SNSが誕生し、ここ10年で私たちが一番発達させた能力、それは「何事もメタ的に眺める視点」だと思います。

もっとわかりやすく言い換えれば、何事も「人それぞれだよねー」と受け流す力とも言える。

このように真正面から受け止めないことが、賢くて合理的な行為だと現代では信じられています。

それは、近年の雑誌やウェブメディアなどの「お悩み相談系コンテンツ」を見ていても強く感じるところです。

基本的にあの類いのコンテンツというのは、真正面から受け止めすぎて悩んでしまっている純粋な読者に対して、インフルエンサーがスルッと受け流す術を伝授するという構造になっていますよね。

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もちろん、SNS(ネット)には有象無象の情報が流れてくるわけだから、それを日常的にすべて盲信していたら心も身体も持ちません。

だからこそ、メタ的な視点で受け流す能力を身に付けることも、正しい所作(マナー)だと思います。

さもなければ、他者と意見が対立するたびに言い争いが生じ、地雷さえも踏みかねない。

実際、海の向こう側では陰謀論を盲信するような人たちが暴動を起こすような事件も、たびたび起こってしまっています。

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でも一方で、この現実に対して逆の方向から眺めてみたい。

「なぜ彼らはそんな行動に出ることができてしまうのか?そして、なぜ私たちは自ら行動することを躊躇してしまうのか」と。

彼らにあって、私たちにないもの。

それは、全力で盲信できたかどうか、だと思うのです。

「そうは言っても、このようにも見ることができるのではないか?」そのような他者に向けている「批評的なまなざし」を、自分自身にも向けてしまっている。

その結果、自分の行動さえもメタ的に判断してしまい、私たちはドンドン行動できなくなっている。

ここが現代のリベラル(左派)には徹底的に欠けている部分であり、保守(右派)のひとたちの行動力の源泉でもある。

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だからこそ、僕からの提案は、自分の中で何かひとつでも明確に盲信する対象を定めたほうがいいということ。

この点僕は、唯一「本」だけはできるだけメタ的に読まないようにしています。

一度読むと決めたら、著者のことを全力で信頼してみる。そして、そこに書かれていることはすべて真理なのだと信じて読み通す。

もちろんそうなると、自分が読むべき本もかなり厳選することになってきます。選書も自然と古典へと向かっていく。

まるっとその本を信じるわけだから、長い年月の風雪を耐え抜いているものでなければ、安易に信じることはできません。

そして、そこに書かれていることには疑いのまなざしを向けずに、自ら忠実に再現(血肉化)してみるのです。

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現代では、メタ的で相対的な視点に立つことばかりが推奨されており、僕もそのような記事は何度も書いてきました。


しかし、ひとを成長させる(ブレイクスルーさせる)力は盲信することにあり、何かを鵜呑みすることであることは絶対に忘れたくない真実です。

この矛盾こそが、人生において厄介で且つおもしろいところでもある。

師弟関係なんかは、非常にわかりやすい例です。そうであれば、自ら積極的に著者と師弟関係を結んでいく。

誰もが自らの盲目さにに溺れないようにと、メタ的な視点を持ちたがり、相対的な立場から語ろうとする時代だからこそ、ものすごく大事な視点であり姿勢だと僕は思います。

いつもこのブログを読んでいる方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。