昨日、Netflixの新作ドラマで、占い師・細木数子の生涯を描いた『地獄に堕ちるわよ』をすべて観終えました。
観る前から、これはきっと最後まで観ることになるだろうなと思っていたのですが、実際に観終えてみると、やっぱり観てよかったなあと感じています。
ドラマ本編を観終えたあと、舞台挨拶の動画も合わせて観てみました。
少し冒頭から余談ですが、最近、こういう作品を観たあとに、その作品の舞台挨拶やインタビュー映像まで観るところまでが、僕の中ではほとんどセットになっています。
うまく言えないのですが、舞台挨拶までが映画やドラマの一部になりつつある。
本編だけではなく、その作品がどのようにつくられ、演じられ、届けられようとしているのか。
そこまで含めて眺めてみたときに、作品の輪郭みたいなものが、よりはっきりと見えてくることがあるからだと思います。
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で、今回の場合も、まさにそうでした。
舞台挨拶の中で、主演の戸田恵梨香さんが最後のコメントとして「今回は本当に自信がない。強い不安がある」という趣旨のことを語っておられた。
僕は、その迷いながら語る言葉がなんだかとても印象に残りました。
もしかすると、ドラマ本編と同じぐらい、その言葉が印象に残ったと言ってもいいかもしれません。
普通、作品の宣伝の場であれば「自信があります!ぜひ観てください!」と語るほうが自然。もちろん、それもひとつのプロフェッショナルな態度だと思います。
でも、この作品に関しては、そこで晴れ晴れと「やり切りました!」とだけ語られるよりも、「自信がない」「不安がある」という言葉が出てきたことのほうに、僕は強い信頼感をを感じたんですよね。
なぜなら、この作品は、どう考えても非常に危うい題材を扱っているからです。
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細木数子、占い、テレビ、裏社会、政治、戦後フィクサー、虚実が入り混じる物語、そしてNetflix。
この組み合わせだけを単語ベースで眺めるだけでも、かなり危うさが溢れている。
一歩間違えれば、ただの欲望まみれの週刊誌的なゴシップドラマになってしまう。
また一歩間違えれば、それに対して強烈なアンチテーゼ、つまり正義の側からの断罪の快楽になってしまう。
どちらに転んでも、細木数子という強烈な人物を、もう一度、刺激的な怪物として消費するだけの作品になってしまうわけです。
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つまり、このドラマは、自分たちが描いている世界の欲望そのものに、自分自身が飲み込まれてもおかしくない作品だったのだと思います。
ドラマの中では、何が本当で何が嘘なのか、何が欲望で何が真実なのか、その境界が何層にも折り重なって描かれていきます。
そして、それはきっとドラマの中だけの話ではなかったはず。
メタ的になってしまいますが、この作品をつくる過程そのものにも、同じように虚実や欲望、真実が入り混じっていたのだと思います。
そんななかで、細木数子という人物を一体どう描くのか。
彼女を断罪するのか。それとも、カリスマとして魅力的に描くのか。
また、彼女にすがった人たちを愚かだったと描くのか。それとも、時代が生んだ必然だったと描くのか。
そのどれもが、簡単に断定できるようでいて、実際にはとても簡単には断定できないものばかりだったはずです。
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そして、今回このドラマを観終えて僕が感じたのは、この作品は、その危うさの寸前でなんとか踏みとどまっていたということでした。
もちろん、かなり危ういところまでは踏み込んでいると思います。というか、ドラマ単体で考えたら、ギリギリアウトな気もしています。
人間の欲望のいやらしさも、テレビの残酷さも、その裏側の世界のいかがわしさも、かなり強烈に描かれている。
僕がブログのなかで何度か触れてきた、思想家・安岡正篤も、本当にどうしようもない人物として描かれていて、正直、それは純粋に悲しくもありました。
別に、僕自身が安岡正篤に特別な思い入れがあるわけではありません。
でも、戦後フィクサーと呼ばれるような人物が、物語の中でこういうふうに描かれていくことには、やはり一抹の悲しさがある。
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ただ、細木数子を筆頭に、どれだけどうしようもない人間として描かれていたとしても、それでもそこに「人間」がいたのだという感覚を、完全には捨てきれない。
断罪したい。でも、どこかで悲しくもなる。
嫌悪する。でも、ただ嫌悪だけで終わらせることもできない違和感が自分の中に残る。
この引き裂かれた感覚こそが、このドラマを観ている最中、ずっと残り続けていたもの。そして、僕はその迷いに、この作品の倫理を強く感じたのだと思います。
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以前、漫画『チ。』について書いたときに、「迷って、迷いの中に倫理がある」というセリフについて考えたことがあります。
そのとき僕は、フィクションの中で語られる強烈なメッセージは、文脈から切り離されると、簡単に誤解されてしまうという話を書きました。
言葉だけを名言のように取り出してしまうと、それは本来届くべき相手とは違う人に、違うタイミングで届いてしまう。
だからこそ、その言葉が「誰に対して、一体どんな立場から」語ったものなのかが、とても大切なのだと。
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また別の記事では、『チ。』と大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を通して、迷いや葛藤が消えていくことの怖さについても書きました。
人間という生き物は、腹が決まった瞬間に強くなる。
迷いがなくなり、葛藤がなくなり、信念だけで突き進めるようになると、たしかに物事は一気に前に進みます。
個人に限らず組織やチーム、会社や国家もそう。
個々人の迷いや葛藤を削ぎ落とし、ひとつの信念やビジョンに向かって突き進むことができれば、驚くほどの成果を出すことがある。細木数子もきっとそうだった。
でも、そのときに失われてしまうものもあるわけですよね。
むしろ、その邪魔だと思われていた迷いや葛藤の中にこそ、人間にとって本当に大切なものが含まれているのではないか。
そんなことを、以前から繰り返しこのブログの中で考えてきたつもりです。
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そして今回、『地獄に堕ちるわよ』を観て、その感覚がさらに確信に変わった気がします。
迷いの中に倫理がある。
それは、人間の生き方や成熟だけに限った話ではない。作品づくりにおいても、きっと同じなのだと思います。
危うい題材を扱うとき、作り手が迷いを失った瞬間に、作品はその危うさそのものに飲み込まれてしまう。
「この人は悪人です」
「この時代は狂っていました」
そう言い切ることは、きっと簡単だし、そう言い切ることは、とても気持ちがいいはずです。
悪を悪だと言い切ることや、愚かさを愚かだと言い切ること。もちろん、それはときに必要なことでもあります。でも、きっとそれだけでは足りないんだろうなあと。
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その断定の中では、相手がひとりの人間だったことが、どこかで忘れ去られてしまうから。
僕が戸田恵梨香さんが正直に語る「自信がない」「不安がある」という趣旨の最後の正直な言葉に強く惹かれたのは、たぶんそのためです。
それは、この作品の外側にある単なるコメントではなかったように思います。
むしろ、この作品の倫理、そのものだったように感じる。
この題材を扱った作品が、本当にこれでよかったのか。この人物を、このように演じ、このように世の中に届けてよかったのか。
その迷いが最後の最後まで、彼女の中に明確に残っていたこと。
そして、その迷いが残っていたからこそ、この作品は、最後のところで単なる断罪にも、単なる消費にも、単なる暴露にもなりきらなかったし、なりきらずに済んだ。
僕には、ついついそんなふうに見えてしまったということです。
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以前のブログの結論部分に、僕は以下のような話を書きました。
矛盾に迷い、葛藤すること、そこに「人間らしさ」が宿る。葛藤のない知識や知見は、もうAIがすべて担ってくれるようにもなる。
逆に言えば、これまでどちらか片方に振り切った価値観が価値を持っていたのは、AIがなかった時代だったからなのではないか。
どちらかに振り切ること。迷わずに結論を出すこと。これらは、会社の発展や資本主義にとって、非常に有効な態度だったのだと思います。
そして今でも、もちろん有効であることは間違いない。
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でも、これからの時代においては、きっとそれだけでは足りなくなっていくはずです。
なぜなら、葛藤のない知性や知見は、AIがどんどん担えるようになっていくから。
それ(正解)がわかっているのに、割り切れないことであり、断罪したいのに、悲しくなってしまうこと。
また、カリスマ的魅力に魅了されているのに、同時に嫌悪してしまうこと。許せないはずなのに、その人が人間であったことを忘れられないこと。
この矛盾に引き裂かれた状態に、逃げずにとどまり続けるとき、そこに、人間らしさが宿るのだと思います。
そして、その葛藤や成熟を通したところにこそ、人間本来の優しさみたいなものが同時に立ちあらわれてもくる。
相手を、余人をもって代えがたい存在として尊重するような敬意なんかもきっと、その先に立ちあらわれてくるんだと思います。
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今回、『地獄に堕ちるわよ』を観ていて、僕はそのことを何度も考えてしまいました。
このドラマに描かれている人たちは、みんなどこかで欲望に飲み込まれている。
そして、そのドラマを観ている僕ら自身も、決してその欲望の外側にいるわけではなく、むしろその欲望のド真ん中にいる。自分自身がそこに映り込んでいる。
でも、その危うさの中で、最後に何かが踏みとどまってたようにも感じる。それは、たぶん主演の戸田恵梨香さんの迷いだったのだと思います。
その迷いがあったからこそ、この作品は単なる刺激物としての快楽や、ドーパミンカルチャーの産物に成り下がらずに済んだ。
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迷いは、決して弱さではない。迷いは、踏み越えてはいけない一線の前で、人間や作品を押し留める最後の重しのように存在してくれる。
迷いの中に、倫理がある。そして、人間だけがその葛藤の器になれることを忘れないこと。
そんなことを改めて強く思い知らせてくれる、素晴らしいドラマ体験でした。ご興味がある方はぜひ舞台挨拶まで含めて、観てみてください。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/05/05 15:26
『地獄に堕ちるわよ』を、地獄の手前で踏みとどまらせていたもの。
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