佐藤航陽さんの『世界2.0 』のオーディオブックを聴きました。

世の中がドンドン複雑化していくなかで、人間による適切な判断が難しくなってきている現代。そんな世の中においては、AIやアルゴリズムが「法律」と同じような立ち位置になっていくであろうと語られていました。

かつて私たち人類は、王様の上に「法」を置いて法治国家による世界を目指したように、今度はその「法」の上に、AIやアルゴリズムを置く未来がやってくるのだ、と。

そして、膨大なデータを学習したAIが作り出すアルゴリズムを参考にしながら、世界や国の行く末を決定していくことになるであることが予測されていて、それを「アルゴリズム民主主義」や「アルゴリズム・デモクラシー」などと呼ぶのだと語られていました。

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これは、非常に納得感のある話です。

本書を読み終えた自分から、少し違和感を感じる自分に対して、

「いつの時代も私たちは自分たちよりも大きなものに『委託』して、自らの意志で支配・管理されてきたではないか。今に始まったことではない。これからもっともっと理想的な支配・管理が待っているんだよ。もう自分の利権しか考えない腐った政治家の支配・管理にうんざりしなくて済むようになる。こんなにありがたいことなんてないだろう。」

そう言われているような気がしましたし、確かに本当にそのとおりだよなあと思う側面もあります。

なにより、AIやアルゴリズムによる人間の直接支配が実現可能性を帯びてきた現在、この未来を試さずにはいられないのが人類です。

それは、手塚治虫の『火の鳥』や『エヴァンゲリオン』など、SF作品の中で何度も何度も描かれてきた世界線。

今よりも素晴らしいユートピアの可能性をみつけてしまったら、それを試さずにはいられないのが人類ということなのでしょう。

過去にひとりの科学者が「原子力」を見つけてしまった時点で、それで爆弾をつくったり発電所をつくったりして、ヒロシマ・ナガサキやフクシマまでたどり着くことが既に決まっていたと思わされるのと同じように。

詳しくは、『映像の世紀    バタフライエフェクト』を参照。


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ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモデウス』の中でも予言しているように、この潮流というのは、もはや変わることはないのでしょう。

そうなると、僕らひとりひとりができることは、世の中の津波のような大きな流れがそちらに向かう中で、自分は果たしてどうしていきたいのかを考えること。

「この私にとって、人間らしく生きるとは何か」をド真剣に考えながら、自らのコントロール可能な範囲内で粛々と実践していくほかありません。

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なぜなら、これからは人間の尊厳や権利だと現代で思われていることも、きっとその大半を明け渡すことになるはずだからです。

AIは「あなたのソレもください、アレもください」と要求してくることは間違いないでしょう。

「だってあなたたち人間は、もっともっと幸せになりたいんでしょ。だったら、差し出してよ」と。

戦時中の国家が国民に対して要求した「欲しがりません    勝つまでは」という標語と大して変わらない世界が待っている。

AIに「ソレを差し出した先に、幸福な未来が待っている」と判断されてしまったら、その要求に対して多くの人は「NO」なんて言えなくなる。

戦時中の場合、それは私有財産だけにはとどまらず、果ては自らの子供まで「兵士」として差し出さなければいけなくなりました。

それと同様に、自分が生んだ子供を差し出すことを求められる未来がやってくるのは間違いないと思うのです。

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具体的には「その子供があなたと一緒にいると、あなたも子供も不幸になってしまう確率が90%です」と、AIにしかわからない論理ではじき出されてしまい、「この養子縁組を希望する富裕層の夫婦に差し出せば、あなたもこの子も幸せになる確率は95%です」と言われたら、その選択肢に悩まない親はいないでしょう。

そのときに親は子供を素直に送り出せるかどうか。

そして、それでも送り出さないと決意した親を私たちは批難せずにいられるかどうか。「なんてエゴイスティックな親だ!」「はやくその子供を差し出せ!子供が可愛そうだろ!」と必ず世間は批判してくるでしょう。

長澤まさみさんが主演の映画『MOTHER マザー』で描かれたような親子関係が一切許されなくなる世界です。でも本当に、あの映画の中で描かれていた親子の愛は間違っていたのだろうか…?そこに明確な答えはありません。

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「あなたたち人間は『最大多数の最大幸福』を目指しているんでしょう?SDGsに掲げている未来を切望しているんでしょう?だったら今すぐソレを差し出しください」とアルゴリズムに要求される未来がもうすぐそこまできている。

その未来を目の前にして、それでも問い続けることをやめないことが、今ひとりひとりに求められていると思います。

関連記事いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日の極端なお話が何かしらの考えるきっかけになったら幸いです。