コロナ禍に入って生活が一変し、移動が困難となって、もう一年半以上経過します。

この環境下で、何か外界から刺激を受けて、新たな情報を得ようとすると、どうしても、テレビやインターネット(Netflixや YouTubeなど)が中心になってしまう。

そうすると結局、みんなが似たようなレイヤーにある情報を摂取して、追っているジャンルは違えど「似たような存在」として並列化されてくる。

ただ、それがイヤだからと言って、コロナ禍以前のように国内外に出かけて、さまざまな人々に出逢いながら、新しい刺激を受けていくことは非常に困難です。

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では、どのように他者と視点をズラしていくのか?その刺激の取り入れ方が問題となってきます。

この点、最近すごくおもしろいなあと感じたお話は、今年になって赤ちゃんが生まれたコミュニティマネージャーの長田さんは、その赤ちゃんの視点から世界を眺められるようになったというお話。

赤ちゃんは自分と同じ人間であっても、まだ世界をちゃんと認識していない。

だからこそ、その視点に立って世界を眺めてみることで「なるほど、そんなふうに世界を認識しているのか…!」と、その新鮮さに触発されて新たな問いも自然と生まれてくる。

そこから探究心も生まれてきて、新しいことを自然と調べて詳しくなっていくのだそう。

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これって、ものすごく今の時代において重要な行動変容だなあと思うのです。

どうしても僕らは、自分の視座は変えず、外部からの刺激のほうだけを変えながら、新たな世界に触れようとしてしまう。

しかし、移動せず外部環境はそのままに、自己の視座のほうを「他者」の視点に変えてみることで、受けられる新たな視点もある。

もちろん、その対象が人間じゃなくたって構わない。

きっと、動物や昆虫だっていい。

最近、『虫とゴリラ』というゴリラの研究をしている山極寿一さんと、虫の研究をしている養老孟司さんの対談本を読んだのですが、

この本を読むと、虫とゴリラの視点に憑依しているおふたりの視座が、どれだけ一般人とズレており、非常にユニークなものなのかがとてもよく伝わってきます。

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思うに、生物とは、いつの時代も常に自己の居場所を「他者」と少しずつズラしながら生き残ってきた。

それは他者が生きようとしない場所を選んで暮らし、

他者が食べようとしないものを食べて、

他者が全く興味関心を示さないものに価値を見出して、生きてきたということだと思います。

そうやって、周囲の生物と積極的に観点をズラすることで、たび重なる環境変化にも耐えて生き残ってこられた。

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自己の視座を変えながら、新たな視点を獲得していくこと。いまとても重要なことのように思います。

そして、そのための勇気をしっかりと持つ。


いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。