先日、教育哲学者の苫野一徳さんのVoicyを聴いていたら、とてもハッとする言葉が語られてありました。
時間にまつわるお話の中で、「農耕社会では時間は“循環”してもらわないと困るものだった」と。
これは言われてみれば当たり前の話なのですが、なんだか僕は妙にこの言葉が刺さったんですよね。
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農耕社会では、春に種を蒔き、夏に育て、秋に収穫をし、冬を越す。このサイクルが毎年繰り返されるからこそ、当時の社会は成り立っていて、人間の命もその循環に完全に依存していたわけですよね。
だからこそ、時間は直線的に「過去から、未来に向かって進む」というような進歩史観ではダメで、いつだって循環するものでなければならなかった。
で、なぜ、この当たり前の話が、僕にとっては目からウロコだったのか。
それは、時間というものが、そういうものだという純粋に発見するもののではなく、単純に当時のニーズに合わせて、そういうものじゃなければ困る、という発想だったのかもしれないと思ったからです。
逆に言えば、僕らは「時間は不可逆で、一直線に進むもの」という前提のなかで生きているからに他ならないから「時間は過去から未来に向かって流れている」と思っている。
具体的には、スケジュール帳やカレンダーに書かれた未来こそが「今」だとして生きているのが、僕ら現代人なわけです。
だとしたら、時間は等間隔でちゃんと前に進み、カレンダーに書き入れられた「未来の予定」が予定通りに来てもらわないと困るわけです。
それこそ大地震が起きるみたいな予言が、まことしやかに語られてしまうと一気に混乱してしまうわけですよね。
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で、このことを踏まえて、僕がいま強く思うのは、別にどっちが正解でもないんだ、ということです。
言い換えると、これこそが苫野さんが頻繁に言及している「欲望相関性の原理」の話なのだろうなと思います。
農耕社会の人々が「循環して欲しい」と望んだから、時間は循環するものとして立ちあらわれてきたし、現代人が「進んでもらわないと困る」と望むから、時間はひたすら前に進むものとして認識されている。
だから時間は本来、循環するものでも、直線的に進むものでも、どちらでもないのかもしれない。
ただ、ぼくたちの欲望が、時間をそのように「見ている」だけだったんだ、と。
こうやって改めて文字に書いてみると、本当に何の変哲もない当たり前のことなのだけれども、まずその事実を丁寧に自覚することから始めたいなと思いました。
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で、僕らの物の見方を規定しているのは、このような「時間」の感覚だけではないはずで。
社会から無意識のうちにインストールされた「OS」のうえで思考をしている。
でさらに、これに付随して「OSのアップデート」という言葉が、ある種の比喩として近年はビジネス界だけではなく、広く一般的に用いられるけれど、この発想が広く浸透することそれ自体が、現代を象徴しているなとも思います。
「OSのアップデート」があまりにも感覚的にピッタリ来すぎて、誰も疑いもしない状態。
でも、こちらもあたりまえのことですが、人間にOSなんてものは存在しない。
PCやスマホを日々身体の一部のように用いるようになったからこそ、自分たちにもOSが積まれているように現代人が見なしているだけ。
それはまさに、社会や人間それ自体を「工業製品」のように捉えるような発想なわけですよね。
それは僕らの生活必需品の道具が今はそうなっているからであって、農業時代の話と全く一緒です。また、現代に生きている以上ダウングレードなんてありえないとも思っている。
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あとは、近年、当たり前のように使われる「人的資本・金融資本・社会資本」みたいな言葉もそうだと思います。
まるで、人間が最初から「資本」という属性を持っていたかのように語られるわけですが、これは資本主義という仕組みが、それらを後から「発見」をし、名付けた概念に過ぎない。
にも関わらず、僕らはそれが「前提」だと信じている。
資本主義の社会側が「あなたは資本ですよ」と提示することで、僕らはそのゲームに則って自分自身をそのように認識をするようになってしまっている。
今や社会に出る前の大学生ですら、当たり前のようにこれらの言葉を口にし、自身の市場価値を堂々と語るわけですからね。
でも、かつて「学び」は、個々の才能の「芽生え」を待ち、それを丁寧に「育む」プロセスだったはずです。それがいつの間にか与えられた能力(資本)を、効率よく「運用」するものへと変わってしまった。
それは、僕らが「資本主義OS」のうえで生きてしまっているから、です。
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ここで僕は、その良し悪しを語りたいわけじゃない。
見方を変えれば、ルソーやジブリ作品のような「自然に帰れ」と叫ぶことさえ、ひとつのイデオロギーに過ぎない。「前のゲーム(のルール)に戻れ」と言っているに過ぎないわけですから。
ここで僕が強調したいのは、誰もがそのような何かしらの世界像を持っていて、無意識にその価値観に引っ張られながら、意見を表明しているということ。
そして、その価値観が、あたかも太古の昔から続く普遍の真理であるかのように語られるということ。そこに常にハッとし続けたいよね、という話なんですよね。
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新しい産業やテクノロジーの登場によって「ゲームやルールがガラッと変わるごとに、そのゲームに適応した価値観が昔からあったよね」というような言われ方をするだけで。
たとえば、80年代〜90年代ごろに流行った「システム手帳」や「システムキッチン」というような、何でもかんでも「システム」がつけられていた時代があった。
平成生まれの方にはピンとこないかと思います。でもきっと、当時は「システム」という単語が未来的で格好良い響きを持っていたということなんでしょうね。
でも今となっては、どこか古めかしく聞こえたり、それ自体が一体何を語っているのかもよくわからなかったりもする。
それは、現代があまりにもシステムが前提の世の中となって、なおかつシステム同士をつなぐ「ネットワーク」中心の時代にになっているからだと思います。
このようなことが、これからもドンドン起こる。
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そして今まさにAIという巨大な津波がやってきて、このゲームをガラッと変えようとしている。
ゲームが変われば、価値基準も大きく変わる。
これまで僕たちが「価値」を感じてきた多くの成果物や生産性の概念だって、大きくガラッと変わってしまうはずなんです。
この抗いがたい変化を目の前にして、僕たちは一体どうすればいいのか。
すべてを諦めて虚無的(ニヒリズム)になるか、あるいは変化の波に乗り、そのスピードをさらに加速させようとする「加速主義」に振り切るか。
多くの人が、その選択肢のあいだで悩み、右往左往しているように僕には見える。
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で、少し話は変わりますが、「いま一番書きたいことを書いたほうが良い理由」という趣旨の記事が、AI時代だからこそ、このタイミングでみなさんの心に響いたなと思っていて。
まさに、この状況を見事に反映している。
かつては、そんなことを言ってみても、もっと「やるべきこと」、つまり効率や生産性を求められる切迫感のほうが強かった。
でも、それらもすべてAIに代替される未来が完全に見えてしまっている今、誰にも真似できない「あなた自身の言葉」や「あなた自身の欲望」にこそ逆説的に価値が宿りはじめていると、みなが感じ取っているんだと思うのです。
従来の価値基準やコスパ・タイパ主義、投資効率を最大化するための行動は鳴りを潜めて、逆説的に「自分が本当にやりたかったこと」に価値がうつり始めた。
ここにハッとしたいなと思うのです。
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逆に、いま自分たちがAIを使いこなして、時代の最先端にいると信じ込んでいるひとたちは、実は時代の最後尾、尻尾の尻尾部分にいるかもしれないわけですよね。
それは喩えるなら、大規模戦争の時代に原爆がついに完成して、それが実際に落とされて戦争のルールそれ自体が、ガラッと変わってしまったように。
もちろん、発明された革新的な技術は試さずにはいられないわけだから、実際にそれで世の中は一度ガラガラポンされるわけだけれども、
原爆投下前夜に、原爆の存在を知り、「原爆があればどんな相手にでも勝つことができる!」と感激して、原爆の技術に群がるのは、結果的に愚の骨頂だったわけですよね。
そこから一気に「経済戦争」に世の中の潮流は移り変わっていったわけですから。
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他にもルッキズム全盛期の時代に、もし全員が整形を安価に・短時間で受けられる場合になれば、確かに全員が顔を良くしようとするのかもしれないけれど、でも実際にそうなっときには、本当に競争優位性を持つのは「外見」よりも「性格」になることは間違いない。
「昔の人は、外見を変えて、誰にでも好かれようとしていたらしいよ」と、未来の若者が笑う日もやって来るかもしれない。
それと同じようなことが、AI時代の「仕事」や「商品」「生産性」においても、必ず起きるはずなんです。
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僕たちが当たり前だと思っている時間の価値、仕事の価値、希少性や生産性の価値などはすべて、普遍的なものでもなんでもなく、特定の時代や社会の「欲望」が作り出した幻想のうえにある、一つの見方に過ぎない。
AIは、いまそれを見事に揺り動かしていてまさに「原爆レベル」の衝撃を与えているわけですが、それは同時に、自分がインストールしているOSの正体に気づき「では、自分はどんな世界を、真の意味で望むのか?」を問い直す絶好のチャンスでもあるわけです。
当たり前を疑い、自分の言葉で世界を再定義していくこと。
AI時代において主体的に生き抜くための唯一の方法は、きっとこのあたりにあるんだろうなと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。

2025/07/05 20:12