鳥井さんのブログを読んで、ふと思ったことを書きます。


「でも最近強く思うのは、体験それ自体には何の価値もないということです。」
「自分の中に明確な問いが存在して初めて、体験に価値が生まれてくる。」

と書かれていて、とても共感しました。

スタートアップにいると新しいことへの挑戦が多く、仕事そのものがこの構造になっていて、仮説→検証→学び→次の仮説→検証...のサイクルを高速で回していくことで、仕事が成長していきます。

ただこれをこなしているだけではなく、個人の仮説を持って取り組むこと、言い換えるとこのサイクルそのものを楽しむことが、「真の感動」に出会える重要なポイントだと日々感じています。

他チーム含めた四半期の振り返りをしていると、社内だけでも「あぁ、あなたもその景色を見たのですね」と共鳴し合う瞬間に立ち会えます。

日々の生活においても同様です。
妻と料理を楽しめているのも、「料理素人の僕が高級フレンチ作りをしてみたらどう思うのか」「本気で盛り付けたらとんでもないことになるのでは笑」など、固く言えば問いを持って取り組んでいるからだと思います。固く言えば。
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そこでふと思ったのは、じゃあ「問いを持たずに終えてしまった体験には価値がないのだろうか?」ということ。

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スポーツビジネスを学んでいた学生時代を振り返ると、僕は客観的に見て「良い体験」をしていたように思えます。

日本財団が主催するスポーツ政策・ビジネスコンテストの第一回大会の立ち上げを運営代表として取り仕切ったり、ゼミの教授が主宰したアスリートによる震災復興支援活動の運営サポートとしてオリンピアンとともに東北地方を駆け回ったり、日本で開催されたサッカーU20女子ワールドカップの学生広報をプロマネとして関わったり。


いまみても、とても貴重な体験ができていると思います。

しかし、当時の僕は何となく「良い体験しているなー」くらいにしか感じていませんでした。流れで取り組むことになってしまった、なんとなく手を挙げてしまったことばかりで、特に何の問いも持たず、なんなら「やらされ感」の方が強かったかもしれません。

すべてが終わったあとも「良い体験したなー」の感想しか持てず、その後なにかの活動に繋がることもありませんでした。大きな学びを得たとも新たな問いを立てられたとも、当時の僕には言い切れなかった。

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やっぱり、問いを持たずに終えてしまった体験には価値がないのでしょうか?

僕はそうは思わず、

問いを持たずに終えてしまった体験でも、後から問いを持って振り返ることで価値が生まれてくると思います。

問いを持って振り返ることで、意味付けができると言っても良いでしょう。

上記の僕の体験で言えば、ビジコンの立ち上げは事業立ち上げや組織マネジメント・イベント運営の難しさと楽しさを覚え、リーダーとして仕事に取り組むきっかけとなったできごとなりました。

アスリートの復興支援活動サポートやU20女子Wカップでの活動は、今回の東京オリンピック/パラリンピックを見る中で感じた大会や出場するアスリートが持つ力(ポジネガ含め)を、当時の自分の原体験と合わせて学びを深められたと思います。この学びは本業のスポーツビジネスにそのまま活かされています。

当時何も考えずに取り組んだことでも、「身体で覚えている体験」として今の自分を助けてくれたり、過去の体験を改めて追体験することで学び直しができるんだと思います。

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ただ、僕なりの注意点があります。

それは過去の体験を美化しすぎないことです。

自分が感じた以上に拡大解釈したり、見栄を張って盛ってしまうことは、学びにはならなくただのハリボテになってしまいます。

過去の体験の美化活動を繰り返すと、自分に酔って盲目になってしまい、気づかぬ内に他者を受け入れず共鳴も共感もできないようになってしまうのではないか。

多少の美化は良いです、自己肯定感が上がりますから笑。


また、もう一つの注意点は、過去に執着しないこと

過去への執着は様々なところで語られていて、過去の体験の振り返りはその学びを持って前に歩みを進めることで初めて価値になるんだと思います。
歩みを進めるとは、具体的なアクションをとることだけでなく、考えを進める、つまり「新たな問い」を立てることです。

問いを持たずに終えてしまった遠い体験でも、後から問いを持って振り返ることで、新たな問いを生み出す「価値ある体験」になると思いました。