昨日、キンコン西野さんが配信されていたこちらのVoicyを聴きました。



今日は、この配信を実際に聴いてみて、僕が考えたことをこのブログに書いてみたいと思います。

最初にしっかりと明言しておきたいと思うのですが、僕は西野さんの意見を否定したいとか、この考え方が間違っているとか言いたいわけでは決してありません。

このお話を聞いたうえで、自分は「違う意見」を持つきっかけを与えてもらった、そのことをここに書き記しておきたいと思っています。

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まず、最初に結論から書くと、横文字を用いた専門用語を使うことで、その意味をググって調べられないひとが、あえて参入できない状態をつくる、そんな「優しさ」も一方であるのではないかと、僕は思っています。

まだその業界に入ってくることが適切ではない状態のひとを、あえて遠ざけることも「編集」のひとつであると僕は常々思っているからです。

参照:人を集めるだけが編集じゃなくて、人を遠ざけることも編集。

今のNFT界隈のように、詐欺師が跋扈する魔界のような世界に招くうえで、なんでもわかりやすくして「うちのかあちゃんでもわかる言葉」で説明することが、本当に相手にとっての「優しさ」につながるのかは、正直疑問の余地が残る。

「DYOR」という言葉をDYORできないひとが、ぞろぞろと入ってきている状態は、それこそ詐欺師からすると、カモがネギを背負ってやってきた行列に見えてしまうはずで。だからこそ特定のDiscordが狙われたわけですよね。

「スマホ」という何でも調べられる道具をひとり一台必ずもっているのにも関わらず、その意味を自分で調べようしないひとが、いまのタイミングで入ってきたらケガをするぞと、それを明確に伝えてあげることも「優しさ」のひとつだと思います。

本当の意味で、そんな自ら調べたくないひとたちにとっても優しい世界をつくろうとするのなら、絶対に詐欺師に狙われない空間をつくること、具体的には法整備に動くとか、詐欺師には絶対に狙われない環境を先に整備するとか、何かしらの対策を講じてからなのだろうなと。

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あと、素人でもわかりやすく話をしようとすると、どうしても複雑さを単純化させるような「喩え話」がメインになってきてしまいます。

たとえば、
メタマスク=お財布
OpenSea=デパート
のように。

でも普段から、詐欺師やスリに狙われても構わないように、実態のあるお財布をふたつ持ち歩き、それらを日常的に使い分けているひとが、一体いまの世の中にどれだけいるのでしょうか。

また、デパートの中にバッタモンが売られているかもしれないと思って、いちいち棚に並べられている商品をつぶさに疑いながら、購入するひとが現代の日本にどれだけいるのでしょうか。

いま知っているものにわかりやすく置き換えてしまうからこそ、このように見落されてしまいがちな「影の部分」が必ずあらわれてきてしまうのだと思うんですよね。

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これは常々思っていることなのですが、わかりやすくしようとすると、どうしても何でもかんでも『アンパンマン』のような世界観になっていくのです。

具体的には、アンパンマンが「正義」で、バイキンマン(のいたずら)が「悪」だというような。

つまり、必ず「二項対立」に収束していくんですよね。ここがポストモダンの議論の中でも何度も何度も警鐘を鳴らされているところでもあると思います。つまり、その差異を見落としてしまう。

海外のディズニー作品や単純化された絵本の世界、二項対立のわかりやすい世界観だけをみんなが幼いころから触れ続けきて、それ以上の複雑な世界は賢い人たちがわかりやすく説明してくれると思うから、それ以上の複雑さを自ら理解しようと努めなくなる。

だからこそ、世の中から未だに「正義と悪」の二項対立がなくならずに、結果として「戦争」もなくならないのでしょう。

これもすべて、「オレのかあちゃんでもわかりやすいように懇切丁寧に教えてあげよう」という非常に尊い「優しさ」がきっかけで生まれてきている。

それこそ「愛があるから、決して戦争がなくならない」という話と、まったく同様の構造だと思います。

だれも「悪事」を働こうなんて思っていない。にもかかわらず結果的に悲惨な戦争につながっていってしまうのです。

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きっと、明治のはじめのころは「文字を覚えるのは難しいから、言葉で教えてあげるよ」と言いながら、むずかしい文字の読み書きを無理に教えるのではなく、いつまでも口伝で伝えつづけていた人たちも一定数いたはずです。

文字を読み書きできるのは、一部の人間だけでいいんだと割り切って。

でも、現代においてみんなが学校で文字を学んでいますよね。その結果として、日本人のほとんどが読み書きできる状態にある。これは本当に凄いことだと思います。

僕はこんなふうに、それがどれだけ難しい事柄であっても「文字の扱い方」と同様、これからの世界を生きるうえで必要な知識であるならば、覚えていってもらったほうがいいと思います。

だからこそ、僕はなるべく複雑なことを複雑なまま理解すること、その「楽しさ」のほうを全力で伝えていきたいと思っています。

知らないものも複雑なまま理解しようと努めること、その世界を知る楽しさを全力で伝えていきたい。

参照:動機が善で、わかりやすい発信が溢れる世の中に。

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初心者には高く感じてしまうハードルや大きな門をぶっ壊して、誰でも入ってこられるようにしようとするのではなく、このハードルや門を少しの勉強で乗り越えようと努力したら、その先にはこんなにも楽しい世界が待っているよ、だから一緒に学ぼうよ!と。

そのハードルを、自らの力で飛び超えられるだけの力を身につけてもらいたい。

つまり、「猿でもわかる〜」系のコンテンツを世界に量産することではなく、学ぶ面倒臭さを経た先にある、その「楽しさ」へとブリッジさせてあげることだと思っています。

言いかえれば、個人の中で独学のスパイラルが自動的に始まっていくような方向へと仕向けること。

門の中の世界が、今のNFTのように魔界のような空間が広がっていて、法律さえも決して守ってくれないような弱肉強食のような世界なら、なおさらのことです。

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以上が、僕の考える「優しさ」です。

もちろん、一方で世の中には「良いことを言っているんだから、多少のわかりにくさは許せ!」と思ってしまっているひとも、同時にあまりに多すぎるようにも感じます。

それは、以下のブログの中で吉本隆明さんの言葉をご紹介して書いたとおり。

参照:うしろめたさの効用。

自己のちっぽけなプライドや保身のために、わざと難しく語ってしまっていたなあと思ったら、そこは粛々と反省することがとっても大切なことだと感じます。

でも、だからといって「横文字を使っている」というその「形式」だけで、自己の行動を判断してはいけない。

声が大きく影響力のあるひとが「横文字を使うやつはバカだ」と語っていたからといって、あなたの考える「優しさ」まで捨てないで、と本当に強く思います。

それよりも本当に大切なことは、ひとりひとりが、自分にとって目の前のひとのことを想った本当の「優しさ」とは何なのかを必死で考え続けて、それを問い続けること。

そして、誰に何と言われようとも、あなたはあなたらしく、他者に対して優しくあろう、と。

そのようなひとりひとりの他者に対する「敬意」と「祈り」のような態度こそが、今の世の中において本当に必要で、とっても大切なことだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。

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