昨日、こんなツイートをしてみました。
ゆえに、これからはちゃんと選抜されるし、ちゃんと審査されるようになる。
しかもそれは、「スキル」や「能力」で審査されるのではなく、「人格」や「人柄」によって審査されるようになる。
そして、どの共同体に私自身が最初に属するかによって、さらにその先の属せる共同体も変わってきます。
つまり、ここに明確に「複利の効果」が明確に効いてくるわけですよね。
金銭に限らず、広義の意味での「豊かな者」が、さらに豊かになる構造が生まれてくることはまず間違いないでしょう。
つまり、入社面接や入会審査のようなことが、日常生活のありとあらゆる場所で「トラストレス」に行われるようになるのが、きっとこれからの社会なのだと思います。
まさに、ブルデューの『ディスタンクシオン』の中に描かれている「文化資本」の話です。
「文化資本」その蓄積による世界をどのように眺めているのかという傾向性(ブルデューの言う「ハビトゥス」)が、誰にでも見える化されて、簡単に選別できるようになってしまう世の中が目前に迫っている。
だからこそ、現代の社会の仕組みに平和ボケしていると、結構マズいのではないかと僕は思うのです。
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ただし、これからは「共同体づくり」、その仲間集めが重要になってくる時代でもあるのだから、これもある意味では当然のことなのかもしれない。
これまでの社会は「あなたの『お金』や『時間』という資本を提供してね、あなたが誰かは問いません」という世界線だったのだけれども、
これからは「あなたの『文化資本』を提供してね、性格悪いヤツはお断り」という世界線になっていくということだと思います。
このようなことをモヤモヤと考えを巡らせているうえで、昨夜改めて「100分de名著」のブルデュー『ディスタンクシオン』の回をすべて観返してみました。
そうすると、以前観たときにはそれほど印象に残らなかった四象限の話がとても印象に残りました。
それは、縦軸に「経済資本」をとって、横軸に「文化資本」をとったフリップです。
1.経済資本あり+文化資本あり=貴族
2.経済資本あり+文化資本なし=成金
3.経済資本なし+文化資本あり=学ぶ意欲のある人間
4.経済資本なし+文化資本なし=学ぶ意欲のない人間
で、web3の登場によって、今この中の3と4のあいだに、明確な区別が生まれてきているのだろうなあと。
逆に言うと、これまでの社会ではここが一緒くたにされてしまっていました。
現に、今の段階でweb3やNFTに興味があるというひとたちは、割と学歴や素養が高いはずで、学ぶ意欲のあるフリーランスや自営業の方が多いはず。
つまり「文化資本はあるけれど、資産が数百億円と飛び抜けて多くはない」という方が大半のはずです。
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この3のポジションにいるひとたち(経済資本なし+文化資本あり=学ぶ意欲のある人間)は、本来「文化資本」という資本を持っているはずなのに、その資本が社会の中ではあまりうまく活用されてこなかった。
もちろん、特定の分野で圧倒的なインフルエンサーになれるぐらい「文化資本」がズバ抜けていれば、Web2時代でも活躍できる可能性はありました。
そうじゃなくて、そのひとりひとりの小さくとも力強い文化資本を統合して、「経済資本」が増えていく仕組みがいままさに完成したのだと言えそうです。
言い換えると、社会の中でダブついている有効活用されていない文化資本を集約し順序よく並べ替えると、それが経済資本を増殖させることができてしまう手立てが発見されたということでもある。
NFTにおける「AL磨き」というのは、それを見事に証明してしまった。
3にいるひとたちを優先して、その順序を大きく変化させていくことで、結果的に資本が増殖するということが見事に証明されたわけです。
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この点、これまでは経済資本がそこまで多くない人たちに対しては、全員均等の機会で構わなかったんですよね。
なぜなら、資本家(起業家)側の論理からすると、そこになにか明確な違いが生まれるわけではなかったからです。
「入ってもらう順番」によって資本が増殖するという現象は基本的には存在しなかったため、そこは「先着順」で構わなかったんです。
つまり、一億総中流時代には個々人の「文化資本の多寡」というのは、さほど問題にならなかった。会社の社員として働いてもらうときの入社試験ぐらいだけで少し通用する程度でした。
でも、今はまさにその文化資本をつかって「経済資本」を増殖する方法が完成したのです。
それは、ひとりひとりがNFTというパスポートのようなものを持ち合わせていて、そのウォレットの履歴の動向によって簡単に証明できるようになったことが、大きな原因です。
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もちろん、Web2時代にも似たようなことは既に存在していたと思います。
ここ10年間で一般的になった「フォロワー数」という数字がまさにそれ。
そもそも、どうして企業は、そんな影響力あるインフルエンサーを優先してきたのか。
そうすることで「資本」を増殖させることができるからですよね。
具体的には、影響力のあるインフルエンサーにタダで配ってそれを使ってもらえば、勝手に売れていくというような「インフルエンサーマーケティング」が可能となったのが、過去10年だったわけです。
とはいえ、これまではインフルエンサーだけを優先していればよかった。
ただ、web3時代においては、もうそれだけじゃないということがわかってきたということです。
「インフルエンサー」と「一般市民」というざっくりとした区切りではなく、その山をもっとなだらかにしたほうがいいんだとハッキリしました。
つまり、トリクルダウンの順序がガラッと変えてしまうようなイメージです。
何かシャンパンタワーのようなものを想定したときに、その組み上げ方の順序いかんによって、その水量の流れ具合がハッキリと変わることがわかったんです。
ここがめちゃくちゃ重要な視点だと思います。
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たとえば、「映画」を例にとって考えたみたい。
より多くのひとに楽しんでもらって、観客の数が増えれば増えるほど売上が上がることは間違いありません。
そのため、製作者側はインフルエンサーマーケティングを行って、インフルエンサーを試写会に呼んで何かしらのコメントをしてもらっていて、それをHPに掲載していました。
でもこれからは、下手にインフルエンサーを試写会に呼んで「広告感」を出してしまうよりも、コミュニティ単位の盛り上がりや、口コミをつくってもらったほうがいいわけです。
コミュニティに向けて優先券(優待)を配って先に大いに楽しんでもらい、盛り上げてもらえれば理想的な形で本当に必要なひとたちに、必要な形で届いていくようになるのですから。
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このようなコミュニティごとの優先順位の変化が、これからも至るところで起きていく。
結果的に、真っ当に生きているお行儀の良いひとたちがドンドン優先されて、暮らしやすい世の中にもなっていくでしょう。
それもある意味では当然で、これまでの社会の中には、100人に1人ぐらい存在している一握りのクレーマーのようなひとたちのために制限されてしまっている「自由」や「権利」のようなものは社会の中にたくさんあったから。
つまりそこには、明確な「コスト」が発生してしまっていたんですよね。
クレーマーを初期段階で緩やかに排除しつつ、最終的には包括していくこともできる。
これは「順番なんだ」と言えるようになった。
並んでもらって、お行儀の良い人たちから順番に入ってもらったほうが、何事もスムーズにことが運ぶし、結果的に足を運ぶひとの総量も増えるのだ、と主張できる。
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僕は、ここが素晴らしい発明でもあり、とてつもなく恐ろしい部分でもあるなあと思っています。
なぜなら、一度は「排除の論理」が成立してしまうから。
これは先日のVoicyの中でもお話したとおり、それが良い悪いはおいておいて、このまま行くと、必ずやってくる未来なのだと思います。
それはいまの社会が、実質的にインフルエンサーを優先してしまっているのと同じように、です。
だからこそ、もっともっとこの変化を重く受け止めたほうがいいと思っているわけです。
これからは、お行儀が良くインフルエンス力が高いコミュニティや、インフルエンス力の高い共同体や集落に属している人々が、間違いなく社会の中で優先されるようになる。
その結果として増殖した資本で、最終的には福祉の幅を広げたり、教育の幅を広げたりしながら、包括できる人々の数をより一層増やしていこうという施策を行おうと、各所で大手を振って語られるようになる。
でも、そう言いつつも、自分たちのメリットしか考えていないズルい人たちによってこの論理を大義名分として利用されてしまうと、単純に排除するだけになりそうです。
それが、かなり怖い。
エンタメの世界だけであれば、それはただの選り好みでしかないですが、もしこの論理が医療や福祉にまで拡充されてしまうと「生命の選別」が始まってしまいます。
サービス提供者側がお客さんを選べるっていうことは、そういうことです。
これはかなり難しい問題だなあと思います。
そして、どうしてもこのような話になると、生まれによって既に人生が決まってしまっている「決定論」のような感覚にも陥ってしまう。
でも、そうやって現実の向かう方向性を正しく見定めることからしか、僕らは本当の自由は選べない。
だからこそ、自己責任論には逃げてはいけないなと思っています。
現実を正しく見定めて、そのメリット・デメリットも正しく見定めて、ひとつひとつ自分たちで本当に実現したい未来とは何かを考え、選び取りながら、みんなでつくっていくことが何よりも重要になっていきそうです。
今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。