今回の年末年始から今ぐらいにかけて読んだ本がこれだ。
・エッセンシャル思考
・論点思考
・仮説思考
・根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール
・わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~
・「疲れない身体」をつくる本
・庭の話
『庭の話』についてはこちら。(その後無事?読み終わりました。)
積読で貯めて置いた本を一気に読んだ形だが、見ての通りビジネス本が多い。「~思考」だけで3冊。ブレブレの思考になりそうある。
今年のテーマに「自分の時間を取り戻す」をかかげ、その一環として仕事のやり方を大きく再構築しようとしている。例えば学生インターン時代から刻まれている「長時間がんばる」マインドの刷新で、1日の仕事時間・業務配分・業務量を考え直している。
「~思考」は物事の取捨選択や向かうべく先を精査するために読んだ。中でも『エッセンシャル思考』がまさにズバリな1冊で、さっそく実践を始めている。
いずれも「答え」を探しに行くような読書になっている。
ファスト思考とスロウ思考
ファストかスロウか、で物事を考えるときがある。
ファストとスロウは、習慣化や行動科学の領域だと以下のように述べられている。
「ファストシステム(速い思考)」とは、意識的な努力や自発的なコントロールなしに自動的に作動する思考システムのこと
(中略)
「スローシステム(遅い思考)」とは、意識的な注意が必要となる思考システムだ。
『根性論や意志力に頼らない 行動科学が教える 目標達成のルール』より
要はファスト思考は無意識に反応する習慣化された思考で、スロウ思考は「じっくり考える」意識を入れた思考だ。
僕は習慣化の領域では、ありたい姿をスロウ思考で意識しファスト思考で自動化できるよう育てていく。という捉え方をしている。
ファスト思考とスロウ思考はそれぞれ良し悪しがあり、本来は優劣は特にないはずだが、
自分の中で「ファストな考え方」は、最短ルートで答えや結果だけを求めにいく悪者のように捉えてしまうことがある。
Wasei Salonのような対話型にコミュニティで問いを深めるような読書会に参加していると、答えを求めてビジネス本を読み漁るような読書はどこか深みがないような、後ろめたさを感じてしまうことがある。
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ちなみに「スロー」ではなく「スロウ」と書いているのは、辻村深月さんの『スロウハイツの神様』が好きだからだ。むかしこの作品に憧れて、2年ほどシェアハウスに住んだことがある。
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ファストが悪者なはずもなく
「後ろめたさ」の正体は、「本当はスロウに考えたいけどファストにしかできていない自分」という思い込みでしかない。
いきなり話が飛躍してしまうが、この話は、ファストとスロウそれ自体は何も関係がない。
僕のよくある思考のくせとして、AかBかの二項対立で物事を考えがちだ。Aの立場をとったらBではなくなる。もしくは、0か100かで物事を捉える。20%できていても80%できていないと感じたら、100%できていないと捉えてしまうのだ。
極端に考えると、自分がファストに読書をしていたら自分の読書のすべてがファストだと捉えてしまうし、対話会に参加していたら自分はスロウな思考習慣があると捉えてしまう。
極端も極端に言うと、今日いいことがあったらこれまでの良い人生を送ったと思い、絶望的な嫌なことがあったら地獄のような人生だと考えてしまう。
その時々の立場に応じて、オセロのようにすべてひっくり返してしまうようだ。ひっくり返す時間軸は、その時々のトピックに応ずる。
白黒なんてつけようがなく
オセロのような思考のくせに明確に気付いてからは、結論づけた自分の考えを疑うようになった。結果として喜んだり悩む時間(たいていは絶望の時間)が減り、考え行動する時間が増えている。
物事は毎回白黒つけようがなく、グラデーションである。白黒つけるとスタンスが明確で簡単だが、それだけやっていると思考の海に溺れてしまいそうだ。
冒頭の読んだ本の話だって、1冊単体で見れば答えだけ探す読書だけど、その前に仕事における問いを持って読んでいて、答えも問いも両方持ち帰っているのだ。答え「だけ」を求めているわけでもなんでもない。
白黒つけすぎだ、グラデーションである。
なんだかどこかで聞いた話だな、とおもっていたら、数年前に「熱中にもグラデーションがある」と書いていた。
自分なりの距離感や温度感で熱中すればいい。熱中にもグラデーションがある。
そして「スポーツに熱中できない」コンプレックスは、常に冷静な目でスポーツを見られる武器でもある。
そんなコンプレックスと共に、これからもスポーツへの炎を静かに燃やし続けていたい。
おいおい人ってぜんぜん変わっていないなーと一瞬思いつつ、「白って200色あんねん」がパンチラインだと思えるあたり自覚的になっているし、常に変化しているじゃないか。
グラデーションだ。
でもオセロ思考も、僕のお友達なのだ。