今朝、Voicyで配信したプレミアム配信は、京都の建築設計士・黒木さんと、イケウチオーガニック益田さんがゲストの回でした。

タイトルは、「今年いちばん印象に残った作品は?」です。

おふたりから、今年1年間のあいだで触れてきた本や映画、ドラマやアート、建築物などなんでも構わないというお題で、おふたりの中に強く印象に残っているものを聞いてみました。


益田さんと黒木さんとは、今までお仕事でご一緒する機会のほうが圧倒的に多く、普段おふたりがプライベートでどんな作品を観られているのか、ほとんど聞いたことがなかったです。

ただ、僕のVoicyではどちらかと言えば、普段から本や映画などを中心に語る場合が多いから、おふたりから聞いたことがない話を聞いてみようということで、年末らしいこの話題を選んでみました。

結果として、おふたりの新たな一面を知ることができて、とっても貴重な時間でした。まさに灯台下暗し的な時間だったなあと。

今日は、印象に残った作品を聞き合うことの良さについて、改めてこのブログに書いてみたいなと思います。

ーーー

まず大きいのは、その人の哲学や信念が多面的・立体的に見えてくることだと思います。

直接「あなたの信条は何ですか?」と聞いても、パッと出てくるわけではない。でも印象に残った作品であれば、もっと自然に、しかも深く、間接的に伝わってくる。

漠然と感じていたその人の哲学や姿勢、その根拠や要因を知れて「だからか!」という発見につながるなあと思います。

ーーー

また、最近よく思うのは、誰かの紹介で何かを観たり読んだりするということの価値が、以前にも増してさらに重要度が増してきているなと感じます。

今日の本題も、このあたりからになります。

AI時代だからこそ、そうやって自分が心から信頼できるひとの「感動」に相乗りすることが大事だなと。

なぜなら、それが自らの「受け取り方の節度」に見事に通じる部分があるなと思うからです。

それは、いわゆるネット上の星の評価やネット上の口コミを信頼することとも少し異なる。

ネットの口コミは、あくまで「集合知」に対しての信用です。信頼ではない。

そしてAIは、その「集合知」が自分から喋れるようになり、能動的にユーザーに語りかけてくるようにしたイメージ。

でも、信頼する他者の感動に相乗りするというのは、いうなれば「相手との間に築かれた確かな信頼を担保に、共に井戸に降りていく行為」に近いなと思うのです。

ーーー

具体的には、そのひとに相対する時のような気持ちで、そのひとがおすすめしてくれた作品と向き合える豊かさがあるなあと思うんですよね。

受け取り方の節度が、自分自身もガラッと変わってしまう。擬似的に一緒に同じ作品を観に行く感覚にも近いのかもしれません。

そして「この人に騙されるなら、それもまた一興」と、心のどこかで思えている状態ってもほんとうに素晴らしいなあと思う。

自分とは明らかに異なる界隈やジャンルだけれども、たとえそれで騙されても許せる感覚みたいなものが、僕はこれからとっても大事だと思う。

相手と散々向き合ったからこそ、そう思えてもいるわけだから。

「情報」がたくさんありすぎて悩んでしまう、身勝手でワガママな自分を、強制的にコンテンツに前向きに向き合わせてくれるひとが、自分のなかにどれだけ存在しているか、それがこれからの豊かさにつながるなと思うのです。

ーーー

じゃあ、そうすると具体的に一体何が良いことなのか。

今の自分自身が大きくガラッと変わってしまうこと。ともすれば、別人になってしまうことだと思います。

つまり端的に言うと、自らが成長できるわけですよね。

一体どこに連れて行かれるかもわからないけれど、ついていってもいいと素直に思えること。そう素直に思えること自体が、ものすごく豊かだと思うんですよね。

逆に言えば、今のAIを使った効率的な情報収集は自分自身がまったく変わらない前提。

情報量は一気に増えるけれど、成長はしない。自分が想定できる範囲、望んだ範囲での成長で止まってしまう。

ーーー

この点、たとえば宮崎駿に対しての信頼感なんかは、誰にとってもわかりやすいのかなと思います。

宮崎駿監督の映画というだけで、事前情報が一切出ていなくても、多くの人は映画館に足を運んだわけですよね。

そして、そこで見せられるものに圧倒されて、自分自身の価値観が変わってしまうひとも多いはず。

ただ、たとえどれだけ優れた映画作品であっても、要約をしてしまえば「◯◯が△△した」という話に過ぎない。そこから得ることができる学びや教訓も、文字にしてしまうと凡庸なものにならざるを得ない。

もっというと、すべての小説は「人が歩いてきて、穴に落ちる」。そして「落ちて死ぬ」か「穴から這い上がる」か、そのどちらかの話でしかないという言葉なんかもあるように、要約すると身も蓋もない話になるわけです。

物語的な過程が、すべてごそっと抜け落ちてしまう。

物語に限らず、ビジネス書であっても、AIが出力した要約を読む行為っていうのは、つまりはそういうことだと思うのです。

誰が穴に落ちたのか、そしてその結果として死んだのか、それとも這い上がったのか、以上、というように。

そうやって、自分に都合の良い情報だけをつまみ食いをして「物語を知った」「要点を理解した」って決して自分自身は変わらない。

ーーー

これだけAIが普及しても、AIが出してきた出力で、それまでと自分がガラッと変わってしまった体験をしたことがあるというひとはあまりいないだろうなあと想像します。

むしろ、自分の考え方を強化する方向にしか使われない。

そして、AIが自分のことを否定してくるような言い方に対しては多くの人はひどく反発する。

対象がAIだからこそ、いくらでも乱暴に扱い、見下してもいい。ただの道具だと思い込んで、ハルシネーションだと思い込むことも可能です。

でも、他者の信頼を担保にしながら、一本の映画を観る体験や読書の通読体験というのは決してそうじゃないですよね。

ーーー

あまりピンとこなくても、「なぜ、◯◯さんはこれを良いと思ったんだろう…?」という問いが必ずそこに立つ。

つまり、わからない問いを、わからないままに置いておくことができる。その時に、すぐに否定する必要もないし、焦る必要もない。

そしていつか数年越し、数十年越しに不意にわかる日が来るかもしれないし、わからないままかもしれない。

でも、「なぜ、あの人はこれを良いと思ったのか?」という問いを抱え続けることは現代において、最も贅沢で人間的な時間の使い方だと、僕は思います。

答えが大事なんじゃなくて、その問いが立つこと。

考えるきっかけ、その探求しがいのある奥深さを与えてくれるのが、人間存在としてのこれからの価値なんだろうなあと。

ーーー

きっと、これまでの作品体験は、この部分がたまたま重なっていただけで。

「情報」と「体験」が表裏一体で不可分だった。でもAIの登場により、それらが見事に分離した。

そして、本当の体験価値のほうがより重要になってきた。

とはいえ、数多ある作品の中から選びきれないし、どっしりと腰を据えて観ることができないのが現代人。スマホがいつだって邪魔をしてくる。

そのためには、生身の人間の信頼の担保がアンカーのような役割を果たしてくれるはず。それが今日の僕の一番の主張です。

そして、まるでそのひとと対話をするように、そのひとの面影を感じながら、ひとつの作品を丁寧に観続けられること。

それっていうのは、AIに対しての信用とは、まったく異なる次元の信頼です。少なくとも、のび太くんにとってのドラえもんぐらいにならないと、この部分は未だにずっと変わらないと思います。

ーーー

そしてそれは、まずは相手の話を丁寧に聞こうとした自分のスタンスから始まっている。そのことにハッとしたいなと、僕なんかは思います。

まさに「張良の沓」みたいな話なわけです。それこそが秘伝の奥義でもある。


どうしても、順序としては、相手に魅了された自分が先だと思いがちなんですが、実際はそうじゃない。

先に自分が真剣に向き合ったから、自分の受け取り方の節度が大きく変わる。

「あなたはそうすることによって、私に何を伝えようとしてくれるのか」と耳を澄ませたことによって、そのひとの大切な作品に対しての感動に自然と誘われて、共に井戸を降りていくことになる。

その結果として、間接的に自分自身を変えてもらった、という順序であるはずです。

つまり、最初の始まりは、相手の話に自分が真剣に耳を傾けたことであり、自分が先に相手に向けた敬意こそが、そのまま自分自身に返ってきている構造です。

情けは人の為ならずとは、まさにこのことだなと思います。

ーーー

だからこそ、僕は、お互いの話に耳を傾け合うということ、相手が感じている感動に対して素直に関心を寄せることを大事にする空間をつくりあげていきたい。

それは相手のためではなく、それぞれ自分自身がガラッと変わってしまう可能性が秘められているからです。徹頭徹尾、自己本位の成長につながる可能性が高いことだからなのです。

2026年以降、この姿勢を持つひとと、AIを自己の価値観を強化のために使い続けるひととでは、まるっきり別世界を歩むことになると思います。

どちらが良い悪いではなく、僕は生身の人間を信頼して、自分自身がガラッと変わってしまうことのほうをできる限り選びたい。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。