先日、このまとめ記事を読みました。


なるほど、このお話はすごくおもしろいなと。

そしてこれこそがまさに、現代でつくり手の「固有名」が嫌われる理由でもあるのかもしれない。

具体的には、現代の若者には「批評」が嫌われて「考察」が好まれる理由も、この冒頭の前口上が広く一般的になってしまったことが大きな要因なのかもしれないなあと。

つまり、役に立つノウハウ動画を入口にして、ファンビジネスにつなげたいと必死に願う配信者と、コンテンツ(ビジネス)にしか興味がない視聴者、その意識のズレ。

ちきりんさんもVoicyでよく語られているように、そんな配信側の思惑と、視聴者側の思惑が一切噛み合っていないことが、一番の要因なのかもなあと。

個人的にはなんだかすごく腑に落ちた話です。

今日は、この話をもう少しわかりやすく、なおかつ深堀りをしながら考えてみたいと思います。

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この点、どうしても広告と言えば、邪魔くさい広告が、一番あたまに浮かびやすいと思います。

動画の途中で流れるCMなど、コンテンツから完全に浮いているものが広告だと。

もしくは、それを逆手に取って、案件や記事広告のように、最初からコンテンツそれ自体が広告であるパターン。

でも、この「前口上」はどっちでもないわけですよね。

前口上は配信者自身が「配信者自身の商品」その広告を行っているような形で、本コンテンツの文脈に、すんなりと溶け込んでいるわけです。

言い換えると、本当に有益な情報に対して、ファンビジネスのための宣伝を、しれっと混ぜ込んでいるような状況。

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とはいえ、本コンテンツから明確に切り分けられてもいる、ここもポイント。

そうやって宣伝し続けて、サブリミナル効果のように視聴者に刷り込んで、次第にファンになってもらい、メンバーシップなどにサブスク課金してもらえることが、一番のキャッシュポイントになりつつあるわけです。

つまり、現代はこのような配信者たちの前口上の中にこそ「本当の広告(キャッシュポイント)」がある時代だとも言えそうです。

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具体例として、一番わかりやすいところだと、Voicyにおけるキングコング西野さんの前口上なんかは、とてとわかりやすい。

あれは明確に「宣伝」とおっしゃっているから、誰もが宣伝だと思って聴いているだろうけれど、でもユーザーからのダイレクト課金をするうえで、一番効果があるから、西野さんも毎日続けていらっしゃるわけですからね。

そして、本編ともシームレスにつながっていくから、リスナー側も違和感なく聴けてしまう。

そして、いま多くのYouTuberや配信者、コンテンツクリエイターたちが、みんなが西野さんと似たようなビジネスモデルを、選び取り始めているということでもあるんだと思います。

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このように、今は視聴者やユーザーからのダイレクト課金が当たり前となってきました。

PV重視のアドセンス広告のようなわかりやすい広告ビジネスや、案件を請け負うことなんかよりも、よっぽどそのほうが効率良く、安定的に稼げる手段になっているからだと思います。

ライフタイムバリューも明確に上がる。ユーザー側を、生かさず殺さず、長い時間をかけて、昔の荘園領主のようなことも可能となる。

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じゃあなぜ、今こんなことが起きているのか、その点について、ここからは考えてみたい。

それは、広告単価自体がものすごく下がってしまったことが原因だと思います。

あとは、いわゆるな「案件」やステマみたいなビジネスが完全に嫌われてしまったことも、非常に大きいと思います。

つまり、もうどちらも金にならない。一瞬は金になっても、継続性がない。

でも、昔は広告単価自体がもっと高かったし、PVも稼ぎやすかった。案件も少なく優れたものも多かった。

つまり、みんなが一斉に同じ方向に飛びついてしまったがゆえに、価格破壊がおきてしまったその変化でもあるわけですよね。

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で、その結果として、無料コンテンツは「前口上」だらけとなりました。そんな人間の「顔」が全面に出るようになった。

結果として、今はその「固有名」こそが、邪魔者扱いになったわけですよね。

配信者の固有名さえも、嫌われる時代になった。

つまり、みんながアドセンス広告や案件、記事広告に見切りをつけて、ファンビジネスが主流になった結果、皮肉にも、情報を求めている大多数のユーザーにとって発信者の「固有名(顔や名前)」が一番のノイズとして認識されるようになったのが、まさに今なわけです。

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しかし、とはいえ前口上が必ずしも、いついかなる場合においても、ノイズとなるわけでもありません。

言い換えると、課題を解決をしたいプル型検索のときにも、ファン向けのプッシュ型の宣伝がひたすらに入れ込まれているから「邪魔だ、ノイズだ!」となるだけで。

で、これがYouTubeというプラットフォームの特殊性だと僕は思います。

YouTube上で前口上が嫌われる理由も、きっとここにある。

なぜなら、いまYouTubeはプル型とプッシュ型、その両方のニーズが玉石混交なわけですよね。

情報に特化したノウハウ動画もあれば、ファン型の動画もある。

YouTubeでプル型検索をしているとき、特に冒頭で紹介したようなレシピを映像で知りたいというときには非常に邪魔くさい。

とにかく今すぐに「情報(ノウハウ)」だけが欲しいだけだから。

この意識のズレが「レシピ動画の冒頭の雑談は一切要らない」という感覚を生み出してしまう。

特に、時間を効率的に使いたい(タイパを重視する)若い世代ほど、この傾向は顕著なのだと思います。

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逆に言えば、Podcastやラジオは、最初からそのニーズにほとんどズレがない。

だから今、これだけ好まれているということでもあると思うのです。

言い換えると、ポッドキャストやラジオのコンテンツプラットフォームの中でプル型検索をしているひとなんていない。

Podcastに、今すぐ具体的なノウハウが知りたいことを求めにやって来るひとなんてほとんどいないわけですよね。

ノイズに感じるひとは、そもそもポッドキャストに来ていない。

たとえ、プル型で探し当てた番組でも、そのニーズは語学学習やコテンラジオのように、定期的に触れ続けることによって自らの知見を底上げしたい学習ニーズ。

もちろん大半は、ファンビジネスに近い距離感を狭めたコンテンツを自ら求めに来ているわけです。

だからリスナーと配信側にズレがなく、不一致が起きにくい。YouTubeでは嫌われる前口上も、むしろ好意的に聴いてもらえる可能性が非常に高くなる。

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で、ここまで考えると、Voicyがいま何を完全にミスっているのか、どんな方向性が曖昧なのかも明確になってくると思います。

最初は、ビジネス系のインフルエンサーばかりを集めて、コンテンツビジネスをしていたのに、そこからファンビジネスに少しずつ流れてしまっているからだと思います。

つまり、音声版のYouTubeみたいな玉石混交状態ということなんだと思います。

これも結局、不一致の問題。だからリスナー側にも配信者側にも、ノイズが起きる。

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また、noteもそうだと思います。テキスト版のYouTubeみたいになっている。

で、冒頭に書いた話、いま「批評」が嫌われて「考察」が好まれる理由もきっとここにある。

読みたいのは、映画を見たあとすぐのタイミングにおける、他のひとの「考察」であって、その考察している人間がどんな人間・個性であるかというのは、そのときには全く不要な情報。

そんなひとたちがSEO経由で、いまnoteに大量に訪れている。

だから「前口上」的なテキストの内容は、すべてノイズだと思われてしまいやすい。

だとすれば、若い人たちが、そのノイズを切り落とすような情報接種の仕方をするのは、当たり前です。

ゆえに、note側もできるだけ、ノイズに感じられないようなUIやUXを必死で保っている。具体的には、できるだけコンテンツクリエイター側にカスタマイズさせない仕様を貫いているわけです。

テキストの文字の色さえも一切変えさせない。それがSEO経由のプル型のユーザーにとっては、ノイズだとわかっているから、です。


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繰り返すけれど、それがノイズかどうかは、客観性で判断できる事柄ではなく、受け手の置かれている状況や文脈、そのコンテキスト次第なんです。そこに大きく左右される。

訪れるユーザーにとって邪魔な場合もあれば、邪魔じゃなくむしろ、喜ばれる場合もある。

あくまでも、求めている視聴者や読者とのニーズ、その不一致の問題。

そしてこの不一致を防ぐのが「編集」の仕事であり、マーケティングの仕事でもある。

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そして一方で、人間は当然、顔や固有名も大好きだから、顔は顔でその気分に浸りたいときに別途取りに行くことにもなる。

その結果、「ストーリー」や「物語」に特化したものに浸りたい欲がそのまま、推し活やサバイバル番組、リアリティ・ショーに流れてしまっているということなでしょうね。

なんにせよ、ユーザー側が嫌いなものを無理やり届けようとするから、ユーザーの間で嫌悪感が溜まり、冒頭で紹介したまとめ記事が見事にバズってしまう。

でもその結果として、これからは全部AIに持っていかれるはずです。

AIは「私のファンになれ、有益なコンテンツを提供してやるから、そのかわりに私のファンビジネスにダイレクト課金しろ」なんて面倒くさいことは言わない。

ただひたすらに、ユーザーが求める情報だけを、ノイズを排除した状態で、効率的に提供し続ける。

前口上がばさっと切られた状態、必要な情報の再生時間からのリンクを提供してくれるのも時間の問題です。

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クリエイターたちがファンビジネスや注目度競争に明け暮れ、ユーザーが「固有名のノイズ」に疲弊すればするほど、人々は感情的な摩擦のないAIへと流れていくのかもしれません。

まさに焼畑農業みたいなことをやってしまっている。一体何やっているんだろうなと思います。自分たちで自分たちの首を締めている。

そして顔のニーズはすべて、そこに振り切って特化するために、改造に改造を重ねたNetflixや韓国の推し活文脈に、すべて持っていかれることになる。

さて、ここからどうなってしまうのか。引き続き注視していきたいポイントだなと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。