どうしても僕らは、社会的な成功のために「悪魔との契約」をしたくなってしまう生き物です。

いや、明確な「悪魔との契約」とまではいかなくとも、自分の中にいる悪魔と対局にいる者の声(天使の声と呼ぶ人が多い)を無視し続ける人生を選んでしまいがち。

これもある意味仕方ないことだと思います。自分の中の葛藤と対峙すればするほど、「もし、この耳鳴りのような声に悩まされずに済み、それを無視して即断即決できるようになれれば、どれだけラクなのだろうか…」と何から何までそんな人が羨ましく感じられてしまい、自分もそっち側にいってしまおうかと煩悶してしまうのが人間の性だからです。

でも、やっぱり葛藤しかないのだと思います、この私を「私」たらしめてくれるのは。

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そもそも、多くのひとは「社会的な成功」が人生の最終到達地点だと思ってしまいがち。

でも僕は、生きる目的はほかでもない「自分」になることだと思っています。

そして唯一、私の中に生じてくる葛藤だけが、その「自分」というものに出会わせてくれる可能性がある道しるべであり、それらに文字通り葛藤し続けた結果、自然とたどり着いている場所が「自分」である。

これは、以前ご紹介した河合隼雄さんの言葉を引用するとより一層伝わりやすいかと思います。


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「いや違う、俺の人生の目的は社会的に成功することだ!」という場合には、どうぞ今すぐ葛藤から開放されて、その最短距離を歩んでいってください。

決して誰も止めないですし、「誰かの人生を生きること」も生き方や働き方の立派な選択肢のひとつだと思います。全身全霊で演じきれたら、それはそれでとってもカッコいい。それこそ、「死ぬまでやったれ、猿芝居」です。

でも、もし自己の人生の目的が誰かが勝手に定めた「社会的成功」なんかではなく、たとえどんな状況に陥ろうとも、私が「私」になることだとしたら、これからもどうか葛藤し続けてください。

僕はその「葛藤」から逃げないと決めた決断を全力で応援していきたい。それでも「葛藤」を抱えて生きることを全力で肯定したいきたいと思います。

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僕も必ず葛藤し続けることを誓うから「お互いに、行けるところまで行ってみませんか」と提案したいのです。

誰かの定めた人生を生きて、社会的に成功しようとする行為は、葛藤を抱えて生きる人生が見事に大失敗したあとからでも、まったく遅くはないと思うから。

いま自分の心の中に葛藤を抱えて苦しんでいるひとに、少しでもこの気持ちが届いてくれてたら幸いです。

その他にも、これまで書いてきた様々な「葛藤」に関する記事は以下となります。ぜひ合わせて読んでみてもらえると嬉しいです。

鹿猟師の葛藤から考える、この世界の複雑性の捉え方。

悩んだり葛藤したりすることを決して恐れるな。

自分の中で葛藤がないひとは苦手だ。

その葛藤は、「論理」と「道理」の狭間で生まれている。

歴史を読むとは、当時の時代背景とその葛藤を知ること。

人生をかけて探求したくなる問いは、一体いつ生まれてくるのか。