先日、NHKスペシャルで「まちづくりの未来 ~人口減少時代の再開発は~」という番組が放送されていました。
日本全国のまちづくりの様子が紹介されていて、とても勉強になる番組でした。
で、少し批判的な意味合いも含んでいると捉えられてしまう可能性があるので、あえて町の名前は伏せておきますが、
近年の日本の至るところで起きていて、徐々に一般論として語られるようになりつつある手法のひとつで、街の中心部ではなく、周辺エリアから先に活性化させていく街づくりという話があります。
これは、いつも正直かなり無理があるなあと思います。
街づくりは、やっぱりどう考えても「中心」からだと思うんです。
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この点、たとえば福岡市とかは、賛否両論がありつつも、それを本当によく理解しながら実行しているなあと感じます。
やはり、天神エリアが町としてドンドン進化していっていて、そこに活気が生まれて、若い人たちを中心に福岡市内に住みたいと願う人たちも増えてくる。
結果として、天神から少し離れた六本松あたりのエリアなんかもファミリー層に、いま人気のエリアになっているわけですよね。
もちろん、東京の都心なんかもそうだと思います。東京都心が栄えているから、23区外や、もしくは埼玉や千葉などの郊外の都市にも、人が集まってくる構図です。
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つまり、構造としては、中心の開発が進み、多くの人が中心に住みたいと願っている状態があるからこそ、その周辺地域に人々が徐々に集まってくる。
なぜなら、中心部はあまりにも人気がありすぎて家賃や物価も上がって、そこには住めないから、その周辺のギリギリのラインで、収支が合う場所に住もうということになるからです。
これは、町や住居に限らず、基本的に価値が上がるものは、時計やスニーカーなどの嗜好品、株式やNFTなどトークンの原理においても、まったく同じだと思います。
つまり、価値があるから買おうと思うんじゃなくて、買えないからこそ、そこに価値が生まれているという以前もこのブログの中で語ったような構造と、まったく同じことが言えるだろうなと思うのです。
基本的に経済価値における「人気」というのは、ソレを知っていて且つ欲しいと願っている人が多いにもかかわらず、供給量が限られていて、それが需要よりも少ないから、そこに価値がうまれていくみたいな論理であって、それは本当に何事においても変わらないと思います。
だからそのような構図を意図的につくり出してしまおうとするひとたちも、後を絶たないわけですよね。
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にも関わらず、若い人たちも住みやすいようにと、周辺地域の方からから住みやすくしていっている地域が最近は、すごく多いなと。
そして、番組内においてもそうだったのですが、これがなんだか人々に優しい施策というような話がなされていること多いのだけれども、でも果たして本当にそうなのでしょうか。
僕はそれは、逆効果のようにも感じます。
この点、確かにいま既に住んでいるひとたちにとっては、それが一番快適なのかもしれませんが、中心部分が本当の意味で発展していかない限り、その地域にこれまでとは異なる新しい層の人々は入ってこない。
わざわざ、そのエリアに新たに移住する理由が、どこにもないわけですから。
つまり、中心を放置して周辺部ばかりを栄えさせていく手法は、今そこに住んでいる住民に喜ばれているだけに過ぎないはずなんですよね。
周辺地域が住みやすければ、経済は活性化するというのはたぶん鶏と卵みたいな話なんですが、先に良い住まいを手に入れたひとたちが、そのあとに町の財政に貢献するぐらいに必死で働くのかと言えば、多分現状維持が、関の山。
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で、ここでめちゃくちゃ大事なことというのは、結果的にそうしてしまうことで一番自分たち、つまり既存の住民たちの首を締めることになってしまうよね、ということなんです。
なぜなら、大抵の場合、町それ自体が価値を生んでいるために、その施策ができているわけではないからです。
そのような空間の多くは、国からの補助金によって賄われているだけ。
長期的な維持管理、それを修繕しながら長い期間をかけて、それらの施設や制度を活用していくためのビジネスの収益構造だって特に考えられているわけではない。
町に人が増えればどうにかなるだろうという、どんぶり勘定的な発想です。
当然、補助金によってできたばかりのタイミングで、建物も何もかもが新しいうちは良いかもしれないけれども、その後は本当にただただ劣化していくだけです。
その時に、また他の地域に新しくできたばかりの別の補助金都市が存在すれば、次の時代の子育て世代は、そちらに流れていく、ずっとこの奪い合いです。
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番組内で、インタビューを受けていた市長は、もうそのタイミングには自分は存在していないかもしれないと肯定的に明言しており、最終的な結果に責任を持てないことを、何かとても誇らしいことのように語られていました。
それであれば、今その場にいる住民たちから喜ばれたいから、周辺環境ばかりにお金を投じるようになるに決まっているし、そのほうが票も集って、自らの自己顕示欲も高まるからそのような施策を行うに決まっているよなあと思ってしまいます。
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その土地に暮らす住民たちが中長期目線で、自分たちの町の「価値」を本当の意味で高めたければ、本来そのような施策に対しては住民たち側から明確に NOを突きつけないといけないと思うんですよね。
「もっと中心の部分から、ちゃんと街を開発してください」と言った方がいいと思う。そうすれば、暮らし面においても仕事面においても、結果的に自分たちのところまでその恩恵が落ちてくる可能性は飛躍的に高まるのだから。
誰でもいつでも住めてしまうエリアは、決して魅力的に映らないと思います。そうじゃなくて、人は人が欲しがるものを欲しがる。
誰でも住める空間には、競争なんかも存在しないわけだから次第に住む人々の能力だって劣化していく。
少しでもそのエリアの賃料上げた瞬間に、出ていかれてしまうのがオチです。そうすると、そのエリアには不動産業を行おうとする人々も近づかない。
すると、町の様々なものの快適さもあがらないし、経済が循環しないから、ただただ悪化の一途をたどるだけとなってしまう。
周辺の住環境も一向に良くはなっていきません。
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もちろん、だからといって、ただ単純に住めない状況があるだけでもよろしくない。
移住者が増えて、徐々に人気になってきていて順番待ちのエリアなんかは大体この構図です。
具体的には、空き家は町中にいくつもあるのに、その空き家がまったく活用されていないがために移住できないような状態が続いている。
それは、単純にまちづくりをする気ないんだろうなあと思われてしまうだけで、それはそれで興味を持ってくれたひとたちもドンドン離れていってしまいます。
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大事なことは、街の中心の経済活動と、その周辺地域のバランスなのだと思います。
栄えている中心の街、その周辺エリアといのは、中心部と異なり相対的に空間も広く取れるようになるから、そっちはそっちで子育て世代を中心に明確なメリットがあるわけだから、両者が共存共栄できることは間違いない。
だからこそ、ちゃんと中長期目線で視座の高さを合わせられることが大事だなあと思います。
短期の自分たちのメリットしか考えない住民たちと、そのひとたちにおもねって票を集めたいと願っている先行き長くなく、名誉だけが欲しい市長の組み合わせというのは、税金を無駄遣いするのに最強の組み合わせだなあと最近は本当によく思う。
何事においても、価値を生み出すためには、この視座の高さを揃える営みというか企みの共有が不可欠だと思います。
町づくりは、価値をつくりだすことは百年単位の時間が必要だけれど、壊すのは一瞬ですからね。
一世代どころか、10〜20年あればその価値も簡単に毀損させることができてしまう。
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中心が過疎化しているのに、周辺地域にただ補助金を配りまくって中途半端に栄えさせても、ほとんど意味はない。
そんな住民たちのわがままだけを聞いて死んだ町はたくさんある。我が地元、函館もまさにその典型例と言えるかもしれません。
僕には、住民たちが、自分たちの手によって自分たちの町の価値を毀損してしまっているように思えてしまいます。それは巡り巡って、自分たちが持っている資産価値やシビックプライド、さらには自らのアイデンティティの価値を貶めているのと同じだよなあと。
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最終的には、国破れて山河あり状態となって、外資にとっては「こんなにも素晴らしい自然がある場所に、こんな広大な土地もあり、二束三文でお買い得!」となり、買い占められて再開発をされて、今のニセコみたいになるのも目に見えています。
そうならない前に、各自治体ごとに中心がしっかりと栄えて、その結果として周辺地域の人口流入も増えているというような状態をつくることが、本当に大切だよなあと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとって、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/01/27 19:22