今日の話は自分もこの進む方向性が、正しい方向性なのかはわからない。

ただ若い人たちの気運として明らかに変わってきていることがあるなあと思うことがありまして。

それが何かと言えば、自分が一方的に知っている存在に対しての直接の会いに行き方、です。

昔は、いわゆる裏口から、人づてで会いに行くことのほうがカッコよかったはずです。

正面から正規料金を支払って会わなければいけないひとは、ただのファンであり、ともすればカモというような認識だった。

でも、今は昔とは明らかに様子が異なるなと思います。

今の時代は、課金して真正面から会いに行くのが、当たり前になっている。

また、さらにそこから派生して、真正面から門を叩いたほうが「誠実だ」となってきている印象があるなと思います。

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例えば、パーソナルトレーナーのような事例を考えてみて欲しいです。

「友人の紹介だからといって、割引を期待するのは時代遅れだ」みたいな話は結構よく耳にしますよね。

知り合いの知り合いだからこそ正規料金、もしくはそれに色を付けて支払うのが、新しいマナーになりつつあるわけです。

そして、プロの仕事に対して敬意を払うなら、それに見合う対価以上を支払うのは当然のことだというふうに。

また、知り合いの飲食店に行くときなんかも、正規料金にプラスアルファの支払いをするくらいの心づもりでいたほうが相手に対して誠実だよね、というふうになっているかと思います。

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現代の若者たちにとっては、一方的に知っているひとたちに会いに行くときにも、これと同じような行動を取ることが、誠実だと思われ始めて来ているんだろうなあと思います。

なぜなら、いま社会で本当に価値を持つのは圧倒的に「無形資産」であり「社会資本」のほうだから。

紹介やコネで出会えてしまうよりも、誠意や敬意をもって、正規のルートでアクセスすることが重要視される時代になったということなんでしょうね。

その誠意や敬意こそが、より良い関係性を育むと信じられている気がします。

そして、その誠意を示す行為、一番のシグナリング高価を発揮するのが、正規料金における「課金」というイメージなのでしょう。

有識者のオンラインサロンへの参加やトークイベントの参加だけじゃなくて    推し活やYouTubeへのスパチャ、コンカフェ、VIP席などなど、そういう課金を行うことのほうが、知人の紹介などの裏口から入るよりも、正しい行為とされている気がします。

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で、これは自分で何かしらのサービス系の事業をしていれば、余計にこの方向性みたいなものは強く感じるはずだと思うんですよね。

正規料金を支払ってきてくれるひとのほうが、一番のお客様になって待遇したくなるはずなんです。

きっとその立場が頻繁にスイッチしやすい時代であることも、このような価値観が浸透してきていることに大きな影響を与えているのだと思います。

なんとかして、ひとのつながりや紹介で無料で会おうとされると逆に迷惑だったりする。

もし仮に紹介という形で、他人の信用貯金を間借りするような場合であったとしてもなお、そんな特別な機会を得られたことに甘んじることなく、相応の対価を支払うことのほうが価値が高いと思うはずなんです。

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以前も書いたように、これは「一億総キャバ嬢・ホスト時代」の始まりでもあると思います。


世の中全体において、そうやってお互いに課金しあって会うことが常識になってきているということでもある気がします。

そして、昭和生まれの人ほど、この新しい価値観や文化に対する感度が鈍い。

有形物やブランド品には高いお金を出しても、サービスや知見、社会的資本のような無形物は、なんでもタダで手に入れようとするのは、昭和生まれやインターネット老人の悪い癖かと思います。

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じゃあ、なぜこのような変化が若い人を中心にいま起きてきているのか。

それは、2つの大きな社会的な変化が影響しているのかなと。

ひとつは、消費の方向性の変化。

具体的には、いわゆる「モノ」としての商品を買うのではなく、「関係性」にお金を払うようになっているのが当たり前の世界で彼らは育ってきたから。

逆に言えば、現代はモノはいくらでも安価に手に入る。コンテンツなんかもそう。サブスクを使えば、ほとんど無限に供給される。

むしろ体験価値の方に価値があり、好きな配信者に投げ銭をすることで特別なコメントを読んでもらえたり、コミュニティ内での認知度が上がることに、価値を感じている。単純にそこに高揚感がある。

これは一方的な消費ではなく、双方向的な関係性の構築のほうが、お金を払うだけの価値がある行為だと言う認識に変わってきているということなんでしょうね。

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なぜ若い人たちの間でコンカフェが流行るのか、その理由なんかもここにあるんだと思います。

性別を問わず、多くの人がコンカフェにハマるのは単なる接客の魅力だけではない。

社会全体が「投げ銭・課金文化」に移行し、それをリアルな場においても体験できる空間として、コンカフェのような場が機能しているからだと思います。

きっと、文フリなんかも、これに近いのではないでしょうか。

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そして、ここ最近ずっと語り続けている、良かれと思ったアドバイスやおせっかいが「余計なお世話」になりやすい時代においては、立場が不安定だと逆にコミュニケーションが取りにくいという面もあるんだろうなあと。

「相手に先に課金をする」という行為を通じて、お互いのロールが明確に定まったほうが、お互いに喋りやすい。

あくまで「これは、ロールの立場から言っている」という建前になるし、そもそもそれを求めてお互いに来ている前提、その了承というか契約関係を「金銭の授受」という行為を通して、先に明確にしているようなイメージです。

まさに、カウンセラーとクライアントみたいな関係性ですよね。

何事にも、相手の足を踏まないかどうかを怯えている現代人にとっては、むしろ課金することでそれが回避できるなら喜んで支払いたいし、支払ってもらいたいということなんでしょうね。

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また、AIの進化なんかも、ここにはかなり強く影響を与えていると思います。

スキルや知識のような「人的資本」は、AIの発展によってコモディティ化が進んでいる。一方で、それに反比例するように「社会資本」の価値がドンドン重要にもなってきている。

具体的には、「何を言っているかではなくて、誰が言っているか、そして誰に認知してもらっているか、そこからフックアップしてもらえるか」ということのほうが重要になっている。

それは世の中がドンドンとリアリティーショーだらけで、オーディション形式になっていることを見れば明らかです。

だとすれば、その「認知」こそが価値であって覚えられるために課金すること自体は、むしろ賢い行為になっているということなんでしょうね。

これに付随して、VIPという概念も変わりつつある。

そのVIP枠に支払うお金は、フックアップされることのための対価や、相手との社会的資本を築くための手段になっている。

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こうやって、一億総スポンサー(上顧客)時代になっていく。

言い換えると、正面から課金して会いに行く、会いに行くための方法がドンドン整備されていく世の中になる。それが10年前との大きな違いです。

そうやって課金するためのパターンが一通り出揃ったし、認知もされた。これが昭和や平成と、令和の大きな違いだと思います。

そして、課金を通じてロールが明確になり、お互いに気を使いすぎる必要もないという状態が何よりも安心するんだということなんでしょうね。

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ただし、この流れには当然リスクもありますね。危うい話をしている自覚は僕の中にも明確にあります。

具体的には、持てるものと持たざるものの格差をより広げていくことにもつながる。

また、「課金」が関係性の前提になりすぎると「お金を払ったのだから、〇〇してくれて当然」といった態度も生まれやすくなる。

だからこそ、「生き金」にするという意識も、非常に重要にもなっていくんだろうなあと思います。

単なる消費としての課金ではなく、関係性全体にとって価値がある形でお金を使うこと。

関係性に投資をし、相手に誠意を示し、無形資産や社会資本の価値を、共に高め合っていく関係性。

つまり、テイクを求めてギブをするのではなく、相手に対しての誠意を見せるための一つの手段であり、いつだってギブの精神を忘れないことが、大事であることは間違いないのでしょうね。

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このようなギブアンドテイクのような話は、これまでの社会であれば主に経営者だけが考えればいいことだったはずです。

でも今の時代は、本当に一億総キャバ嬢・ホスト時代に進んでいる。みんなが社会資本の関係性の中に生きている。

このあたりの意識改革や、古い価値観を捨てる必要も出てきているなと思います。

時代の新しい感覚を毛嫌いしすぎずに、お互いの人間関係を円滑にして、新しいことを共に挑戦していくための手段として正当な対価を課金し合うための、そんな余白をつくっておくことは本当に大事なことだなと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。