Voicyの今回の一件、なんやかんやでこれこそが国産プラットフォームの強みなんじゃないかとさえ思わされる出来事だったなあと思います。
良くも悪くも、プラットフォーム側とユーザーの距離感が近いがゆえに、炎上やいざこざも発生しやすい。
でも、それゆえに同時に対話も生まれ、改善の余地も明確になる。
結果的に、雨降って地固まるのような現象も同時に起きやすいなあと。
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緒方さんとちきりんさんのツイッター上の公開相談の内容、なかなかに衝撃的で一瞬言葉を失いそうになったときもありました。
でも逆に言えば、ここまで炎上し各方面から注目を浴びている状態において、なおかつ改善点も明確で、いくらでも改善の打ち手がある状態というのは、Voicyはいま一番可能性があるサービスとも言えるんじゃないかと割と本気で思います。
今回の反省も踏まえて、これまで以上にパーソナリティやユーザーの声を聴いていきながら、サービスの改善に本腰を入れていくとなれば、「あのときの大炎上がVoicyの大きな転機だったよね」となる可能性は高い気がします。
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で、それよりも僕が今回の大炎上を受けて、思わぬ形で浮き彫りになったなあと思うこと。
それは、良かれと思って、正義感をかざす人々、特にパーソナリティ側にそういうひとがものすごく多かったという事実です。
そして、そのような配信の内容が一番、Voicy代表の緒方さんを筆頭に、Voicy社の心を閉ざす原因にもつながってしまった。
みんな本当に、ちきりんさんをちゃんと見習えよ、と思いました。
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言い換えると、自分たちが追い込んだんだという自覚がリスナーやパーソナリティ側に一切ないことが、今回の炎上が思わぬ形で浮き彫りにした現実だろうなあと思います。
この点、自分がどれだけVoicyを長く使い続けてきて「古参ゆえに、自分には正論を振りかざす権利がある」と高をくくっていたひとたちも多かったけれど、古参とかは関係がない。
むしろ、サービス側からしたら「古参だから自分には言う権利がある、おまえのために言っているんだ」という態度の人間ほど邪魔くさいものはない。
法人だろうが、個人だろうが本当に変わってほしければ、デール・カーネギーの『人を動かす』を引用せずとも、相手の痛みに理解を示して、ちゃんと導くほかないはずです。
理路整然と論点整理をして、人格否定のような強い言葉で反省を促すだけではひとは変わらない。会社だってまったく同じです。
もし、会社に向けて、それをやるなら株主総会のような場所で経営者本人を引きずり下ろそうとするときだけに有効な打ち手だろうなと思います。
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ただし、同時に、ここに明確に現代のコンテンツクリエイターが陥りやすい落とし穴が明確に存在しているなとも思います。
どう考えても改悪をしたときに、正論をぶつければぶつけるほど、その正論を言っている人間が聴衆たちから拍手喝采されやすい。
だからこそ、その正論を自分の話を好き好んで聴いてくれている人たちに向けて、語りかけたくなってしまうわけですよね。
自分の正論に対して「そうだそうだ!」と言われることで、どれだけ口では「そうじゃない、期待しているからこその愛のムチなんだ」と言ってみたところで、本当はその正義感に酔いしれているだけなわけです。
そして、そういう立ち振舞をしているうちに、つまり、わかりやすく跳ねてしまう数字に流されているうちに、次第に自分の中でもそれが確信に変わってきてしまう。
自分が自分に自己暗示をかけてしまうことになる。ここに現代のSNS社会の恐ろしさがあるなと思います。
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結果として、よってたかって今回は緒方さんを全員で叩きすぎたと思います。
完全にエスカレートして、最終的には感情論となり、人格批判みたいになってしまった。
そろそろVoicy社側から業務妨害、名誉毀損などで、訴えられたとしても、何の違和感はない。
でも、それさえもパーソナリティ側は全部わかっている。なぜなら、自分が訴えられる側を経験しているから、です。だからこそ、その訴えられないギリギリのラインを狙うわけですよね。
そして、自分の配信を熱心に聴いているリスナーたち、つまり自分の信者たちに、致命傷を追わせるような石を投げさせるわけです。
そして、それが一番ダメージがデカいことも、彼らはハッキリと承知している。
自分の手を汚さずに、相手にダメージを与えられる。この扇動できる力こそが、今の影響力、パワーの正体であり、これはトランプの議事会襲撃事件の構造ともまったく同じです。
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でも僕はそのムーブは完全に間違っていると思う。
なんなら本当は、その影響力によって「どんな正義の矢も、千本射れば殺戮に変わる」ことまで想像しないといけないはずなんですよね、本来は。
繰り返しになるけれど、聴衆を先導して石を投げさせることが一番自分たちのファンやコミュニティを一致団結させやすい。そこに、共通の敵が生まれる瞬間だから、です。
友と敵を明確にわけて、攻撃して良い敵をコミュニティのリーダー自らが名指ししたことになるわけですから。
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リスナーやユーザー側も、まさか自分たちがそうやって先導されていることさえ気づかない。
なぜなら、その論理が正しいからです。だから自分たちは、正しい正義感を持って行動している、正論にのっかって自分も、一言もの申しているだけ、という気持ちになれる。
正論で叩くのは気持ちが良いから、余計に自覚しにくい。後ろめたさがそこに一切ない。
でもその一本一本の正義の矢が集結することで、殺戮に変わる。
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ここまでの話をまとめると、発信者は「自分は正論を言っているだけ」と思い込み、リスナーは「自分はその論理を受けて、正義を実行しているだけ」と錯覚する。
今回のタイミングで執拗に批判していたひとたちは、誰の配信を聴いていたかは一目瞭然だったと思います。
Twitterで「Voicy」という単語を検索すると、似たようなアイコンがズラッと並ぶ。ここも、トランプの議事会襲撃事件とまったく一緒。
あの騒動に集まった人たちがみんな揃いも揃って「MAGA」のキャップを被っていたのと同様に、同じようなイラストのアイコンが、今回も見事に並んでいました。
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何も知らないフリをして、この構造を悪用してしまうことが一番最悪。
以前書いた「いじめの構造」とまったく一緒、です。
その矜持が、メディアやコミュニティを運営する側には問われている。
そして、これってまさにいま大河ドラマ「べらぼう」で描かれていることでもあります。
ときの老中・田沼意次が失脚しているタイミングで、田沼意次をボコボコに批判するような論調のメディアをつくればいい。そうすれば、江戸の民衆たちにも喜ばれて、いちばん売れる本になる。
当時の蔦屋重三郎も、そんなことは重々承知でわかっていた。
田沼意次に対しての不満を爆発させて、民衆たちに「うちこわし」をさせるのが、いちばん売れ行きもよくなり、自分たちのメディアの信頼度、その底上げもできるし、一石二鳥どころの騒ぎではないことを。
でも、蔦屋重三郎はそれはしなかったわけですよね。
蔦重独特の江戸っ子的な皮肉によって、松平定信の機嫌を取りつつも、見事に政権批判をするわけです。
むしろ、何も知らないフリをしながら、世論を意図的に先導する生田斗真さんが演じる一橋治済とはものすごく対象的に描かれている。
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まさに、江戸っ子の「粋と野暮」みたいな感覚です。
このように、どうやって本当にあるべき世の中へと導いていくのかを考えることが本当に大事なこと。
そして、その時に大事なことは批判ではなく、エンカレッジすること。相手に変わってほしいなら、まずはちゃんと相手の置かれている状況に理解を示すこと。
今回は、ちきりんさんだけがそれを実践されていて、本当に素晴らしかった。
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どっちも正解で、そこにあるのは、粋と野暮。昨日のVoicyのプレミアム配信のなかで、中村さんとお話した「美学」の話そのものです。
そしてここで、僕は音声配信の国産プラットフォームが存在することの重要性を、いま改めて丁寧に考えていきたいなとも同時に思っています。
Audibleに対しての オトバンク もそうだし、Spotifyに対してのVoicyもそう。国内の音声プラットフォームは本当に全力で応援していきたい。
AIが、これからますます音声コンテンツの領域に侵食してくるからこそ、国内プラットフォームがあることは、いつか本当に大きな財産になると思います。
AudibleもSpotifyも、どちらも日本法人の中野の人々と直接関わったことがあるひとたちから、あまり良い噂を聞かない。
それは、担当者が悪だとか、人柄が良くないとかそういう個人の事情ではなく、良くも悪くも、やっぱりそこにあるのは外資のノリ。そこには、日本人らしい敬意と配慮と親切心は一切見当たらないということだと思います。粋とか野暮とかは、彼らには一切関係がない。
そこにあるのは、アメリカ的な勝者総取りの世界観。
黒船や原爆による力や金による支配のようなもので、外資の株式会社なのだから、それも当然だと思います。
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だったら、やっぱりこの国の音声文化を立ち上げていくうえでも、ほんとうの意味で国産プラットフォームを、パーソナリティやリスナーも一丸となってつくっていきたい。
今回のVoicyの一件は、共に盛り立てていけるということがわかったことはとても良かったことだと思います。
そして、本当にもうこれは違うと思ったら、スパッと距離を置きたい。ネチネチと悪口をいい続けることが、いちばんの野暮。
ただ、繰り返しますが、それがいちばん訴求力が高いコンテンツになってしまうこのSNS構造であって、野暮な批判を繰り返す彼らもその構造に流されているだけ。
こっちはこっちで、どうしたものか。本当にむずかしい問題だなあと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。

2025/10/15 20:17