
具体的には、養老孟司さんの「手入れ」の話や、村上春樹さんの「洞窟化」の話のように、相手の顔をちゃんと見て、”目を離さない”ということなのでしょうね。
ニーズというのは決して隠されているわけではなく、すでに何かしらの反応があり、目の前でわかりやすく起きていることが山ほどあるわけですから。
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にも関わらず、「最初に決めた通りにやらなければいけない、決められたマニュアル通りに行わなければいけない」というような形式主義に陥ってしまうと、気づいていても見て見ぬフリをすることになってしまいます。
ここに注視できるかどうか、個人も会社も地域も、すべてまったく同じだなあと本当に強く思いました。
繰り返しますが、すでに目の前に萌芽のようなものは出ているのだから。そこにちゃんと気づき臨機応変に対応していくことができるかどうか。
地域に限らず、コミュニティや場を運営することの重要なポイントを改めて強く理解しました。
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さて、ここまでの話は、今に始まったことではありません。
これまでも過去に何度も似たようなことは目にして、それを語ってきたし、特に期待もしていなかったので、今回も正直「やっぱりそうか…」という感じでした。
じゃあ、なぜ今日改めてこのような話をしているのか?
それは今回、改めて得られた大きな気づきがあったからです。
それが、AIの文脈です。
日々進化しているAIに対して注視していたからこそ、町の中にある様々な課題や問い、広義の「チャンス」に対して、AIを活用することができそうなことが山ほどあるなと思わされました。
個人的にはこれが今回の一番大きな収穫です。
今までなら完全に見過ごしていたものも、ここでAIを活用すれば改善できてしまうと思える点が実は山ほどあるんだなと感じました。
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たとえば、これはほんの一例ですが、訪日外国人が多数訪れている中での多言語対応。
このあたりに関してはこれまで放置されてきた理由があり、その大半はコストが見合わないからです。
その課題解決を試みようとしても、結局は人件費などがかかってしまって赤字になるか、黒字になっても微々たるもの程度。
だったら現状維持をしながら、見て見ぬふりをして、放置しておこうということになる。
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でも、今回の生成AIの登場は、もうそうではないのです。
いうなれば、その「経済合理性限界曲線」の引かれる場所や位置がガラッと変わり、その内側の課題と外側の課題が明らかに変わったのです。
この話は意外とまだまだ語られていないと思います。
課題だとは認識していても、今までの「道具」や「ツール」の中での費用対効果を考えると無視したほうがよいかもしれない。
しかし、生成AIのような新たな道具が出てくると、もう一度本腰を入れて取り組んでも、むしろお釣りが来るぐらいのことが山ほどあるのだろうと思います。
特に、第3次産業としての「観光」などの現場においては、活かせることが山ほどありそうです。
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ここから更に気づいたのは、実はAI活用において一番必要不可欠なものは、明確で具体的な「課題」や「問い」なんだということです。
これが今日一番強調したいポイントです。
そのような具体的な課題感が目の前に存在するからこそ、これにAIをどのように活かせるかという思考が自分の中で勝手に生まれてくる。
そうだとすれば、AIの最新情報を常にキャッチアップし、イナゴのように新しいものに群がりつづけて価値のないものを生成するよりも、先に課題や問いを現場に赴いて見つける方が大事だと思いました。
技術の進化ばかりを追っても仕方ありません。
道具の有用性に溺れて課題や問いに基づいていない、何の使い物にもならないガラクタのような動画コンテンツばかり作っても仕方ないわけですよね。
もちろんそのような発信がSNS上では注目を浴びるとは思いますが、それ以上に現場には現状のAIを使って解決できる問いがゴロゴロと転がっています。
AIで実現できることを知っている上で、よく知る町を歩いてみると、それが本当に手に取るように発見できます。
その視点を持っていれば、相手の話を聞く中で、本当に役立ちそうな助言や提案もすることができます。もちろん、その中で共に課題解決に取り組む仕事へと発展していきやすいとも思います。
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これからは、できるだけそんな「演習問題」を解いてみる方がいい。
実際に現場において使ってみることの意味、現実に照らし合わせることが本当に大事だなあと。
逆説的なのですが、その方がAIについて学べることは一気に増えるはずですし、必要にかられて新しいアップデートなどにも敏感になり、キャッチアップできることも格段に増えると思います。このあたりは、語学学習と一緒ですね。
何よりも、ちゃんと人の役に立つという貢献感も強く得られます。相手との間にコミュニケーションも成立する。
日々AIが急速に進化していて、その流行についていくのがやっとで、迷子になる可能性が高いからこそ「課題ドリブン」の方がいいんだろうなと思います。
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まさに、何度目かの「書を捨てて、街に出よう」のタイミングが来ていると感じます。
特に東京から遠ければ遠いほど、都心のタイムマシーン経営のようなことをすればいいだけなので、特段難しいことを考える必要もありません。
実際、スマホとSNSが出てきたときに、地域の観光や移住促進は大きく変化しました。もちろんそこで大きな予算や人も動きました。
今回はそれ以上のことが起きることは間違いないと思います。
これからは人手が足りなくて過疎化が進んでいた町ほど、一人でできることが増える生成AIの効力を実感できる機会は計り知れないと思います。
自分一人だけでなく、プラスアルファとして10人とか100人とか引き連れて、その土地に乗り込んでいけるような感覚に近いのかなと。
その中で現地の人々と一緒に小回りの効く懇切丁寧なコンテンツ制作や現場のオペレーションの改善を行っていく側面が増えてくるのでしょうね。
だからこそ、今このタイミングにおいて、ここに気づけるかどうかは非常に重要だと思います。
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ここから1〜2年ぐらいは、技術を追うだけでなく、その持ち合わせている武器を目の前の課題にあてがっていく人の方がきっと強くなる。
そして、その解くべき課題、AIを用いれば簡単に解けそうな問いは、ローカルほどゴロゴロと転がっています。
なんなら、その活かし方自体をAIに考えさせる、提案させることが非常に重要になってくるのかもしれませんね。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になっていたら幸いです。
2024/07/01 20:01