最近、かなり意識的に、ビジネス書を頻繁に読んでいます。
昨日ご紹介した佐藤航陽さん「ゆるストイック」なんかも、まさにそう。
ここ最近のWasei Salonの中での読書会や書籍の感想ブログは、基本的には人文系の書籍や小説、古典作品など、比較的”品の良い作品”が話題になることが多いです。
世の中にはそのような話題を共有できる場が少ないですし、そんな場を作りたいと思ってきたので、個人的には非常にありがたい限りです。
ただあえて、そういうタイミングにおいては、僕はそれとは異なる風を吹かせたほうが良いんだろうなあと思って、意識的にビジネスジャンルの本を読んで、その知見を投下したいなあと思っていたりもします。
このあたりは天邪鬼でごめんなさい、って思っています。
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そしてこの点にも関連して、近頃よく思うこともありまして。
それが一体何かと言えば、コテンラジオで語られるような「ビジネスパーソンに、人文知を!」みたいなスタンスは本当に大事だと思うし、よく分かる一方で、その逆もまた大切だなと思うんですよね。
つまり、人文系のひとたちも、自分たちの専門以外の本を読まないと、お互いに歩み寄るのは、なかなかにむずかしいなと感じます。
でも、僕の勝手な印象なのですが、人文系の専門家ほど本当に人文系の本しか読んでない印象なんですよね。良くて小説止まり。
もっと、ビジネス、経済、金融、経営、テック系の本も、ざっくばらんに読めば良いとも思う。
その本に書かれているようなロジックや行動原理で、世のビジネスパーソンたちが生きているのだから。
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もちろん、僕ら一般人もビジネス書を、特定の期間だけまとめて読んでみて、わかった気になるのではなく、定期的に読み続けたほうがいい。
特にテック系の話題なんて日進月歩な話題でもありますからね。
人文系や小説が好きだとしても、定期的にビジネス書にも触れてみる。
この点、文芸評論家・三宅香帆さんがすごいなあと思うのは、そういう本もしっかりと読んでいらっしゃるところ。
本であればジャンル関係なく、雑多に読まれている印象が強くあります。あの姿勢は、いつも見習いたいなあと思わされる。
逆に言えば、彼女の書籍が軒並みヒットを飛ばすその理由は、他の書き手とは異なり、きっとビジネス寄りの視点も常に持ち続けているから、ということでもあるんだろうなあと。
そもそも、人文系もソフトカバーのビジネス書もそこに優劣があるわけではなくて、どちらか一方に偏りすぎてしまうことが、本当によろしくないことだと思います。
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たとえば、最近読み終えて、とても驚いたビジネス書で言えば、山口周さんの新刊『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』です。
この本は、とても素晴らしい本でした。
現代のビジネスパーソンが自らの「これからの働き方」を考えるうえで、読むに値する1冊だと思います。
ただ、その中で語られていた「絶対優位の戦略」の話に、結構ビックリしてしまいました。
この章では、一つの思考実験がなされていて「あなたは無名の若手エコノミストで自分の名前を売り出すことを考えています」という話から始まります。
で、あなたが行った経済予測の確率分析は次のようになりました、と。
株価上昇:6割
株価下落:4割
株価はこのまま上昇する確率が高いが、一部には株価下落を示唆する情報もある、という分析結果を持っていたとして、どういう予測を表向きにはするべきか?という話が語られていきます。
以下で本書から少だけし引用してみます。
さて、この時、あなたは「株価上昇」と「株価下落」のどちらを世の中に訴えるでしょうか?そう、聞くまでもありません。「株価上昇」に決まっています。なんといっても、自分の分析結果は「株価が上昇する確率が高い」と出ているのですから。しかし、それで本当に良いのでしょうか?
エコノミストとして自分の名前を売り出す、ということを考えた時、考慮しなければならないのは「他の多くのエコノミストがどのような予測をするか」ということです。
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ここからの話が長いので、僕なりに要約すると、エコノミストとして無名の状態から知名度を上げるためには、たとえ自分の分析では「株価上昇の確率が高い」と出ていたとしても、戦略的には「株価下落」を訴えたほうが得策なのだと、山口さんは語るんですよね。
なぜなら、有名エコノミストの9割が「株価上昇」を予測している場合、自分も同じことを言ってしまうと完全に埋もれてしまうから。
一方で「株価下落」を予測しておけば、万が一その予測が当たった時に「下落を言い当てた新進気鋭のエコノミスト」として注目を浴びるチャンスが生まれるから、です。
つまり、実際の正しさよりも自らが「どのようなゲームを戦っているのか」を理解し、戦略的に動くことが重要になる。パフォーマンスを上げることと、ゲームに勝つことは必ずしも一致しないと、山口さんは語ります。
なんとも目が飛び出るような話だなと思いますが、実際問題、ビジネスのゲームに勝つならこの方法が良いことは間違いないし、山口周さんが徹底して主張し続けている「資本主義社会のハッカーになる」とは、まさにこのような考え方だと思います。
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で、似たような話で言えば、たとえば、近年の過剰なまでの選挙のハックも、これと全く同じ構造です。
あれは選挙や政治の世界に、ビジネスマインドが持ち込まれている非常にわかりやすい例ですよね。
石丸伸二さんも立花孝志さんも、どちらもそのアプローチは違えど、やっていることはこの山口さんの話と同じだと思います。
政治や選挙という世界は、9割の候補者が従来通りの選挙をしようとしているのだから、自分たちの主張が本当に正しいかどうかはおいておいて、そこで爪痕を残せればゲームには勝てる。
一方でダダ滑りしても、その結果はすぐに世間から忘れられるから実害はないという判断のもと、このような選挙ハックが今頻繁に行われているのだと思います。
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で、ここでくれぐれも誤解しないでいただきたいのは、僕がここで言いたいことは、それが悪だとか、ありえない選択肢だとか批判したい訳ではないです。
そうじゃなくて、そこにはまた「別の正義」の論理が存在しているということ。
世の中には、こういうビジネスマインドのひとたちが存在し、この論理でゲームを行い勝ち上がってこようとする人たちがいる。
そして実際に勝ち上がり、社会に向けて一定の発言権を獲得し、自分のやり方は何一つ間違っていないし、倫理的、道徳的であると堂々と語る人達がいる。
なぜなら、その根拠は自分たちがビジネスというゲームで勝っているから、です。
「ビジネスで成功をし、お金を集め、注目を集め、支持を集めているのだから、自分たちが正しい」というある意味では循環論法なんですが、それを認める前提になっているのが、資本主義社会の不思議です。
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だからこそ、ビジネス書などで、このような行動原理を推奨しているひとたちがいて、それを受け入れている人達がいるということも、ちゃんと知っておきたいなと思う。
そして、それを知れば、自分自身の「見方」も変わる。
たとえば、そういうひとと仕事をするときには、相手の話を話半分で聴かないと「ゲームに勝つ」ための行動原理と、その本心が異なるにも関わらず、真に受けてしまいかねない。
結果として、相手から「ゲームの中で利用される」ことになってしまいます。
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また、このような本が売れれば売れるほど、自分にとって都合の良い部分だけをつまみ食いするような輩も世の中に大量に現れる。
こちらも非常に厄介だなあと僕は思います。
たとえば、昨日のブログにも書いたように、アドラー心理学の「他者の課題」や「課題の分離」は、本来は「共同体感覚」や「貢献感」とセットで語られる必要があり、そうでないと一つの思想が完成しないはず。
でも「他人は他人、自分は自分」と割り切り、他人がどんな損や被害を被ろうが関係ない。それはあくまで本人の自己責任だと言い募るわけですよね。
世の中は弱肉強食であり、騙し騙されのゲーム、そこで結果を出した人間が偉いんだ、ということになっている。そこに共同体という概念は存在しません。
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そして最後に、以前も語った「別世」をつくるとは、このルールに対して明確にノーを突きつけることだとも思っています。
でもそれは、彼らと直接対立したり、反駁したりすることではない。そうじゃなくて、別の価値観軸で動いている世界も、別世として同時につくりだすということです。
資本主義と民主主義によって、ハックされがちな世界だからこそ、「別世」をクローズドのコミュニティとして丁寧につくりだしていくことも本当に大事なことだと僕は思っています。
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そして、だからこそ世の中のメインストリームであるビジネス書もある程度は定期的に読んだほうが良い。
彼らの話は、世の中の構造が変化すれば、その主義主張も大きく変化してくる。
ハックするという考え方それ自体が、テック系の用語であるように、テックが変わればハックのやり方も変わる。そして、ハックが変わればビジネスマインドも変わる、ということです。
その中で、自らが本当に大切にするべき価値観を、改めて再認識する契機にもなる。まさに、人の振り見て我が振り直せ、です。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。