なぜ地方の行政は、移住者や新規ベンチャーばかりを支援して、地元の中小企業を救わないのか。
まず結論から書くと、地方の中小企業に勤める人々が、地元の行政の「悪口」ばかりを言うからだと思います。
では、なぜ、突然こんなことを書き始めたのか。
先日、地方創生の文脈で有名な木下斉さんが、以下のようなツイートをしていたのをたまたまTwitter上で見かけました。
この実態は、本当にそのとおりだなあと思います。
釣った魚に餌やらないのは、本当に紛れもない真実だと思う。
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一方で、これも鶏と卵の問題だよなあとも思います。
僕がローカルを訪れて取材してきた中で、地方の中小企業に勤める人たちほど、地元行政の悪口ばかり言っている印象です。
きっと、それがよろしくないんだろうなあと。
忘れちゃいけないのは、行政側の担当者も人間なわけですよね、
そして、ローカルという狭い街の中で行政の悪口を言っていたら、そりゃあ行政のひとたちの耳に入るに決まっています。
地元の人々が行政の悪口を言うために集まるカフェも居酒屋も、スナックも全部、行政のひとたちが使っている場所と全く同じなんですから。
同じ時間帯に居合わせていなくても、お店のひとたちの噂話を通じて、そんな悪口はすべて筒抜け状態です。
少し取材した程度の自分であっても、最初は生々しい話に対して、おもしろく耳を傾けていても、東京に帰る頃には「もう聴きたくないな…」と思うぐらいには、行政の悪口は頻繁に耳にする。
だとすれば、本当に尋常じゃないぐらい、悪口がいたるところで語られているだと思います。
それは、この町を本質的に良くするための建設的な批判だと思われて、です。
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この点、地元の中小企業は、それまで長い間その町で続いているからこそ、地元行政の良くも悪くもすべてを目にしてきているわけです。
だからこそ、悪口のひとつだって言いたくなる。その気持ちは本当に痛いほどよくわかります。
大抵の場合、本当に心の底から良かれと思って悪口を言っている。自分たちのビジネス自体も、曲がりなりにも何十年と続いてきているわけだから、その継続してきた時間に担保された自信や自負なんかもあるわけです。
そして悪口を言いながら「行政の職員なんだから、耳が痛いところでも入ってこい!こっちが正論を言っているんだから!」と思うかもしれないけれど、そんなに都合よくいくわけもないわけですよね。
だって、自分たちだって正論が語られる場に出向いていっているわけではないのですから。
たとえば、都会で、どれだけ自分たちにとって耳の痛い正論が語られていても、それを聞きに行こうとはせずに、地元に引きこもっているのがその最たる例だと思います。
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いや、もちろん、行政の悪いところは山ほどある。ビジネス目線で考えれば、改善点なんて本当に山ほどあることは間違いないわけです。
でも繰り返すけれど、それは鶏と卵みたいな話で。
そうやって、行政を「共通の敵」として見立てて地元の中小企業で一体化しちゃうから、余計に行政側は、地元の中小企業に声がけしづらい状況が生まれてくるだろうなあと思うのです。
そして何より、自分たちのやっていることを、ことごとく批判してくる人間に対して耳を傾けたいなんて誰も思わない。
確かに少しは正論は混ざっているだろうけれど、嫌なものは嫌ってなるでしょう、相手も人間なんだから、と僕は思ってしまいます。
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で、これも結局のところ日本人特有の「お上に対する甘え」なんだろうなあと思います。
お上に対しては、どれだけ苦言を呈してもいい。
つまり「行政だったら、どれだけ文句を言っても許されるんだ」と。江戸時代から変わらない日本人の習性。
でも、そんなわけがないんです。
相手も人間であり、お上だって人間の集合体なんだから。
悪口ばかり言っている人たちが、どれだけ正しいことを言っていても、度が過ぎれば無視したくなるはずで。
そして、逆に行政側に対して好意を抱き、新しい希望を抱いて移住してくる若い世代に対してはおんぶに抱っこ、下駄を履かせたくなる気持ちもよくわかる。
そうしてあげたほうが、純粋に相手からも喜ばれるし、移住者や若いベンチャーの世代は、地元行政の悪事もまだまだ知らないから、下手に悪口も言わない。
結局、Win-Winの構造がそこに生まれるのだと思います。
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で、これと似たような構造を最近どこかで目にしたな、と思いました。
そう、これはまさにVoicyの大炎上と全く同じ構造だなと感じました。
地元で結果を出している中小企業はそのまま、古参パーソナリティの人々だと思えば、非常にわかりやすい。
そして、そのひとたちは、プラットフォームに対しては自分たちは文句を言っても許される存在だと思い込んでいるし、自分たちがいなくなったらプラットフォームは立ち行かなくなると思っている。
だからこそ、自分たちは不平不満をこぼしてもいいと思っているわけです。
そして、実際にそれは、そのとおりなんです。
結果的にどんどん悪口が増えていく。Voicyに対しての批判や悪口が、Voicy上においても人気コンテンツとなる。
そして、当然それはVoicy社側にも見事に届いてしまっている。だからこそ、目の上のたんこぶみたいになってしまうわけですよね。完全に邪魔くさい存在。
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で、結果的に、新規参入してきてくれたパーソナリティばかりに寄り添うようになる。
あとは「Voicyファンフェスタ」のようなイベントを主体にしたくなってしまうわけですよね。
古参パーソナリティは、あのようなイベントを「主婦と、いちゃいちゃしているだけ」って遠回しにバカにするわけだけれども、でも、そうしたくなる構造を自分たちが率先してつくってしまっていることに、ちゃんと気づかないといけない。
散々バカにして、プラットフォームの悪口ばかり言うから、結果的に悪口を言ってこない「穏やかな暮らし系のコンテンツ」を発信している主婦層に対して、Voicy社側も好意を向けてしまうわけですから。
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で、この主婦といちゃいちゃしているっていう批判は、地方でも同様で本当に頻繁に目にする光景であり、批判でもあるなあと思います。
地元のお母さんたち、そんな主婦層は行政の悪口を言わない。
どちらかと言えば、地元の学校での取り組みなんかも含めて、地方行政に対しては協力的で、コミュニティを重視してくれるのは地元のお母さんたちでもあるわけです。
別に女性たちが協力的というよりも、協力しないと、そもそもやっていけないのが地域コミュニティであり、これは構造的な帰結です。
つまり、自然と行政をバックアップしたり応援したりする構造になるわけですよね。
だから意外にも、女性の起業や副業支援みたいな制度に関しては、地元出身の女性たちのほうが多かったりもするから、これも非常におもしろい現象だなと思います。
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さて、今日の話を受けて、だからこそ大事なことは、お互いの歩み寄りなんだろうなと思います。
でも多くの人は、「自分には責任がない」ということをひたすらに言いたいだけだったりもする。
いろいろと正論や、それっぽいことも主張するのだけれども、結局は「自分には責任がない」と言いたいだけ。
もちろん、僕が書いているこのブログだって、決して例外ではありません。
そして、ここで思い出すのは河合隼雄の以下のような言葉なんです。
以前もご紹介した『父親の力 母親の力「イエ」を出て「家」に帰る』という本から、今日の話とダイレクトに繋がる部分を少し引用してみたいと思います。
お互いに「おまえが悪い」「あなたが悪い」と言いあっていては、なにも生まれません。結局ひとは、自分には責任がない、と言いたい。それをいかに説得力ある形でいうか。
「これは自分が悪かったんだ」と、自分で自分を変えていける人はまだいいのですが、それを他人から押しつけられたのでは、耐えきれるものではありません。
みんな他人のせいにしたい。
そして「悪いのは私じゃない、◯◯が悪い」という自分にとって都合の良い理由付けを、無限与え続けてくれるのがインターネットです。
それは、ホリエモンのようなビジネス系のインフルエンサーから、星占いや陰謀論まですべてそうです。それは昨日書いた「逃げ道を無限に用意してくれるのが現代社会」という話にも通じる話。
視聴者やリスナーに対して「悪いのはあなたじゃない」と説得力ある形で言い続けてあげることが、アテンション・エコノミー時代にいちばん良いコンテンツになってしまうのが、現代のSNSの構造です。
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でも、誤解を恐れずに言えば「悪いのは、すべて私であり、そして悪いのはすべて、あなた自身なんだ」と僕は思います。
そうやって、お互いに歩み寄らないと物事は何も進まない。
これは、以前もご紹介した中村天風が語る「悪人」の話なんかにも見事につながります。
地元の中小企業の役員たちも、もちろん行政側の人々も、それを本当の意味で受け入れない限り、話は決して進まない。
河合隼雄も先ほどの文章に続いて、以下のように書いていました。
肝心なことは、誰が悪いかなどと「犯人探し」をするのではなく、みんなでともに頑張ってよくしていくことを考えていくこと。
(中略)
そしてそのときに、どうしてもクライエントだけが変わればいいかのように思いがちですが、そうではなく、みんなで一緒に考えて、みんなで一緒に変わっていくことが必要です。
これは本当にそう思う。みんなで共に頑張ってよくしていこうと努力をし、みんなで一緒に変わっていこうとすること。
そのためにこそ、まずは笑顔で、そして敬意と配慮と親切心が本当に大事だなと思わされる出来事だなと思ったので、今日のブログにも書いてみました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
