8月11日〜13日にWasei Salon合宿「Trip to Kesennuma」が開催されました。宮城県・気仙沼市出身のおのじさんが計画してくれた今回の旅は、予想とは裏腹に笑いが絶えない時間となりました。そんな今回の旅の様子を参加メンバーの写真をお借りして、筆者 タオの目線から振り返りたいと思います。
旅が始まる前日の夜。私とヒロさんは行きの新幹線のチケットが取れなかったので、埼玉から気仙沼まで、おのじさんのご厚意に甘えて車で送ってもらうことに。ありがとうございました。
当日乗せてもらうときに、車の左のサイドドアが開かなくなって、「このタイミングで壊れるなんて、信じられな〜い!」とおのじさんが焦っていたことが今でも忘れられないです。
気仙沼へ送り届けてもらった翌日の朝。一人バスに乗って「高田松原津波復興祈念公園」へ行ってみました。
トンネル内は元々線路が敷かれていたそう。気仙沼市周辺を走るBRTというバスは、被災後に多額の費用をかけて鉄道を復旧する代わりの交通手段として導入されたと言います。
1時間程で「高田松原津波復興祈念公園」がある奇跡の一本松駅に着きました。ここには道の駅高田松原と、東日本大震災津波伝承館が併設されています。
防潮堤を降りる
防潮堤を降りた先の海辺。
親と一緒に子どもが遊んでいる。
なんだか被災地という実感が湧かない。
その一方。午後に一ノ関駅に集合した、もんさん・鳥井さん・ほしまどさん・みさとさん・かあいさん・おのじさんは車で2時間程かけて、岩手県三陸沿岸部にある大槌町に向かっていました。大槌町は被災後にかあいさんがボランティアをされていた地域です。
岩手県遠野市
この日はほんとに暑かった…。
小槌神社
震災のときは、鳥居の手前まで瓦礫が押し寄せていたそうです。
小槌神社の樅の木
鳥井さんが抱きついているモミの木は小槌神社のご神木だそう。なんと樹齢500年!ここではパワースポットとして親しまれています。こんなに大きいんですね…。
そのあと車を10分走らせ、吉里吉里海岸へ。
合宿に来た感じがしますね〜!
また場面が切り替わって……、
「高田松原津波復興祈念公園」をあとにした私は、過去におのじさんが住んでいた場所にヒロさんと行って来ました。
緑が生い茂っている一面は住宅街だった
どうして道と階段がつながっていないんだろう?と思って撮った写真
住宅街があったことが信じられなかったです。新しく造られた防潮堤とその階段へつながらない道。景色が馴染んでいないような、そんな違和感がありました。でも海は穏やかで鴨が海の上を走り、空には小さな虹のカケラが。
1日目は宿泊先がみなさんと別だったのですが、「よかったら夜だけでもおいで〜」ということで、20時頃におのじさんが迎えに来てくれました。
もう少し早く迎えに来る予定だったらしいのですが、大槌町から帰る途中で道に迷ったのだそう。
『唐桑御殿つなかん』
安心安全に送り届けてもらえ、宿のつなかんでみなさんとお会いできました。
夜の話題は12年前の震災について。おのじさんと気仙沼のこと。かあいさんが過去に大槌町で行ったボランティアで感じていたこと。東日本大震災のときは、それぞれ何をしていたかなど、みんなで話しました。
当時の受け取り方が違う人たちが、時間を共有するこの場にいられてよかったなあと思いました。
2日目の朝は、みんなで「高田松原津波復興祈念公園」へ。
前が見えなくなるほどの豪雨。
運がいいことに着く頃には止んでくれました!
無事に合流できて安堵の表情
奇跡の一本松を撮るかあいさん奇跡の一本松
このあとは東日本大震災津波伝承館を各自で回りました。
東日本大震災津波伝承館
お昼は陸前高田市にある発酵パーク「カモシー」で、それぞれ食べたいものを選んで食べました。
もんさんがハヤシライスに加えて、パンを5個買っていたことは、ここだけの秘密です。
食事のあとは気仙沼で4時間のフリータイム。2グループに分かれて回りました。
気仙沼市魚市場
犬の散歩中だった地元の方が、しばらくもんさんとお話ししている様子。あとで、もんさんから聞いたのですが、この方は震災の3年前に海側から高台へ引っ越されたのだそう。地元の方は「ラッキーだった」と言って、「旅でその言葉が聞けるとは思わなかった」と、もんさんは驚いていました。
気仙沼市復興記念公園
ヒロさんがフィルムカメラで撮ってくれました!安波山
自由時間を楽しんだあとは、気仙沼から車で片道30分の場所にある玉の湯という温泉へ。私は気仙沼のアンカーコーヒーで一休みしていました。すると温泉に向かったはずの、もんさんと、かあいさんが1時間後に戻ってきました。温泉に入っているなら、早すぎる出戻り。
「何で僕らここにいると思います?(笑)」
「まさか、入れなかったんですか?(笑)」
「そうです(笑)」
グループLINEを見てみると、なぜか2人1組になって玉の湯の看板に、顔ハメをしている写真が送られていました。また「本日の日帰り温泉は終了いたしました」の写真も添えられて……(笑)。
宿に帰る途中の車内で「おのじさんのことだから、予定通りに行かなくて絶対落ち込んでるよね」と3人で話していました。
かあいさん「でも玉の湯に行かなかったら、同世代のもんさんと2人でお話できなかった。1日目と2日目の予定が入れ替わらなかったら、大槌に行ったときの感じ方が今と違ったと思うんです。全部が完璧だったんですよ。」
本来の予定では大槌町へ行くのは、2日目だったのですが、天気の影響で急遽1日目に変更になりました。予定変更やハプニングも含めて「おのじさんすごい」と褒め讃えているうちに、宿のつなかんに着きました。
身支度を済ませ、お待ちかねの夕飯です。
女将さんがあつあつの鍋蓋を素手で開けてくれました。「経験よっ!経験!」と、パワフルでした。
めっちゃおいしかった。
嬉しいことに、女将さんの娘さんから、男山の梅酒をいただきました! 焼酎ではなく日本酒で割ったものだそう。そして梅酒の隣にあるのは、気仙沼で有名な小野万さんの『いか塩辛一本造り』。どちらも最高においしかったです。
夕飯の後はコミュニティラジオの収録。想定外のことがたくさん起きた今回の旅。一人ひとり旅の感想を話して盛り上がりました。また今回の企画の背景に関わるお話も。
そして、最終日です。
サウナに入るために朝の5時半から火を起こしているもんさん。ちなみに昨夜は12時半に解散しています。
左から、もんさん、おのじさん、かあいさん。他のメンバーは寝ています
サウナから戻ってきた、おのじさんとかあいさんの目がギラギラしてました。もんさんも「いやあ、気持ちよかった〜」と言いながら居間に入ってきて。朝食中、おのじさんが「整うってこういうことかあ。今まで中途半端だった…」と言って、もん流サウナ方法をほしまどさんに勧めていました。
朝食を終えたあとは『気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館』へ向かいます。お別れの際に女将さんが見えなくなるまで、旗を振って見送ってくれていたのが印象的でした。
伝承館に着いた後、気仙沼が被災したときのドキュメンタリーを見ました。一昨日、昨日と歩いた場所へ、津波が押し寄せてくる映像に言葉がでなかったです。
そのあとは語り部さんから淡々と語られる当時の様子を聞きながら、津波の被害を受けた気仙沼向洋高校の旧校舎を回りました。
校舎4階の床まで津波が来たそう
震災時は迅速な避難のおかげで、この学校にいた約170名の生徒は全員助かったのだそう。学校の屋上に避難した教職員の方々も幸い無事だったといいます。
このあとは気仙沼市大島にある「ヤマヨ食堂」へ。
気仙沼湾横断橋
にしても秘境……。
こんなところに食堂があるのかと思いましたが、本当にあったんです。
食堂のすぐ隣に牡蠣の処理場がありましたここのカキフライほんとにおいしかった!!店内から大島瀬戸を見渡しながらご飯が食べれるなんて贅沢すぎる
女性メンバーの撮影をしてもらいました〜!
ちなみにこの写真の裏側は…
男性陣が真剣に影をつくってくれていました。
みんなで記念撮影
ここで新幹線の時間が迫っているヒロさんを駅まで送る組と、最後の予定である亀山展望台へ向かう組で別れます。
おのじさんと私はヒロさんを送ったのち、解散場所である一ノ関駅で亀山展望台組と合流。そこで展望台に行った感想を聞いてみました。
「展望台どうでしたか?」
「行けなかったんです」
「え?」
「展望台に行っていたらレンタカーの返却時間に間に合にわなくなるので、神社で記念撮影してきました」
みなさんのなんとも言えない表情がまたいいですね
相次ぐ計画倒れにより、なんども聞いたおのじさんの「も〜、ほんとうにごめんなさい〜!」からの、みなさんの「いや、これでよかったんですよ!」「グッジョブだよ!」という一連のやりとり。それを別れ際まで見ることができた愉快な旅でした!
今回の旅のなかで、私はわからないというさみしさを感じることが度々ありました。12年前の震災があった年、小学五年生で神奈川県に住んでいました。当時の記憶はおぼろげではっきりと思い出せない。伝承館を巡っても過去の記憶の蓋が開くことはなく、ただ淡々と起こった出来事と自分の感じていることを受け止めていました。
わからないというさみしさは日常のどこにでもあるとは思うのですが、気仙沼や陸前高田を訪れて、あぁこんなにもわからないんだと圧倒された感覚になったんです。共感も同情もできるはずもなく。それでも「そんなこと感じちゃダメだよ」と言わないのがWasei Salonだと実感した旅でもありました。なにせ今回の旅はしんみりするどころか、なにげないことで笑える瞬間が書ききれないほどたくさんあって。
おのじさんは最後「あんなに計画したのに!!」とおっしゃっていたけど、本当にこれでよかったんだなあと私含めてみんな思っているに違いないです。こうやって思えるのも私たちを楽しませるために、おのじさんがたくさん考えてくれた時間があってのことだと思うので、本当にありがとうございます。また今回の旅に参加された皆さんのお陰で、たのしい時間を過ごせました。みなさん3日間ありがとうございました。
最後にコミュニティラジオ内で収録された、みなさんの旅の感想を一部置いておきます。
「皆さんと行けて楽しかったなって。車の中だったり、ご飯だったり、散歩の時間だったり、ただ本当に楽しかった。」
「おのじさんやかあいさん、そしてこのWasei Salonの旅がなかったら絶対に経験できていないことだったと思います。震災についてもなかなか向き合うタイミングがなかったので、こういう機会をいただけたのが個人的にもありがたいことでした。」
「震災への距離が遠かったこともあって、自分の中で整理しきれてないことがたくさんありました。でも、おのじさんとかあいさんのお話を聞いたりして、また違う感情が生まれてきているので、ゆっくり向き合っていきたいなと思います。明日を迎えるのが寂しく感じるくらい楽しかったです。」
「集団行動は得意ではなかったのですが、それでもみなさんと回れてよかった。実際にみなさんと会ってみると、オンラインで対話している雰囲気とはまた違っておもしろかったです。」
「来る前までは震災12年の年に気仙沼を見に行くという話だったので、向き合う旅になるのかなと思っていたんですけど、むしろより愉快で笑い声が多かった気がします。最初の期待とのギャップもあるが故の面白さだったなと。だからほんと来てみないとわからないし、想像したことと全然違うことがおきまくったなあって。最終的には玉の湯にも入れなかったし、今回は温泉入りに入ったら顔ハメしてきたみたいな旅でしたね。」
「大槌町に行くタイミングを窺っていたんですが、Wasei Salonに入ってすぐに、この旅が企画され大槌町にも行くことが決まったんです。当時小槌神社でしていたことのご褒美が今回の旅のような気がして感慨深い。」
「こんだけ喜怒哀楽のある旅ありますか。ハチャメチャ旅ですよ。短い時間にジェットコースターのように流れ込んできた時間だったので、全く消化されていないし、全くわからない。そんな旅に呼んでくれたと思っているので、ありがとうございました。」
執筆:タオ