最近、積立NISAも大事だけれど、同じぐらい積立兄さんも大事なんじゃないかと、そんなことを考えています。
いきなりなに親父ギャグを言っているんだ、と思われそうですが、結構真面目な話です。
まず。「長期・積立・分散」が投資の基本だとしたら、金融資本だけにしか積み立てていないことこそ、実はいちばんのリスクなのではないかと思うのです。
株式や債券など、金融資産のなかでは、ものすごく美しくバランスが取れていたとしても、自分自身の人柄も含めた、人とのつながりは何も耕されていない状態。
それって、もっと大きな視点から眺めれば、卵をひとつのバスケットに載せていることと、何も変わらないんじゃないか、と。
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つまり、人的資本、社会資本、金融資本の3つのうち、金融資本にあまりにも偏りすぎてしまっていることの危うさ、です。
しかも金融資本が潤沢にあること自体が、ひとを傲慢にもしてしまう。端的に言って、嫌なヤツにもなりやすい。
そもそも、僕らが投資をするのは、幸せに生き抜くためのはずなんですよね。
だとすれば、お金の増やし方だけを考えていても、その目的に対して十分な備えをしているとは言えない気がするのです。
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これからの不安定な未来のなかで、戦争や地震、AIの発達などによって、お金だけあっても、どうにもならない場面がやってくる可能性は十分にある。
小林秀雄賞を受賞した、川本三郎さんの『荷風の昭和』を読むと、ランティエ、つまり金利生活者だった作家・永井荷風であっても、戦争が始まると、人付き合いに助けられたことがよくわかります。
そして今は、AIによって、これから何が漏洩し、何が悪用され、何を失うことになるのかも、見通しづらくなってきています。
言い換えると、自分の持っているものが、今までと同じように自分を守ってくれるとは限らない。
金融資産を始め、色々なものが剥がされたあとにも、最後まで残るものはとは一体何なのか。
教育や教養、ビジネススキルのような人的資本は、ひとつ大きくあると思います。
あとは、AIがどれだけ進化しても、あのとき一緒に過ごした時間や、困っていたときに助けてもらったという過去までは、決して置き換えられない。こちらがまさに、社会資本です。
そういうものを、今から淡々とつくっておかないことのほうが、よっぽどリスクなんじゃないかと思うのです。
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ただ、これは、お金を失ったときにどうするかという話だけでもないんですよね。
よく「インターネットで不労所得さえ稼げれば…!」という話を耳にします。
僕自身、ネットでビジネスをしている側の人間なので、実際に、それを達成したひとたちを何人も見てきました。でも、そうやって上がったひとたちを見ていると、なんだか虚無に耐えられなさそうで、非常に辛そうに見えることもある。
本人にしかわからないこともあるでしょうが、本当にそれで幸せなんだろうか、と考えてしまうんですよね。
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だったら、好きでもない仕事であったとしても、「生活のためだから」と続けられていることのほうが、案外幸せなのかもしれないと思うほど、です。
仕事に行けば、誰かと顔を合わせるし、そこでは面倒なことも多いけれど、人間という生き物は、そんな日々に意外と生かされているんじゃないか。
ところが、一度金融資本で上がってしまうと、もはや好きでもない仕事なんかはできない身体と心になってしまう。
「なんで自分が、こんなことをしなきゃいけないんだ…」と思えてしまうからですよね。生活のためという、嫌でも引き受ける理由がなくなってしまう。
お金がなくても困るけれど、お金が十分にあったとしても、人との関係が何も耕されていなければ、やっぱり同じように困ってしまう。
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そこで、冒頭の「積立兄さん」の話なんです。
ここで言う兄さんというのは、芸人さんがよく言う「兄さん」みたいな、ある種の師弟関係なんかを思い浮かべながら書いています。
別に、昭和的な上下関係、ヒエラルキーをつくりたいという話ではなくて、それぐらいの距離感でこそ芽生えてくる関係性が大事なんじゃないか、という話です。
仕事のやり方を教わるだけじゃなく、一緒にご飯を食べにいくとか、プライベートの相談をしたり、どうでもいい話をしたりするような時間を共に過ごすこと。
そして、そうやって共に過ごした時間の中で、相手の失敗も、ちょっと面倒くさいところもちゃんと全部知っていて、それでも互いに、受け入れ合っているというような関係性です。
そういう人間づきあいがあるということです。
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以前、「AI時代、正社員ではなく、『内の人』になることの重要性。」という記事を書きました。
参照:AI時代、正社員ではなく、「内の人」になることの重要性。
そのなかで、僕は「共に生き残ることが否応なしに目的化することそれ自体が、『内の人』の定義だと思います」と書きました。
相手が困っていたら、「大変ですね」で終わらず、自分も一緒に「うーん、どうしようか」と考え込んでしまうこと。
自分にも、そうやって気にかけてくれるひとがいるし、自分のほうにも、放っておけない相手がいることが、これからはもっともっと大事になってくるはずですし、ここで、まさに「通い編集者」としての関係性なんかにもつながっていきます。
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今は、AIに聞けば、欲しい答えはすぐに返ってくる。未来は、さらにより一層これが全自動になっていくはずです。
だとすれば、わざわざ誰かに聞きに行ったり、教えてもらうために通ったりすることは、一見すると、ものすごく非効率に見えるはずです。
でも、これまでは、そうやって用事があったからこそ、僕らは、多少面倒でも、人と直接会って、人付き合いのスキルも高めていたはずなんですよね。
具体的には、用事を終えたあとに雑談をしたり、そのままご飯に行ったり、まったく関係のない相談を聞いたりもしたわけです。
その無駄に思える時間のなかで、気づけばお互いがお互いにとっての「内の人」になっていたんじゃないか、そう思うのです。
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答えだけを最短距離で受け取り続けていると、その前後にあった付き合いまで、ごっそり失われてしまう気がします。
そして、繰り返しますが、そこで育っていたのは、知識だけではなく、良い人柄でもあったはずです。
人と関わるからこそ、自己の至らなさにも気づく。面倒を見てもらって、今度は自分も誰かの面倒を見ようとも思えるようになり、まさに贈与のバトンリレーがうまれてくる。
必要になった日に、一緒に過ごしてきた時間だけを、買うことはできません。だからこそ、積立なんですよね。
ただ、将来引き出すために、恩を売っておこうという計算を始めると、たぶん、この関係は育たない。
何の得になるか全然わからないけれど、共にいること。その時間を重ねてきた結果として、互いがもしものときの「支え」になるのだと思います。
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「通い編集者」も、通っている時間のすべてに、明確な成果や用事があるわけではないはずなんです。
それでも顔を合わせて、そのひとの仕事や、大事にしてきたことを知っていくうちに、その仕事がなくなったら、自分も寂しいなと思うようになっていく。
困っていたら、自分にも何かできないかと自然と考えるようになるし、そうやって通っているうちに、気づけば、自分にお鉢が回ってくることもあるかもしれないわけですよね。
最近、話題になることの多い事業承継なんかとも、「通い編集者」とつながるところがあると思うんですよね。
最初から後継者になりたかったわけではないけれど、気づけば、そのひとが続けてきたことを、自分も残したいと思っていて、
生活のために働く必要がなくなっても、「あのひとがやってきたことだから」とか「自分も、ここには世話になったから」とか、そうやって引き受けられることがあると思います。
好きか嫌いかだけでは決められない、自分の出番が、勝手にそこに生まれてくるわけです。
自分が本当にやりたいことを、ひとりで探し続けていても見つからなかったのに、人と付き合っているうちに、やる理由のほうが、おのずから育ってくる。
そのようなつながりこそが、実はこの世界をまわしてきたのだと僕は思います。
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そして、ここまで考えてきて、Wasei Salonでは今後、新規メンバーの常時募集を停止してもいいのかもしれない、と近ごろ強く思い始めています。
最近、コミュニティにまつわるお仕事をしているひとたちにお話を聞かせてもらっていると、ほんとうにオンラインコミュニティ的なものが、広く一般化したなあと感じます。
思えば遠くへ来たもんだ、とは、まさにこのことです。みんなクローズドの空間内での新たな出会いを普通に求めている。
だとすれば、僕らは、またさらにその一歩奥に進んだ形を模索してみてもいいのではないか。
具体的には、新しく人を迎え続けることよりも、今いるひとたちと時間を重ねていくことに、もっと力を注ぎたい。そして、新しいひとを迎えるときにも、紹介するひととされるひとの関係から、また新たなつながりを育てていけたらなあと。
そのために、完全招待制、あるいは紹介制に移行してみたいなと。もしくは、年に数回だけ限られた募集枠を設けて、そのときに審査するような形にしてみるイメージです。
まだ確定したわけではありませんが、いつでも誰でも入ってこられる場としての役割を、見直してみたいなあと思っています。
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これからは、人と人とのつながりを、ほんとうの意味で耕していくことに、もっともっと時間を使っていきたい。
従来的なオンラインサロンの役割も、AIの登場によって、一旦その役割は終わりに向かうと思います。
それよりも、共に問い続けたり、対話をし続けたり、そのなかで、自分自身も少しずつ、相手といっしょに成熟していけるような環境をつくりたいなあと。
言ってしまえば、嫌なヤツにならないための場です。
お金があり、欲しい答えもAIが返してくれて、自分ひとりで何でも済ませられるようになったとして、そのときに自分が、他者に対してどんな態度を取るようになるのか。
インフレ×AIで、感じの悪い人間が、男女関係なく、これから世の中にはたくさん増えていくは必定です。
だからこそ、思い通りにならない他者に寄り添って、自分自身を問い続けられる場は、僕にとっても間違いなく必要な修業の場になる。
ちゃんと人と付き合い続けて、楽しく愉快に過ごし続けられる場所が欲しいなあと。
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もちろん、入口を紹介制にしただけで、そんな関係性がすぐに生まれるとは思っていません。
入ったあとに、一緒にどんな時間を過ごしていけるか。そのほうが、ずっと大切です。
そして、ずっと役に立ち続けなければ居られない場所にしてしまったら、それこそ、ここまで書いてきた話と矛盾してしまう。
すぐには意味や成果を説明できなくても、共にいられること。
そのうちに、頼ったり、頼られたり、何かを任せたり、任されたりする関係性が生まれてくるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ、そういう時間から一体何が生まれるのかを、もっと丁寧に眺めてみたいなと。
お金を失っても、逆にお金のために働く必要がなくなっても、その先に、誰かと生きていく日々が、生きている限りは続いていくし、続けていきたい。
Wasei Salonを、そのための空間として機能させていきたいと思っています。
積立NISAよりも、積立兄さん。
一見するとくだらないギャグにしか思えないですが、僕自身、これからも、そんな人間づきあいにこそ時間を使い、淡々と積み重ねていきたいと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のこのお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/10/13 15:25
積立NISAよりも、積立兄さん。

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