ひとの話をゆっくりと聞かせてもらっていると、自然とその人がいま直面している葛藤を聞かせてもらえることがあります。

そのような話を聞いていると「なんで、そんなことで悩んでるの…?」って内心驚くことが、結構あります。

もちろん、直接本人に対してそのような驚きを伝えるようなことはしないけれども「ひとはいろいろなことで葛藤するんだなあ」と思わされます。まさに葛藤は十人十色。

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このような葛藤の最中にいるひとは、当然ものすごく苦しい思いをしています。

だから多くのひとは、「そんなことに悩んでんじゃねえ!」と言い放ってくれる『ワンピース』のルフィみたいな強いリーダーを追い求めてしまいがち。

世間で語られる強いリーダー像というのは往々にして、自分の葛藤を吹き飛ばしてくれるような大きくて頼もしい存在です。

「うるせえ!一緒に行こう!」みたいな。

そして「あのときの私を救ってくれたのが、ルフィでした」みたいな美しい回想話が広く流布していって、自分もそんな強いリーダーになる or 出会えることに憧れるひとがより一層増えていき、みんな「葛藤」を吹き飛ばしてくれる強いリーダーをお互いに求めるようになります。

もちろん、ルフィみたいな人間に救ってもらった「麦わらの海賊団」のようなひとたちはとても幸福かもしれないけれど、それが危険なカルト宗教だったというひとだって、この世界にはたくさん存在しているのでしょう。

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無理やり私の手を引っ張って、今の鬱屈とした場所から連れ去ってくれるひとに救われるという体験は、ものすごく大きな快楽を伴います。「白馬の王子様」信仰なんてその典型例と言えそうです。

でも、一方で何かを直感的に感じ取って、私なりの「葛藤」を抱き、そこで何度もつまずいてしまっているのだとしたら、その葛藤のほうにこそ、実は大きな意味があるのかもしれない。

つまり、もしかしたらそうやって自分がつまずいてしまった「石ころ」のほうが、私を「私」たらしめてくれる神様そのものなのかもしれないなあと。

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この点、多くの人にとっては、遠くに見える輝かしい目的や目標が、私の本来追い求めるべき美しい「道しるべ」なんだと思ってしまいがちですが、それって大抵の場合は「共同幻想」に過ぎないのですよね。

社会によって規定されている場合がほとんどです。

「プラトンの洞窟の比喩」みたいなもので、洞窟のなかにある「影絵」を道しるべに生きてしまっているけれど、実はそれを映し出しているのは、ほかでもない社会(構造)そのものだったりする。決して私の心が投影したものではありません。

参照: 人生の逆回転が始まる感覚。

それよりも、洞窟の中から這い上がり、地上に出て初めてつまづいた何の変哲もない「石ころ」のほうが、実は世界と私という存在の紛れもない「摩擦」そのものなのかもしれない。

そして、この世界との摩擦から生まれる私の感覚のほうが「本来の私」だと言えるのではないでしょうか。

これもまた「灯台下暗し」のひとつだと思います。

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様々なひとの葛藤を聞かせてもらっていると、みんなそれぞれに葛藤を抱えていて、それを拭い去って吹き飛ばしてくれる強いリーダーや思想、指針、信仰などを追い求めてしまっているように感じます。

でも、僕は「その葛藤こそが、あなたの道しるべですよ」ということを全力で伝えていきたい。そこに自然と「人となり」があらわれてくるのだから。

参照: それでも、葛藤し続ける人生を応援したい。 

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。