今日、山田ズーニーさんのこんなつぶやきがTwitter上で流れてきました。
読んだ瞬間に、これだ!と思いました。
つぶやきに掲載されているリンク先のほぼ日の記事もぜひ読んでみて欲しいのですが、これは本当に、本当に大事なことだと僕は思います。
今日は、この内容を受けて、僕もいま改めていちばん書きたいことを書くことの重要性について、このブログの中で自分の考えをまとめてみたいなと思っています。
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この点、自分にとっていちばんに書いてみたいことほど、想いが複雑に絡み合っているから「書ききれないかもしれない…」と感じやすいもの。
でも、そのようなタイミングこそ、それでもソレを書こうとしてみることが、とっても大事だなあと思います。
そしてそうやって勇気を出して書いてみると意外とすんなり書けたりもするから、書くという行為は本当に不思議なものだなと毎回思います。
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僕ももう10年以上、毎日のようにブログを書きつづけてきましたが、それでも毎回ためらいが生まれてくる。
本当にいま書きたいことよりも、もっと市場や読み手のニーズに合わせて、尚且つ自分でもその結論までの道筋がはっきりしていて、簡単に書ききってしまえそうなテーマを選んでしまったほうがいいのではないか、と。
でもそんなものほど、もうAIに任せれば良いんですよね。
人間が本当に書くべきは、自分が書けるかどうかわからないけれど、今一番書いてみたい、他者に伝えてみたいと思うことを、勇気を持って書いてみるべきで。
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そして、実際にそうやって今いちばん書きたいことが書けたときは、たとえその記事に対して読者やサロンメンバーのみなさんからまったく反応がなかろうが、本当に誇らしい気持ちになります。
そんな些細な積み重ねや、過去の実体験があるからこそ、今日も「書ききれないかもしれない…」と思いながらも、書いてみようと思える。
当然、実際に試してみて、やっぱり書ききれなかったという場合も多いです。
「何も答えが出なかった。自分が書きたいことの半分も、言葉にすることができなかった」と悔しいと思いをすることも多々ある。
でも、そんな日々を繰り返す中で、3割でも書きたいと思ったことが書きたいと感じられる形で書き切ることができれば、それだけで上出来だなとも思っています。
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ここで大切なことは、継続的に打席に立ち続けること。そうやって立ち向かったことに意味があると思っています。
今いちばん他者と共有したいと思う大切な事柄から、逃げずに立ち向かうことができたという体験が、また次の自分を支えてくれる。
そして、このような一歩を踏み出す勇気が少しずつ、でも着実に養われていくのが「書く」という習慣のすごいところだなと思っています。
で、これって書くことに限らずに、人生においてもまったく一緒だなと思うのです。
「できるかどうかわからない…」という状況下であっても、それが自分が一番やりたいことだったら、やりきれるかどうか100%確実ではない状況の中でも、自分を信じて一歩踏み出せるかどうか。
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そして、このときにAIに任せてはダメなんですよね。
それは、その完成度が低いから、じゃないですよ。
AIが代筆してくれる文章は、その完成度が高すぎるから、です。
漠然とした主題であっても、なんとなく意図を察してくれて、それっぽいものを書き上げてくれてしまう。
そして、そのAIが仕上げてくれたものを見て「あー、私が書きたいことはこれだった」と誤解をしてしまう。
若干の身体感覚とのズレはあるかもしれないけれど、なんだかこっちのほうが文章的にも美しいし、しかも周囲から批判されなさそうな意見でもあるから、そちらを採用してしまう。
それぐらい、もうAIが返してくるものは完成度が高くて美しいものばかり。
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でも、そうすると、内田樹さんが言うところの「自分のヴォイス」を見失ってしまうわけです。
インターネット上に存在する無数のストックフレーズを掛け合わせて、自分が言いたかったことに近いものを簡単に再現できてしまう。
でも、本当に大事なことは、そうやってキレイに仕上げることではなく、書きながら自分のヴォイスを発見していくこと、その過程のほうなんですよね。
そして、本当に一番書きたかったことはコレだったんだ!という気付きや発見というのは、自分でゼロから自発的に書いてみないと、決してわからない。
むしろそうやって、文章と私のあいだに生成されるものが、自分の本当に書きたかったことなわけですから。
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この点、どうしても僕らは、何か明確に自分の中に主張したいこと、そんな私の「意見のイデア」みたいなものが、まず内在していると思っている。
いま「言語化」という言葉が流行っている理由が、それを如実にあらわしていますよね。
私の頭や胸の中、腹の底にある想いを言葉に置き換えているだけだという身体感覚が先にあるから、言語化するという表現になるわけです。
でも実際には、そうじゃないんですよね。
そうやって、言葉にならない言葉を、それでも書いてみようとするから、そのときに初めて私の中にけむりのように立ちあらわれてきて、自らで発見することができる。
その時に初めて立ちあらわれるものが、私の想いなのだと思います。
逆に言うと、それまではどこにも存在しなかった。強いて言えば、面影やうつろいみたいなもの。
変な喩えだけれども、精子と卵子が結合して、はじめて人間になる、みたいな形にも近い。
精子も卵子も、それだけでは決して人間ではないはずです。その段階で、確かに人間の面影があったとしても、それはただの細胞に過ぎない。
このような視点というか感覚が、とても大事だなと思います。
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でも今は、その形成過程のスピードや、生産性ばかりが求められるような世の中です。
こちらも変な喩えですが、手書きで自分の中のいちばんの想いを書いてみようとする行為は、もはや餃子の皮を自分で、ゼロからつくろうとするような行為に近い。
なんなら、もう餃子を手で包むことさえ許されないような状況です。
「味の素の冷凍餃子がこんなにも美味しいのに、なんでわざわざ手作りしてるんだよ!」っていうツッコミが全方位から入ってしまうような時代です。
「わざわざ時間をかけて、自分でつくったところで、冷凍よりもキレイでも、美味くもないのに」って。
でも、餃子の皮から手づくりして、自分で包んでみないとわからないことって間違いなくあるじゃないですか。それで初めて気づけることって、山ほどある。
自分の手で、いちばん書きたいことを書いてみるというのも、それと強く似ているところがあります。
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で、だとしたら、そうやって書きながら自分のヴォイスを発見していこうとする営みを、横目で見守りながら、黙って待っていてくれるひとたちがいてくれることが、何よりも大事になるなと思っています。
そうやって、つまづいたり、転んだりしながらも、つくりあげたものを受け取り合える空間やコミュニティが大事だなと思います。
当然、Wasei Salonでやりたいこともまさにそういうことです。
しかも、真正面から待ってくれているのではなく、それぞれにそれぞれのことを取組みながら、良い意味で見て見ぬふりをしながら、淡々と自分のことをやりながら待ってくれているひとたちが集う空間が、大事だなと思います。
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つまずいたり、よろめいたり、時には感情的になってぶつかってきたりしたとしても、それでも、いなくならないで、静かに耳を傾けてくれる。
そのような関係性の中で構築される「時間的な信頼」のほうが、これからは重要だなと思います。
「3年、5年、10年と我々は一緒にいたじゃないか」という実体験づくりのほうが大事、というか。
それは餃子の皮がフライパンに張り付いてしまって大失敗しても、それはそれで楽しく笑い合いながら、最後まで美味しく食べ終えて、満足できるというような関係性にも似ている。
それしかもう、人間同士が価値を感じるものは残らないのではないかとさえ思います。
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「でもそんなことしたら、その受け手の優しさに甘えるひとたちが出てくるだろう、そうなったら読み手側も付き合いきれないじゃないか!」って思う人もいると思うのですが、実はそうじゃないんです。
ここは、とても強く強調したい部分でもあって、僕がWasei Salonを7年以上続けてきて、強く身体知を通して自らも驚いていることのひとつなのですが、
そうやって正しく受け取ってもらえる、待っていてもらえると思えれば、人は誰に言われるまでもなく、自分で自分の襟を正す。
人様に差し出しても構わないと思える、手づくりのレベルまで仕上げてくるし、それが多少不格好であっても、ありがたく受け取り合える。
逆に、そうやって受け取ってくれるひとたちがいないから、ひとは無理に甘えたり、無理に試し行為なんかをしたりするんだと思います。
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僕が常々語っているような、先に受け取る側の態度やマナーのほうが大事というのは、まさにここにあると思っていて。
「私には、あなたをいつでも受け入れる準備がある」という敬意を、人は悪意を持って意図的には踏みにじったりは決してしないし、それに頼り切ったりもしない。
むしろ、自分も敬意を持って、押し付けがましくない形で待ってくれているひとに対して、最大限の敬意を持って、差し出すはずなんです。
そのような環境下で、みなさんがいちばん大事なこと、自分のヴォイスを発見するためのお手伝いをしたい。
もちろん、そこでAIを排除するわけでもなく、AIも仲間や友達のように上手に活用しながら、です。
2番目以降にやりたいことは、ドンドンとAIに任せて、一番やりたいこと、いちばん書きたいものを、自分の手で書いてみる時間をつくって欲しい。
AI時代にはこんなこと誰も言わないからこそ、そんな別世をWasei Salonの中でしっかりとつくっていきたいなと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。

2025/06/25 19:41