昨日、こんなツイートをしてみました。
ちなみにGiveaway(ギブアウェイ)とは、ある程度高額なNFTを、SNS上でフォローとRTを条件に、タダで配る行為です。
この客観的な状態だけを眺めると、自分が好きそうな施策だと感じてもおかしくないはずにも関わらず、このギブアウェイという文化には、個人的に強い違和感があるんですよね。
もちろん、それを行うひとたちを否定したいわけではありません。
自分自身がなぜこの文化に興味関心を抱くことができないか、その理由が何なのかをずっと考えててきました。
そこで気づいたことは、ギブアウェイや、ソレに類似するSNS上でお金配ったりMacBookを配ったりする行為というのは、「贈与」のフリをした「交換」であり、相手方に不利な「取引」になり得る可能性が高いから、なんだと思います。
そのように考察した理由にについて、今日は少しこのブログにも書いてみようかなと。
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ちなみに「作為の功罪」とは、『超相対性理論』の中で語られていたテーマであり、本当に時代感あるテーマだなと思っています。
「web2的と、web3的の違い」もまさにここにあると思うし「ハックしないことの重要性」でいつも僕が必死に伝えようとしているのもまさにこの文脈の延長線上に存在している。
それはこれまでも、過去に何度かVoicy内でも語ってきたとおりです。
もちろん、ギブアウェイについて「作為の功罪」なんて、しちめんどくさいことを考えているひとなんて、この世には誰一人として存在していないことは理解しています。
「三方良しで、結果的にみんなハッピーじゃん!」それぐらいのテンションで、この文化が好意的な文化として多くの人々が取り組んでいることも重々承知しているつもりです。
でも、その短絡的な発想それ自体が、web2の悲劇、具体的にはこれだけの格差や搾取構造を生みだしてきたのだとも思うのですよね。
だからこそ僕は、自分の中のこうしたちょっとした違和感も、web3時代には大切にしていきたい。
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じゃあ具体的には、どこに強烈な違和感があるのか。
それは冒頭にも書きましたが、ギブアウェイというのは「贈与」のフリをした、完全なる「取引」であり「交換」なんだと思います。
しかも中長期的に見たら、間違いなく相手方に不利な取引となる可能性が高いです。
なぜなら、そこには必ず富の不均衡が生じるからですよね。
元・ZOZOの前澤さんが自らのお金を配れば配るほど、逆に前澤さんに対して有形・無形問わず「資本」が集中していく構造にあるというのは、もう誰の目にみても明らかだと思います。
それをあくまでも「善意で、贈与を行なっていますよ」と見せかけることに対して、自分は強烈な違和感を感じるんだろうなあと。
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この構造はきっと「パパ活」なんかに感じる違和感にも非常に近い感覚だと思います。
パパ活において、男性側が女性側に高級なブランド品をプレゼントする場合、男性側も女性側も、そしてブランド店側においても、全員が経済的な不利益を被るわけではない。
まさにギブアウェイと同様、三方良しの状態です。
そして、形式的には男性側から女性側に対しての純粋「贈与」みたいに見えなくもないのだけれども、その構造自体に違和感が残る。
それは、以前書いた「偽善を愛だと誤解しない」という話にも、非常によく似ている話だとおもています。
参照:偽善を「愛」だと誤解しない。
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この点、「私はあなたを搾取していますよ」と、腹の底にある魂胆まで明確に伝える必要があるとは思わないけれど、せめて、「交換」や「取引」をしていますよ、ぐらいは言って欲しい。
「それは、あなたにとって不利な可能性がありますから、ご注意ください」と。
それを両者が合意した上で、ゾーニングされた港区のような場所だけで行われている契約関係であれば、僕は全く問題ないと思います。
「民事不介入の原則」や「契約自由の原則」がありますからね。誰も何も悪いことはしていない。
ただ、今のギブアウェイ文化に対する違和感は、喩えるなら、あくまで贈与のフリをして高田馬場や日吉、原宿や新大久保あたりを、お金を持った野心だらけのおじさんたちがウロウロしているような状態であり、そのことに対し、ものすごく違和感を感じるのでしょう。
あと、たぶんお金を配る側、そのギブアウェイをしている本人も、いま自分が搾取している側に回っているという自覚がないひとが多いような気がしています。
「ギブアウェイという行為は美しいものだ」と喧伝するひとたちにうまいこと騙されて、自分は今、他者に対して純粋贈与をして良いことを行っているんだと思い込まされてしまっている。
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でも結果として、自分が本来望んでいるような世界観にまったく到達できていなくて、なんだかモヤモヤとしてしまうのでしょう。
それはパパ活ばかりしているひとが「本当の愛が全然見つからないんだ!」と嘆くようなもの。
そりゃあそうですよね、お金目当てでテイカー気質の人間ばかりが自分のもとに集まってくるのですから。
フォロワー数や目に見える指標の数字は、わかりやすくうなぎのぼりに増えてはいくけれど、実際のところ、それは「諸刃の剣」であることは間違いない。
そして、それは結果的に、Web2時代の「格差と貧困」を助長してしまい、完全に過去の10年の二の舞になると僕は思います。
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「無料」という言葉で釣ってきて影響力を高めようとしている時点で、その価値基準自体が非常にweb2っぽい。
手垢つきまくりの格言「タダより安いものはない」っていうのは、きっとそういう意味でもあるのだと思います。
昨日のブログにも書いたように、本当に目指している世界観、その趣旨や目的にしっかりと立ち返って、目先の利益に騙されずに、いま本当に必要だと思う施策や発信をこれからも大切にしていきたい。
そんなことを考える今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
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声のブログ、Voicyも毎日更新しています。ぜひ合わせて聴いてみてもらえると嬉しいです。
2022/12/16 11:56